2008-08

東寺(金光明四天王教王護国寺)を訪ねて

世界文化遺産「京都の国宝を訪ねて}をテ−マに綾部の文化財を守る会の春の研修旅行は77名の参加で行われました。
五重塔 国宝・江戸時代
東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけ、焼失すること四回におよんでいます。現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。
全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代初期の秀作です。
東寺五重塔

金堂 国宝・桃山時代
金堂は東寺一山の本堂で延暦十五年(796)創建されたと伝えられています。文明十八年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので、慶長八年(1603)に竣工しました。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています。
東寺金堂

金堂・薬師三尊・十二神将 重文
金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の犬仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています。
金堂・薬師三尊・十二神将像

南大門から金堂、講堂、食堂まで一直線に並んでいる。手前は講堂
東寺講堂

講堂内・立体曼荼羅
堂内の白亜の壇上には、大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。六躯は後補像ですが、十五躯は平安時代前期を代表するわが国密教像の秀作です。
講堂内・立体曼荼羅

食堂(じきどう)近代
僧侶が齋事に集まって食事をした場所で創建年代は未詳。896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音立像(現宝物館安置)と四天王像を造立。千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。昭和5年(1930)12月21日消失、昭和9年4月竣工。春日厨子に納まった十一面観音立像は明珍恒男氏の作である。
東寺食堂

国宝大師堂(御影堂)室町時代
創建年代は未詳。弘法大師御在世中の住房で西院(にしのいん)とも呼ばれる。天福元年(1233)仏師康勝法眼が斎戒沐浴して、一刀三禮毎に「南無大師遍照金剛」と唱えつつ彫刻した大師像(重文)と、何面不動堂には大師の念持仏の国宝不動明王(秘仏)が安置され、毎月21日に沢山の参拝者で賑わう。
東寺大師堂(御影堂)

毘沙門堂 江戸時代
天慶二年(939)平将門の乱の際、都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋毘沙門天立像(現宝物館・国宝)を天元元年(978)7月大風にて羅城門が倒壊の後、東寺に移し食堂に安置したりしたが、文政五年(1822)現在の堂を建立してお祀りした。創建千二百年記念事業で平成六年(1994)に修復された。
東寺 毘沙門堂

福井県の国宝と文化財

福井県には5ヶ所で6つの国宝がある。(京都府は綾部市の光明寺の国宝・二王門を含めて日本一の254個ある。)1、永平寺の開祖道元筆「普勧座禅図1巻」2、瀧谷寺(たきだんじ)の「金銅宝相華文磬(こんどうほうそうげもんけい)」で法会の声明に用いられた楽器3、劔神社(つるぎじんじゃ)の「梵鐘」4、常宮神社(じょうぐうじんじゃ)の「朝鮮鐘」そして、小浜市の「明通寺」には5、「国宝本堂1棟」6、「国宝・三重塔」である。今回はホテル綾部の町井社長が株主20名限定企画の日帰り旅行であった。最初に、大飯町の水上勉の「若州一滴文庫」、最近出来た「御食(みつけ)国若狭おばま食文化館」、昼食はこの小浜で有名な「えび喜」、そして午後には、国指定重要文化財を多数持つ「羽賀寺」、この寺住職は6年前にも「綾部の文化財を守る会」で企画し、綾部弁が懐かしいといわれた人で、あやべ西国観音霊場第1番札所「正暦寺」の玉川正信住職の長男・正隆師(三男・弘信氏は当会の理事)である。副会長のご逝去で参加やめようかと一時考えたが、誘った人もおり、正暦寺の奥様も参加でお茶も用意して頂いているので参加した。住職の説明とご本尊は716年元正天皇が僧・行基に命じ建立したもので「女帝元正天皇御等身の十一面観世音菩薩」様はやはり、すごかった。最後に「明通寺」の国宝2つと市指定の古木等をみて、参加した甲斐があった、おまけに、梅原康先生と恩師・登代子先生ご夫妻も参加しておられ、話がはずみ過ぎた感。
水上勉の「若州一滴文庫」玄関
若州一滴文庫玄関

その内部「水上勉の文
水上勉の文

羽賀寺本堂、内部に上記の素晴らしい「十一面観音菩薩」様
羽賀寺

素晴らしい「音色」を響かす梵鐘・女性数人が打つ、小生恥ずかしくて残念でした。
羽賀寺梵鐘

延暦の昔、坂上田村麿公が天下泰平の為に、大同元(807)年に明通寺の元の堂宇を建てたと言う。この国宝・明通寺本堂1棟は正嘉2年(1258)の再建で鎌倉中期のものである。
明通寺本堂

