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綾部の文化財

岩王寺と文化財(七百石町)

綾部市七百石町寺の段1番地にある、あやべ西国観音霊場第25番札所「如意輪観世音菩薩」、高野山真言宗「神宮山・岩王寺(しやくおうじ)」春は桜、秋は紅葉で美しい、通称「かやぶきの山寺」は平安中期の天暦3年(949)に空也上人によって開創されたと伝えられっている。又、足利高氏公の旗上げ祈願で七百石の寄進から七百石町と名付けられたと云う。昔はこの寺近くで硯石「石王寺石(しゃくおうじいし)」が出たところから名付けられたとも云う。詳細はここをクリック願います
当会設置の「駒札」
岩王寺駒札

京都府登録文化財「仁王門」
岩王寺 仁王門

京都府登録文化財「本堂」1棟
岩王寺 本堂

今、花は咲いていないが「萩の花迷路」と寺境内
花迷路

流れ山水の庭
流れ山水の庭

綾部の古木・名木100選のひとつ「サンシユ」と境内社「熊野神社」
サンシユ

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綾部の文化財

極楽寺と大賀ハス(白道路町)

綾部市白道路町鎌倉田の「あやべ西国観音霊場第19番札所・臨済宗東福寺派の東谷山・極楽寺」の大賀ハスがほぼ八分咲きとなりました。
この大賀ハスは昭和59年に前の伊藤住職(現在亀岡で隠居)が東京の著名な彫刻師である松本繁来(まつもとしげき)氏に「高さ約1メートルの薬師如来」を依頼され、意気投合で2千年前の大賀博士が発見され、「大賀ハス」となずけられた物を、3粒貰われえ、それをこのように育てられた諭旨である。
その他多くの資料はこの記事をクリック願います
極楽寺:2千年の眠りから覚めた大賀ハス

綾部市指定「木像阿弥陀如来像」
極楽寺 木像阿弥陀如来像

松本繁来作楠の「薬師如来像」
薬師如来像

前の伊藤住職(隠居・亀岡在住)の好きな16羅漢の掛軸
16羅漢の掛軸

由利滴水禅師の記念碑
由利滴水禅師の記念碑

綾部の文化財

宝住禅寺ときゅうり封じ薬師大祭(味方町)

7月8日は「7転び8起き」達磨大師の言葉でであろうか!綾部市味方町の「あやべ観音霊場第3番臨済宗妙心寺派「羅漢山・宝住寺」では毎年7月8日に「きゅうり封じ薬師大祭」が開催されます。小生初めてこの「大祭に参列」した。又、この寺の紹介は「花と綾部の文化財17」で一度紹介しているが、とても紹介しきれなかったので、「この大祭」を機会に残りを紹介します。綾部市指定「薬師如来坐像」は平安時代のもので高さ90.8センチメートルで藤原時代の特徴を良く備えているが,膝辺の彫刻が形式化し、薄くなっているのは後世に手を加えられたものである云われている。
薬師堂(左手の山の羅漢さん達に囲まれている)から綾部市指定「薬師如来坐像」を本堂へ移す。
宝住禅寺 薬師堂

本堂に安置された「薬師如来坐像」
宝住禅寺 薬師如来坐像

きゅうり封じ受付所
きゅうり封じ受付所

午前8時45分第1回目の法要が「河野儀方住職の太鼓と般若心経」で始る。この後、数回法要があり、午後1時には大般若心経転読・詠歌奉詠。
詠歌奉詠

達磨大師像
達磨大師像

韋駄天像
韋駄天像

又、宝住禅寺第1回目の投稿は、ここをクリックねがいます

綾部の文化財

国指定名勝「照福禅寺の庭園」と文化財(鷹栖町)

7月3日(月)午前中、あやべ西国観音霊場めぐり第5番臨済宗妙心寺派の「南泉山・照福禅寺」を訪れる。この寺は戦国時代、即ち元・広瀬町城山の甲ヶ峯(その跡を招福寺ヶ成るという)にあったそうだが明智光秀の丹波攻めの兵火で焼かれ、その後、山家藩谷家の庇護により、今の地鷹栖町へ移った。住職の和久氏はこの元の城主の流れを引く方である。有名なのは「国指定名勝・照福寺庭園(北庭々園・含む含勝庭)」と「生々園」や「あやべ西国観音霊場巡りで春一日、秋一日しか、御開扉されない聖観音菩薩様」を特に撮影させて頂いた。ここには多くの文化財がありすべは紹介で着ないが、できるだけ多くの写真を掲載した。
当会の紹介「駒札
照福禅寺駒札

寺の正面左手が「真観庭(しんかんてい)」
照福禅寺 真観庭

本堂内の「韋駄天」様
韋駄天

国指定名勝「照福寺庭園(北庭々園と含勝庭)」
照福禅寺 含勝庭

本堂の御本尊「釈迦如来」様
照福禅寺 釈迦如来

本堂の見事な天井の「龍の絵
照福禅寺 龍の絵

書院の掛け軸は「狩野山楽の竹図
狩野山楽の竹図

観音堂と見事な「聖観音菩薩像」春と秋のあやべ観音霊場巡りの2日のみ御開扉。
照福禅寺 観音堂

参考:大型バス中型バスも駐車場へは、入れませんので国道27号線沿いの、JA支社前に駐車してください。尚、志納料はお一人300円でご住職又は奥様がご案内されます。電話:0773-46-0185、尚より詳しくは、ここをクリック願います

綾部の文化財

延喜式内社・伊也神社(広瀬町)

「花と綾部の文化財29」で紹介しました何鹿郡(現綾部市)の延喜式内社は12ヶ所あったが、「同 31」で紹介しましたように、「佐陀神社」は現存していません。
7月3日(月)午前中の用事が早く済みましたので綾部市の山家地区へでかけた。12社の内の「伊也神社(いやのじんじゃ)」が現存していることを知っていたからです。山家谷藩城址跡から登っていくのですが、伊也神社以上はとてもブッシュがひどく登れる状況でなかった。
式内社「伊也神社」:綾部市広瀬町城山にある。
御祭神:大日霊貴尊・素盞鳴尊(神名考証では大屋彦神となっている。)
由緒:当社はもと伊也ヶ谷(伊神いがみ)にあったが、天正年間大火にかかり谷氏陣屋の山手の現存地に遷した。この神社は丹波道主命によって奉斎されたという。
下の案内板
伊也神社案内板

下から見る「伊也神社
伊也神社石段下

登る途中からの「伊也神社(いやじんじゃ)」
伊也神社石段中

伊也神社
伊也神社本殿

背後のものすごぎ岩盤
伊也神社岩盤

山家谷藩等のことを、知りたい方はここをクリック願います

文化財研修記

東寺(金光明四天王教王護国寺)を訪ねて

世界文化遺産「京都の国宝を訪ねて}をテ-マに綾部の文化財を守る会の春の研修旅行は77名の参加で行われました。
五重塔 国宝・江戸時代
東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけ、焼失すること四回におよんでいます。現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。
全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代初期の秀作です。
東寺五重塔

金堂 国宝・桃山時代
金堂は東寺一山の本堂で延暦十五年(796)創建されたと伝えられています。文明十八年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので、慶長八年(1603)に竣工しました。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています。
東寺金堂

金堂・薬師三尊・十二神将 重文
金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の犬仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています。
金堂・薬師三尊・十二神将像

南大門から金堂、講堂、食堂まで一直線に並んでいる。手前は講堂
東寺講堂

講堂内・立体曼荼羅
堂内の白亜の壇上には、大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。六躯は後補像ですが、十五躯は平安時代前期を代表するわが国密教像の秀作です。
講堂内・立体曼荼羅

食堂(じきどう)近代
僧侶が齋事に集まって食事をした場所で創建年代は未詳。896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音立像(現宝物館安置)と四天王像を造立。千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。昭和5年(1930)12月21日消失、昭和9年4月竣工。春日厨子に納まった十一面観音立像は明珍恒男氏の作である。
東寺食堂

国宝大師堂(御影堂)室町時代
創建年代は未詳。弘法大師御在世中の住房で西院(にしのいん)とも呼ばれる。天福元年(1233)仏師康勝法眼が斎戒沐浴して、一刀三禮毎に「南無大師遍照金剛」と唱えつつ彫刻した大師像(重文)と、何面不動堂には大師の念持仏の国宝不動明王(秘仏)が安置され、毎月21日に沢山の参拝者で賑わう。
東寺大師堂(御影堂)

毘沙門堂 江戸時代
天慶二年(939)平将門の乱の際、都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋毘沙門天立像(現宝物館・国宝)を天元元年(978)7月大風にて羅城門が倒壊の後、東寺に移し食堂に安置したりしたが、文政五年(1822)現在の堂を建立してお祀りした。創建千二百年記念事業で平成六年(1994)に修復された。
東寺 毘沙門堂

綾部の文化財

曹洞宗・浄泉寺とその背景(位田町)

綾部市位田町田岸63番地にある、あやべ西国観音霊場第12番札所の曹洞宗永平寺派の「観流山・浄泉寺(じょうせんじ)」は元々真言宗の寺で、元はもっと奥に位置していたと言う。しかし、左裏の山は「高城山(たかしろやま)」といい、ここには「応仁の乱」のとき山城国一揆より勝ると言われる、大規模な丹波国一揆が、延徳から明応(1485~1493)にかけて4年間も続き、この高城山(位田城)が大槻・荻野氏の拠点となり、管領細川正元や丹波守護代の上原元秀に激しく抵抗した所であり、当然当寺も兵火をうけた。曹洞宗になったのは慶長年間(1600年)頃、福知山久昌寺の二世・南渓存越(なんけいそんえつ)大和尚が荒廃していたこの寺を改めて、開創されたことによると言う。又、この寺からは由良川越えに四尾山や綾部市街が一望できる。本尊聖観音様の撮影は残念ながら断られたので、見たい方は春と秋に実施される「一日13ヶ寺を廻るAコース」にご参加ください 。
浄泉寺正面
浄泉寺

この中には素晴らしい「聖観世音菩薩」様
浄泉寺聖観世音菩薩堂

左手の山は「高城山」で現在でも登り、「堀切」の跡が確認できます。
浄泉寺2

ここから見える山は綾部市のシンボル「四尾山」と市街地
浄泉寺3

文化財研修記

福井県の国宝と文化財

福井県には5ヶ所で6つの国宝がある。(京都府は綾部市の光明寺の国宝・二王門を含めて日本一の254個ある。)1、永平寺の開祖道元筆「普勧座禅図1巻」2、瀧谷寺(たきだんじ)の「金銅宝相華文磬(こんどうほうそうげもんけい)」で法会の声明に用いられた楽器3、劔神社(つるぎじんじゃ)の「梵鐘」4、常宮神社(じょうぐうじんじゃ)の「朝鮮鐘」そして、小浜市の「明通寺」には5、「国宝本堂1棟」6、「国宝・三重塔」である。今回はホテル綾部の町井社長が株主20名限定企画の日帰り旅行であった。最初に、大飯町の水上勉の「若州一滴文庫」、最近出来た「御食(みつけ)国若狭おばま食文化館」、昼食はこの小浜で有名な「えび喜」、そして午後には、国指定重要文化財を多数持つ「羽賀寺」、この寺住職は6年前にも「綾部の文化財を守る会」で企画し、綾部弁が懐かしいといわれた人で、あやべ西国観音霊場第1番札所「正暦寺」の玉川正信住職の長男・正隆師(三男・弘信氏は当会の理事)である。副会長のご逝去で参加やめようかと一時考えたが、誘った人もおり、正暦寺の奥様も参加でお茶も用意して頂いているので参加した。住職の説明とご本尊は716年元正天皇が僧・行基に命じ建立したもので「女帝元正天皇御等身の十一面観世音菩薩」様はやはり、すごかった。最後に「明通寺」の国宝2つと市指定の古木等をみて、参加した甲斐があった、おまけに、梅原康先生と恩師・登代子先生ご夫妻も参加しておられ、話がはずみ過ぎた感。
水上勉の「若州一滴文庫」玄関
若州一滴文庫玄関