明通寺の国宝・三重塔(文永7年1270再建のものである。)
明通寺三重塔

見事な境内の一部
明通寺境内

献上・紀州梅道中その2

鍋師理事に続き、1号車で綾部市里町の岸見直さんから逆サイドから撮った行列の写真や国宝本殿前での写真、行列参列者が特別席で並んで儀式を見ている写真等を提供して頂いたのでスキャナーで撮り入力しました。
献上行列の裃姿の人々
紀州献上梅道中1

献上のお供えの供物は2つです。
紀州献上梅道中2

紀州献上梅道中3

入場後、太鼓橋を閉める神官
紀州献上梅道中4

国宝・本殿前で儀式が始まりました。
紀州献上梅道中5

特別席での行列参加者達
紀州献上梅道中6

紀州献上梅道中7

献上・紀州梅道中に遭遇

なんと六月六日は「梅の日」、上賀茂神社楼門前でご案内の祢宜さまを囲んで2号車一行の記念写真を撮影し一行は拝殿に入門。私はさらに1号車一行の到着を待ち記念写真を撮影。続いて拝殿に入門かと思ったが、案内の祢宜さまに連れられて周辺の参観に向かった。すると突然ホラ貝が鳴り響き、楼門前の太鼓橋の前後の欄干に結ばれた制止縄が解かれ、山伏、法師など平安時代を思わせる紀州梅献上の一行がやってきた。(なべちゃん記)
 1号車の皆さんは、当参拝団担当の権禰宜の村松晃男さんに案内され、特別に東門を開けてもらいこの東門から入り、国宝本殿前での「今年の梅の献上儀式」を行列参加者以外は、入れない所から見られた諭旨、国宝権殿も見られたとの事です。精進の賜物ですね。(四方續夫記)
祢宜を先導にホラ貝を吹き鳴らす山伏・法師・幟・献上木札の付き人一行
献上・紀州梅道中1

僧正のあとには裃姿の代表者がつづき、さらに平安時代の烏帽子・水干姿の献上者たちがつづく
献上・紀州梅道中2

太鼓橋の上に樹木があり日傘を横にしてとおる。平安時代の市女笠(いちめかさ)をかむり高貴な姿をした娘たちの晴れやかな大人数の一行が梅を入れた笊・花を持ってとおる
献上・紀州梅道中3

大きな梅干しの張りぼての後は、献上梅の葛籠を担いだ烏帽子・水干姿の献上者たち
献上・紀州梅道中4

つぎなるは梅の笊を持ち、梅の実のついた枝を背負った梅とり姿の女人たち
献上・紀州梅道中5

なんと献上梅の一行の祭殿への入門時に合わせたように2号車の会員が本殿参拝を終えて合流
献上・紀州梅道中6

献上梅道中一行から配られた「梅の御菓子」や枝からもいだ「梅」を手に持つ会員たち、してやったりとニコニコ顔の四方事務局長
献上・紀州梅道中7

綾部商工会議所55周年「国宝・瑞龍寺と世界文化遺産白川郷・五箇山に参加して

平成18年5月21日(日)〜22日(月)綾部商工会議所記念事業「吉美街道踏切等拡幅整備同盟」の企画の豪華なサロンカー「ゆうゆうサロン岡山」に参加した。目的は2つ、富山県唯一の国宝・三代加賀藩主前田利常(初代利家のすえっこ息子が兄、利長の養子となり三代目になった。20年の歳月をかけて建立)の瑞龍寺(ずいりゅうじ平成9年2月国宝に指定)の総門と国宝の山門、仏殿、法堂が一直線上に建立された江戸時代の禅宗様式の建造で,仏殿は珍しい鉛瓦の屋根である。それら七堂伽藍を300メートルの廻廊が結ぶ様は正に国宝である。富山県の国宝はこの寺のみである。又、日本三大大仏、奈良、鎌倉の大仏は国宝、三つ目のこの高岡市の大仏であるが重文である。
瑞龍寺

世界文化遺産登録・岐阜県の「白川郷と五箇山」後ろの雪に覆われた山は、「野谷荘司」山と云う、まるで人の名前のようですね。
白川卿と五箇山

世界文化遺産登録「白川郷」の萱葺きの県重文指定の「明禅寺」山門
明禅寺山門

岐阜県指定重要文化財の一つ,旧寺であって現在集会場の見事な欄間
集会場の欄間

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