その内部「水上勉の文
水上勉の文

羽賀寺本堂、内部に上記の素晴らしい「十一面観音菩薩」様
羽賀寺

素晴らしい「音色」を響かす梵鐘・女性数人が打つ、小生恥ずかしくて残念でした。
羽賀寺梵鐘

延暦の昔、坂上田村麿公が天下泰平の為に、大同元(807)年に明通寺の元の堂宇を建てたと言う。この国宝・明通寺本堂1棟は正嘉2年(1258)の再建で鎌倉中期のものである。
明通寺本堂

明通寺の国宝・三重塔(文永7年1270再建のものである。)
明通寺三重塔

見事な境内の一部
明通寺境内

綾部の文化財

延喜式内社・高蔵神社と諏訪神社(西坂町)

今回は、京都府総合資料館(京都市北区)には明治初期より初めて明治10年(1877)6月に京都府管内の延喜式内社を確定し,その所有している書物は「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないしゃならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と云い、綾部市(元、何鹿郡いかるがぐん)では12の式内社があり、最近では、当会の会報で綾部市吉美地区の高倉町の「高倉神社」、西八田地区の中筋町の「島萬神社(しままじんじゃ)を紹介しました。今回は綾部市(物部地区の)西坂町の式内社「高蔵神社とその末社の諏訪神社」を紹介します。尚、京都府総合資料館では38年前に当会を結成した会報「綾部の文化財第1号」から現在までのものがそろっています。
 ぎょ!!小生は綾部市史上巻で何鹿郡(いかるがぐん・現、綾部市)の延喜式内社は12と読んでいたが、この「神社考証」には五区栗村の「佐陀神社両殿之図」と第五区東栗村の「佐陀神社図」とまったく違った二つの図が掲載されている。再度調査しますが、2ヶ所に在ったものと思われる。
高蔵神社の「手水舎」は当会理事の泉さんを含めた8名の献納が明記されています。
高蔵神社手水社

高蔵神社正面
高蔵神社正面

高蔵神社の「流造」(切妻・平入り)
高蔵神社流造

京都府総合資料館所蔵の明治の「高蔵神社境内等」
高蔵神社境内図


諏訪神社由緒縁起
 京都府綾部市(物部地区)西坂町にあるこの「諏訪神社」は源頼朝の命で建久4年(1193)に信州上田城主の上原右ェ門丞景正が丹波の国何鹿郡(いかるがぐん)の地頭職に任ぜられ、物部町高尾に城郭を築き、信州一ノ宮・諏訪明神の分霊を祀ってこの「諏訪神社」を建立。何鹿郡では「地頭職」の名前はこの上原氏のみ判明している。御祭神は「建御名富神と姫神八坂刀売神」であり、境内社は稲荷神社もあり、十月十七日の秋祭りには「高蔵神社の神輿」が立ち寄り、宮司、自治会長等が参拝する。
諏訪神社
諏訪神社

綾部の文化財

於与岐八幡宮とその文化財(於与岐町)

今回は、綾部市於与岐町(舞鶴市の境)にある昭和59年4月14日京都府登録「無形民俗文化財・於与岐八幡宮の祭礼芸能」、昭和60年5月15日同登録文化財「八幡宮本殿一棟」、同日・府決定「八幡宮文化財環境保全地区」です。
京都府決定「八幡宮環境保全地区」
於与岐八幡宮環境保全地区

於与岐八幡宮
於与岐八幡宮

京都府登録文化財の於与岐八幡宮本殿一棟
八幡宮本殿

京都府登録・無形民俗文化財「於与岐八幡宮の祭礼芸能」天狗の鼻高の舞い
天狗の鼻高

この祭礼は10月第3日曜日午前8時45分位いから始まり午前中で終了です。神輿4基の前で獅子舞、天狗様の鼻高の舞等が奉納されます。
詳しくは、ここをクリックしてください

綾部の文化財

京都府登録文化財・淵垣八幡神社本殿と境内社(淵垣町)

美しいヒバの生垣に囲まれた、この淵垣八幡神社は綾部市渕垣町にあり、丹波国守「仁木頼章」が康永2年(1343)に造営した建物を,元文4年(1739)に氏子が再建したものと棟札からわかる。禅式様式を取り入れた神社建築であり、中世の建築を近世風に仕立てなをした好例である。康永期の大工は藤0謀である。妻飾りは虹梁「大瓶束」で大瓶束及び頂分の花肘木は禅宗様でこの建築物の見所である。元文の改修では向拝・屋根・軒などの縁周りを新しくしたもので、本殿は身舎(軸部と妻飾)等の主要部分には康永期の部材を残している。室町時代康永期の部材として身舎の円柱12本、長押・頭貫・妻飾の大瓶束・花肘木があげられる。(注)「あやべ歴史のみちより一部抜粋」
淵垣八幡宮本殿(京都府登録文化財)
淵垣八幡宮本殿

境内社
淵垣八幡宮境内社

その他詳細はここをクリックして下さい

文化財研修記

献上・紀州梅道中その2

鍋師理事に続き、1号車で綾部市里町の岸見直さんから逆サイドから撮った行列の写真や国宝本殿前での写真、行列参列者が特別席で並んで儀式を見ている写真等を提供して頂いたのでスキャナーで撮り入力しました。
献上行列の裃姿の人々
紀州献上梅道中1

献上のお供えの供物は2つです。
紀州献上梅道中2

紀州献上梅道中3

入場後、太鼓橋を閉める神官
紀州献上梅道中4

国宝・本殿前で儀式が始まりました。
紀州献上梅道中5

特別席での行列参加者達
紀州献上梅道中6

紀州献上梅道中7

文化財研修記

献上・紀州梅道中に遭遇

なんと六月六日は「梅の日」、上賀茂神社楼門前でご案内の祢宜さまを囲んで2号車一行の記念写真を撮影し一行は拝殿に入門。私はさらに1号車一行の到着を待ち記念写真を撮影。続いて拝殿に入門かと思ったが、案内の祢宜さまに連れられて周辺の参観に向かった。すると突然ホラ貝が鳴り響き、楼門前の太鼓橋の前後の欄干に結ばれた制止縄が解かれ、山伏、法師など平安時代を思わせる紀州梅献上の一行がやってきた。(なべちゃん記)
 1号車の皆さんは、当参拝団担当の権禰宜の村松晃男さんに案内され、特別に東門を開けてもらいこの東門から入り、国宝本殿前での「今年の梅の献上儀式」を行列参加者以外は、入れない所から見られた諭旨、国宝権殿も見られたとの事です。精進の賜物ですね。(四方續夫記)
祢宜を先導にホラ貝を吹き鳴らす山伏・法師・幟・献上木札の付き人一行
献上・紀州梅道中1

僧正のあとには裃姿の代表者がつづき、さらに平安時代の烏帽子・水干姿の献上者たちがつづく
献上・紀州梅道中2

太鼓橋の上に樹木があり日傘を横にしてとおる。平安時代の市女笠(いちめかさ)をかむり高貴な姿をした娘たちの晴れやかな大人数の一行が梅を入れた笊・花を持ってとおる
献上・紀州梅道中3

大きな梅干しの張りぼての後は、献上梅の葛籠を担いだ烏帽子・水干姿の献上者たち
献上・紀州梅道中4

つぎなるは梅の笊を持ち、梅の実のついた枝を背負った梅とり姿の女人たち
献上・紀州梅道中5

なんと献上梅の一行の祭殿への入門時に合わせたように2号車の会員が本殿参拝を終えて合流
献上・紀州梅道中6

献上梅道中一行から配られた「梅の御菓子」や枝からもいだ「梅」を手に持つ会員たち、してやったりとニコニコ顔の四方事務局長
献上・紀州梅道中7

綾部の文化財

楞厳寺と文化財2

6月19日(月)朝、瑠璃寺の再度の撮影に大畠町の寺総代宅へ行くも不在、「もう一度来て下さいとの仏の声。」、帰路、綾部唯一の「関西花の寺25ヶ寺の第2番、あやべ西国観音霊場第14番の楞厳寺(りりょうごんじ)」へ立ち寄る。「花と綾部の文化財11」で紹介したが、それぞれ樹齢400年を越える3古木(椿、菩提樹、百日紅)の一つ「菩提樹」が咲き始めました。その他前回で紹介できなっかた霊水の湧く「宝筐印搭」や明治の大画家、長井一禾(ながいいっか)の屏風絵等。
3分から5分咲きの菩提樹の白い花
3分から5分咲きの菩提樹の白い花

霊水の湧く「宝筐印搭(ほうきょういんとう)」
霊水の湧く「宝筐印搭(ほうきょういんとう)」

長井一禾の屏風絵「鴉と柿木」
長井一禾の屏風絵「鴉と柿木」

長井一禾の掛け軸「鴉と夕日」
長井一禾の掛け軸「鴉と夕日」

本堂天井の「四季の花」
本堂天井の「四季の花」

もっと詳しく知りたい方はここをクリックして下さい

綾部の文化財

石田神社とその文化財等(安国寺町)

6月18日(日)は17日の雨の余波で、畑が無理なので午前中、神社撮影巡りと決めて、石田、於与岐、諏訪、九社、高蔵神社と淵垣八幡宮を廻ってきたので順次紹介の予定です。
先ず京都府指定文化財の「石田神社本殿(昭和61年4月15日指定)とその右側にある国重文の恵比寿神社本殿(西宮大明神と札が掲げられている。)」を紹介します。本殿は正面に軒唐破風(のきからはふう)、千鳥破風(ちどりはふう){破風とは屋根の切妻部分のところに打ちつける合掌形の厚板、又はその三角形のこと}を付けている。軽快な装飾で、又手の込んだ彫刻をもち、妻(つま=近世的手法)で正徳期(1771年代)のもので、大工は梅迫の四方好兵衛政重と、その長子小兵重頼、次男源兵衛重種のの親子である。国の重要文化財に指定された、本殿右側にある「恵比寿神社本殿」は西宮大明神と呼ばれ、昭和62年6月3日に指定されました。もとは三間社流造りで、その身舎(本体)部分は、本殿の小屋屋根裏に残った鎌倉時代末期・延慶4年(1311)の棟札から石田神社の本殿の前身建物(旧本殿)であろうと言われている京都府北部最古の神社遺構である。尚、この地域は「石田神社文化財環境保全地区」に京都府より指定されている。
石田神社正面と当会の駒札
石田神社大鳥居

石田神社駒札

京都府指定文化財「石田神社本殿」
京都府指定文化財「石田神社本殿」

石田神社本殿

国重要文化財の境内社「恵比寿神社本殿(西宮大明神)
国重要文化財「恵比寿神社本殿(西宮大明神)

修抜所
修抜所

ホ-ムペ-ジ「綾部の文化財・元旦初詣風景」

綾部の文化財

丹波三瑠璃寺とその文化財等(大畠町)

6月17日(土)午前中と昼過ぎ、当所ではアナグマででるのでスイカにネットの囲いを新たに購入し、準備を始めたが雨となったので中止。気になっていた楞厳寺の菩提樹を見にいくが、まだ蕾。近くの、綾部市大畠町東谷田40番地のあやべ西国観音霊場第13番札所で、かの有名な「丹波の三瑠璃寺」、この大畠町、舞鶴吉田、氷上郡(現丹波市)の小川の3瑠璃寺の一つである「大嶽山 瑠璃寺」である。寺伝によると文禄2年(1593)大畠城主大槻飛騨守が、亡き先代山城守の菩提を弔うため建立した綾部市で最も古い曹洞宗の寺であると言う。開山初祖は福知山久昌寺の初祖の威雲宋虎禅師である。本尊として祀られている「十一面千手観音像」は当初、綾部藩主九鬼公の念持仏であったと言う。九鬼公の催す法要には山主が参列し、また九鬼公も休養のためよく当寺を訪れたと言う。又、3ヶ寺の薬師堂の薬師如来像は一本の同じ楠から彫られた像という。
写真は後日の楽しみに、ご縁があったのは道に迷い探していたところ、元綾部信用金庫本店(現北京都信用金庫綾部支店)で退職された大槻氏に出会い、すぐ寺総代様に紹介され仏像の写真が撮れたことです。「薬師如来」様の像の写真は鍵がなく撮れなかったのです。「又、撮りにきなさい。」との如来様の声が聞こえます。又、戦時疎開でこの寺に宿泊した京都市日彰小学校の生徒が昭和57年に「記念碑」たて又、平成7年に還暦に同窓会をこの寺で行なった事でも有名です。
本堂前
三瑠璃寺

鐘楼
三瑠璃寺 鐘楼

本堂内(左手は達磨大師様)
三瑠璃寺 本堂内

厨子を開くとなんと見事な「十一面千手観音菩薩」様
三瑠璃寺 十一面千手観音菩

左手に「十一面観音」真中、「永平開山道元大師」右に当寺開山の「威雲宗虎禅師」様
十一面観音、永平開山道元大師、威雲宗虎禅師

十一面観音菩薩
十一面観音菩薩

薬師如来像(一本の同じ楠から彫らたと言う像)(左・右に日光及び月光菩薩様)8月8日が縁日で善男善女の参詣でにぎわいます。
薬師如来像

綾部の文化財

宝満寺とその文化財等(西方町)

本日は平成18年6月16日で、昨日6月15日は弘法大師様の誕生日でした。その終わりに、小生が参拝したこの「吉祥山 宝満寺(ほうまんじ)」は綾部市西方町大坊29番地にある高野山真言宗あやべ観音霊場第22番札所です。でありながら、撮影をお願いした訳で、大変良き日、良き縁であった。平成12年6月多額の費用をかけられ本堂を改築。小生達のあやべ観音霊場めぐりBコースではこの翌月7月に如意輪観音堂内のみ参拝で、一日13ヶ寺の参拝コースでは、本堂、毘沙門天堂など全然見る時間がなかった。今日16日朝、お訪ねすると、松本龍雄住職ご夫婦二人ともご健在で、弟の松本大円師は、知る人ぞ知る、「現在、京都の清水寺の名誉管長」である。
宝満寺正面
宝満寺

美しい境内
宝満寺境内

左「毘沙門堂」と右「観音堂」
毘沙門堂と観音堂

本堂の不動明王(極彩色はめったにない像である。)
宝満寺 不動明王

本堂の天井図(春夏秋冬花)
宝満寺本堂の天井図

本堂の見事な「欄間」(その奥に上記の不動明王様が祀られている。)
宝満寺 欄間

大日如来を左手に、右手に弘法大師様を従えた「毘沙門天」様
宝満寺 毘沙門天

左手に地蔵菩薩、右手に弘法大師様を持つ、「如意輪観音菩薩」様
宝満寺 如意輪観音菩薩

高さ十八尺の石造多宝塔の内部には「聖徳太子像」が祀られている。
宝満寺 如意輪観音菩薩

故大西良慶筆の扁額等
故大西良慶筆の扁額等

弘法大師様に「甘茶」を住職とかけ来年6月15日まで秘蔵する像。
弘法大師様に甘茶

綾部の文化財

高倉神社拝殿とその文化財等(高倉町)

今日朝、平成14年に京都府指定文化財及び神社境内一帯が文化財環境保全地区に指定された「高倉神社拝殿」へ行ってきた。綾部市はすごい、延喜式内社がなんと13社あり、お寺は約70ヶ寺もある、その延喜式内社の一つ綾部市高倉町(吉美地区)の「高倉神社」であるが、西坂町にも同じく延喜式内社「高蔵神社」があります。昨年、吉美のこの神社のかの有名な「五葉の笹」が全て枯れ、四方幸則宮司様を始め代表総代会の吉美地区の自治会長は大変だったが、今、見事に、再生しつつありますので撮影してきた。平成14年の秋の会報第55号からカラー刷りとなり、四方律夫前宮司(当会幹事)様がこのように投稿されています。「高倉神社の御祭神以仁王は治承4年(1180)6月吉美郷里へ辿りつかれましたが、矢傷が悪化し十二士や里人達の介護もむなしく崩御されました。以仁王は矢傷の腹痛の激しさの中で「私が他界したらこのような腹痛の苦しみを後世の万民が味わうことのないよう救い守護しよう」と仰せられました。人間の身体内の大切な臓器を五臓(心・肺・肝・脾・腎)といいます。笹の中にはこの五臓を活性化させる成分を多量に含んでおります。(以下略)
 又、今回掲載していないが「綾部市指定無形民俗文化財のヒヤソ踊」が10月の第2日曜日の秋の大祭に神社前で朝8時頃から、又、高倉神社里宮で昼前奉納されます。

高倉神社全景
高倉神社全景

京都府登録文化財「高倉神社拝殿」
高倉神社拝殿

大地主神社と夫婦杉(綾部の古木名木百選の一つで幹周4.93と4.65メートル、樹高42と36メートル)
大地主神社と夫婦杉

白樫(綾部の古木名木百選の一つ、幹周5.2メートル、樹高12メートル)
白樫:綾部の古木名木百選

高倉神社の杉(綾部の古木名木百選の一つ、幹周5.65、樹高33メートル
高倉神社の杉:綾部の古木名木百選

綾部の文化財HP: 「天一さんのヒヤソ踊り」および「高倉神社由縁記など

綾部の文化財

東光院とその文化財(安場町)

東光院(とうこういん)はあやべ西国観音霊場第9番札所であり、その「アジサイ」で有名である。12日午後住職を訪ねると在宅、奥様が親切で、札所は安場にあり、その管理の寺総代さんに電話をして頂き、撮影に行く。東光院は綾部市上延町堂の奥にあり、高野山真言宗である。この寺のご本尊「薬師如来像」も撮影禁止、何故か撮影禁止の秘仏は高野山真言宗に多い。寺伝によると白鳳2年(673)に開かれた古刹で、七堂伽藍を備え、大島、延、岡、安場にかけて6坊を有していたと云う。十一面観世音菩薩様をお祀りする安場町の観音堂もその一つで、かっては「法鏡山 清音寺」と呼ばれていたが、安政5年(1858)に再建されたもので、藤原時代の作とされる素晴らしい「大日如来像」「弘法大師像」も撮影できた。又、この寺に綾部市指定の大般若心経(30巻)、経櫃懸子(1組)もある。延町の当会事務局総務の森本一郎宅前にも「観音堂」があり、素晴らしい観音様が覗き見れる。又、夏には百日紅の古木の花や春には古木の桜も楽しい。

東光院の山門
東光院の山門

山門に掲示の「当会の駒札」
東光院駒札

美しい境内(古木の百日紅、桜が期待できる。)
東光院境内

安場町のかって「清音寺と云われた十一面観音堂」
東光院11面観音堂

十一面観音菩薩像
素晴らしい大日如来像
東光院大日如来像

弘法大師像
東光院弘法大師像

HP綾部の文化財:「東光院の由来記など」

綾部の文化財

上林禅寺と文化財

6月10日(土)早朝、口上林の辻本顧問宅へ記念写真を届ける。上林まで来たので、綾部市仏教会会長の黒川泰信師のお寺へ、早朝だが出かけた。車がないので、不在と思ったが有名な枝垂桜の古木の様子でも見ておこうと、玄関へ行くと住職に出会った。何と幸運なことか、会報と名刺を渡し、かの有名な市指定文化財の「本堂の襖絵34の面の大部分と「弁財天像」、「聖観音像」等を撮影させて頂いた。この襖絵は江戸末期に京都の画家・吉田元陳が描いたもので、墨一色だが、唐獅子や花鳥図、寒山拾徳等に囲まれ、聖観世音菩薩様を拝むのは大変よい風情。小生、カメラのみ持参でお供えは何もなし、ただ「感謝の気持ちのみ」をお供えした。この寺は「上林禅寺(じょうりんぜんじ)」といい臨済宗南禅寺派で綾部市八津合町村中にある。当会の理事、石原俊治さんが地元の八津合町で「当会や文化財」に又鍋師理事のるんびに学園の件でよくご存知でした。この寺の古木の枝垂れ桜と上記の襖絵は有名です。

山門
上林禅寺 山門

美しい庭園(桜の時期は最高です。)
上林禅寺 庭園

弁財天
上林禅寺 弁財天

聖観世音菩薩
上林禅寺 聖観世音菩薩

市指定文化財「吉田元陳の襖絵34点のうちいくつかを掲載」
吉田元陳の襖絵1

竹林七賢人
竹林七賢人

吉田元陳の襖絵3

吉田元陳の襖絵4

綾部の文化財

国指定史跡・重文「聖塚と菖蒲塚」古墳

6月8日(火)綾部市の吉美地区、綾部市多田町にある「聖塚と菖蒲塚」の大小の古墳は古墳時代中期のもので、菖蒲は漸く咲き始めました。菖蒲は「聖塚」の方に咲いています。「聖塚」は1辺54.2メートル、3段築成の方墳、菖蒲塚は1辺32.3メートル、2段築成の方墳である。両古墳とも段築,葺石、埴輪、周濠をもち、古墳時代中期の大型
前方後円墳と同じ築造手法をとっており、綾部地域隋一の有力古墳である。両古墳の埴輪の形式から古墳時代中期の5世紀前半と考えられている。平成4年5月6日国指定史跡・重要文化財である.
(注)菖蒲が咲くのは聖塚の方です。

聖塚古墳
聖塚古墳

聖塚案内板(市作成)
聖塚案内板(市作成)

菖蒲塚古墳(左手後方の工場群は綾部工業団地と山は「城山」
菖蒲塚古墳

菖蒲塚案内板(市作成)
菖蒲塚案内板

HP綾部の文化財:聖塚・菖蒲塚


綾部の文化財

正暦寺とその文化財(寺町)

6月4日(日)午後、「高野山真言宗・あやべ西国観音霊場第1番札所で京都府指定名勝・正暦寺の庭園」の「さつき」がどう「枯山水の庭」に影響しているか見たくなり、正暦寺へ突然お邪魔した。幸いにも玉川正信住職ご夫妻が居られ、三男の弘信師は当会の理事でもあり、又、ご本人は綾部市文化財審議会の委員でもあり、大変快く文化財・仏像の説明や撮影にご協力いただいた。又、6月26日(月)ホテル綾部の町井社長の計画で、株主の内20名が会費1万円で小浜の国の重文「羽賀寺・玉川正信住職の長男・正隆師が住職」等を訪問する予定です。勿論小生申し込み済みです。札所の「聖観世音菩薩(秘仏)」様は33年に一度数時間のみ御開帳で見れませんが、住職の写真は素人離れで、素晴らしく、3年前に秘仏開帳時の写真(之も撮れない。)が見れる。他にも綾部市指定文化財の「木造千手観音立像」の文化財を撮影させてもらいました。感謝。

綾部唯一の「楽寿観音菩薩像」と綾部大橋
綾部唯一の「楽寿観音菩薩像」と綾部大橋

楽寿観音像の横の堂内の中には、九鬼公寄贈の籠があり、これは九代藩主隆都(たかひろ)が文政五年(1822)に藩主となり、その嫁が桑名十万石松平家から嫁入りされた時、使用された華麗なる籠です。籠の内部が素晴らしい。
九鬼公寄贈の籠

同じ堂内には九鬼藩主秘蔵の「念持仏の不動明王」様で参勤交代には必ず持参されたと云う。
不動明王」

綾部市指定文化財「木造千手観音立像」
綾部市指定文化財「木造千手観音立像」

日本の水墨画を完成させた「雪舟」から第17代目と云われる、「仲春洋」の「天橋立図」右側の春の桜とその下に正暦寺が描かれ、左手側に秋風と冬の梅の襖絵。
沖春洋のインドの「霊鷲山(りょうじゅせん」と天女の図
国の重要文化財「絹本著色仏涅槃図」は絵の管理上、奈良国立博物館に寄託ですが、素晴らしい写真がみれます。
正暦寺扁額
正暦寺変額

又、下図の江戸中期の「枯山水」は
特に秋にもみじが真っ赤に紅葉し、素晴らしいお庭となります。又、境内には綾部市の銘木10選に選ばれた「欅の大木」「百日紅」など年間を通じ、萩やつつじなどの花が咲きます。
正暦寺庭園

HP綾部の文化財:正暦寺文化財詳図と 正暦寺縁起および沿革

綾部の文化財

宝住禅寺と文化財(味方町)

6月2日夏の百日紅の大木の花を予定していた「あやべ西国観音霊場第3番、羅漢山・宝住禅寺」に多くの「さつき参道」が有ったのを思い出し、突然訪問した。御住職の河野義方(こうのぎほう)師は当会の会員で幸いにも在宅、早速お願いし、気安く案内・撮影させて頂き、感謝一杯。気持ちだけながら、2ヶ所の仏像に賽銭を供える。
 さつきの参道も大変素晴らしいが、今年は特に「睡蓮」が少ないのでここの「可憐なる睡蓮」を主題としたが、今後はハス、百日紅の大木の花、そしてもみじの紅葉が期待できます。又、この寺の山号の通り18羅漢の石像が有名で、事前に予約をしておけば、「精進料理」の接待も受けることが出来ます。住所は綾部市味方町井上寺48番地で電話:0773-42-1139で、京都からだと国道27号線で綾部大橋手前の右側にあります。舞鶴若狭道だと、安国寺ICで下り、27号線を引き返すと5~6分位で綾部大橋を右手に、すぐ左側です。

恵心(えしん)僧都作と伝えられる「聖観音堂
宝住禅寺 聖観音堂

同じく「聖観音菩薩」様
宝住禅寺 聖観音像

同じく恵心僧都作と伝えられる「薬師堂
宝住禅寺 薬師堂

市指定文化財で平安末期に作られた檜の一木彫の等身大の「薬師如来坐像」、像高90.8センチメートル
宝住禅寺 薬師如来坐像

私の好きな羅漢像の一つ
宝住禅寺 羅漢像

もっと好きな「お賽銭だるま」お賽銭をお口の中へ投げ込みハイ合掌!!
宝住禅寺 お賽銭達磨

綾部の文化財

普門院とその文化財(鍛冶屋町)

慈雲山 普門院(ふもんいん)は高野山真言宗で綾部西国観音霊場第16番札所です。
所在地は綾部市鍛冶屋町定国3番地(昔、かじやさんが多くあったとのことです。)で4回お邪魔していますが、ご住職多忙のため、まだ会えていませんが、ご本尊は「十一面観世音菩薩(秘仏)」様で素晴らしいと聞いていますが秘仏で撮影不可、「大日如来像」を入力予定です。後日ご住職とお会い次第です。又、今、マーガレット・さつきが咲き誇っています。寺から眺める景色も又格別です.
この寺は正式には「慈雲山瑞泉寺普門院」といい、縁記は奈良時代初期に「行基(ぎようぎ)菩薩」が大日如来を祀って三坂峠の麓に建立した大日寺に始まります。近隣六反の長流寺、この地定国を寺域とした瑞泉寺とともに盛衰を繰り返し、天和3年(1683)にこの三ヶ寺が合寺し、今日に至っている。普門とは広く普遍に開かれた門の意味であり、どのような人をも救う観音様の深い慈悲心の現われで、普門院は正に観音様をお祀りする寺に相応しい名前です。

十一面観音堂
普門院

鐘楼
普門院 鐘楼

美しい境内
普門院 境内

石の観音像が1番~33番まであります。
普門院 石観音像

お大師様から見る景色は最高ですが、写真は上手くとれていない。
普門院 お大師像

もりあお蛙」の泡の巣、5月末池に「おたまじゃくし」が一つ落ち込みました。その後、続いて落ちます。
もりあおがえるの泡

如来堂内の素晴らしい「大日如来像
普門院 大日如来像

十一面観音堂内の「前立観音像
普門院 前立観音像

十一面観音堂内の弘法大師・不動明王像
普門院 弘法大師・不動明王像

綾部の文化財

天王寺とその境内等(小畑町)

白佛山 天王寺(てんのうじ)は高野山真言宗で、綾部西国観音霊場第17番札所です。
所在地は綾部市小畑町松原116番地にあり、お堂の格子ガラス越しに見えるご本尊「聖観世音菩薩」様は素晴らしく、又、ガラス窓越には、フラッシュに反射し撮影が出来ません。ご住職が今日、不在でしたので留守の方に撮影の許可を頂ける様「会報・日誌・名刺」を渡し依頼してありますので撮影できたら、この素晴らしいご本尊を「日誌」おうにに入力しま。
この寺は「行基(ぎょううぎ菩薩)」の開創と云われる古寺ですが、ご本尊の毘沙門天は北を守る護法神で、天王寺は丹波国の北方鎮守の役をもち、創建されたもので、かっては七堂伽藍を誇り、九十九体の仏像がお祀りされていたと云う。
 山号の白佛とは九十九歳を白寿というように99体の仏を指したものです。霊場ご本尊の聖観音像は九十九尊のうちの1体で、搭頭(たっちゅう)の観音院のご本尊であったと云ァう。残念ながら当時の像は兵火で焼失し、延宝年中(1673頃)大槻嘉右衛門氏が眼病の快癒した報謝のために再現・奉納したものです。

延命の霊水が湧き出る。さつきとのコントラスト素晴らしい。
天王寺境内

第17番札所「聖観音堂」格子とガラス越にみえますが、写真は撮れません。(撮影禁止)
天王寺 聖観音堂

弘法大師様像
天王寺 弘法大師像

延命地蔵菩薩様像(旧地蔵院の秘蔵の版木から再現されたご本尊で、毎年8月23日夜には、この地蔵尊前で盛大な「柴燈(さいとう)大護摩供養」が修される。
天王寺 延命地蔵菩薩様像

天王寺の参道
天王寺 参道

綾部の文化財

君尾山・光明寺の文化財

5月29日(月)上林の姉を所要で迎えに行く事になっていたが、早く目が覚めたので久し振りに「綾部観音霊場第33番・君尾山 光明寺(真言宗醍醐派)は京都府北部で唯一の国宝の威容を誇る建造物「二王門」を持つ。」に参拝撮影行って来ました。その歴史は深く聖徳太子の勅願で推古七年(599年)に建立された。その後、修験道の祖である「役の行者(えんのぎょうじゃ)」弘法大師の孫弟子にあたる聖宝理源大師らが、この地で修行し、光明寺は修験道の一大道場とし栄え、山上、山下に72坊を有する巨刹であったという。
 この寺は檀家が無く、今の住職・楳林誠雄師(ばいりんせいゆう)ご夫婦は大変なご苦労です。冬は積雪のため山下で下宿生活です。
 本堂の「千手観世音菩薩」様は秘仏で33年に一日のみご開帳です。(写真不可)今、本堂の裏山の「栃の木」は真っ白な花を咲き誇っていますが、国宝・二王門に向かって左手側の「栃の木」が三分咲きで、間もなく真っ白な花が咲きます。

国宝・二王門「仁治3年(1242年12月着工)建長5年(1253年5月竣工)の墨書あり
君尾山・光明寺 国宝:二王門

府指定・光明寺本堂「江戸末期天保7年(1836)に再建,同11年堂供養)」
光明寺 本堂

市指定・宝篋印塔「無名であるが南北朝時代のものである。」
光明寺 宝篋印塔

ししうど(野生のウド、猪が好むところから通称ししウドと呼ぶ。)
ししうど

光明寺からの展望:頭巾山(綾部最高峰871メートル)方面
光明寺展望 頭巾山方面

光明寺からの展望(弥仙山664メートル)方面
光明寺展望 弥仙山方面


日本最古の観音霊場、西国三十三観音霊場の開創は「中山寺縁起」によると八世紀初め頃ですが、実際は十世紀末、花山法皇の出家巡礼を契機に巡礼道が整備されたようです。室町時代以降、今生の罪と穢れを巡礼で消滅させようとする人々の願いによって、西国・坂東・秩父が百観音霊場として結ばれるのもこの頃からです。綾部地方でも時代を同じくして民間の札所巡りが盛んになり、西国三十三ヶ所にならい、前身である「何鹿郡(いかるがぐん)33ヶ寺が設定され、現在は綾部西国観音霊場33ヶ寺と番外6ヶ寺で春、秋年2回、A,B,C,の3コースで一日で13寺をバスで巡礼しています。因みに第一番は綾部市内の「正暦寺」そして最後の33番札所は国宝二王門を持つ「光明寺」となっています。(注)一部あやべ西国観音霊場1999(H1)年発行から抜粋。

あやべの街

薬膳料理と内庭

5月29日(月)姉の所要で乗用車で「KANPOU & 悠々」(赤尾漢方薬局)本町2丁目へ案内。店が大変優雅になっておりビックリ仰天、店の「坪庭」と云うより,素晴らしい「内庭」があり、漢方薬の相談から「漢方茶」の喫茶店・「薬膳料理」を愉しみながら、この素晴らしい庭が見れる。すぐ、家に帰り家内と相談し、@2,500円(税込み)を予約し3人で食べに行く、勿論、喫茶のみもOKで、極め付きは最後の漢方のお茶、小生は「漢方チャイ」ライチ、ケイカの香りに満ちたお茶は大変よかった、別途お茶のみは@550円のみの諭旨。姉と家内は「抹茶オレ」これも抹茶の苦味と豆乳で大変まろやかな味。これも@550円のみで可。
先ず「綾部の文化財」としての江戸末期のものと想定できる「内庭」
KANPOU & 悠々 内庭

庭を愉しめる和室(5~7名位が限度と思う)
KANPOU & 悠々 和室

庭を楽しみながら喫茶と食事
KANPOU & 悠々 喫茶、食事

親切な漢方薬の相談
漢方薬の相談

綾部の文化財

隋岸寺の聖観世音菩薩(和木町)

日応山 隋岸寺(ずいがんじ臨済宗東福寺派)は綾部市和木町樋の口26番地にあり、あやべ西国観音霊場めぐりの番外4番札所です。無住職ですが寺総代様達が立派に管理されておられます。
 今はシラン(紫欄)が咲誇っています。神仏混合時代の名残でお隣は日吉神社で珍しいスダジイの古木で有名です。
札所のご本尊は聖観世音菩薩様です。
隋岸寺の聖観世音菩薩

この寺への車参道は「桜」と「さつき」に覆われ約1キロメートル以上続きます。さつきが、そろそろ咲き始めました。
隋岸寺 車参道

お隣の日吉神社は古木で有名で、綾部有数の銘木「スダジイ」を入力しますが、次に樹齢約400年の大杉、樹齢250年をこえるサカキも有名です。
日吉神社 銘木「スダジイ」

日吉神社

綾部の文化財

極楽寺あやべ西国霊場19番(白道路町)

極楽寺(臨済宗東福寺派)は綾部市白道路(はそうじ)町鎌倉田にあり、あやべ西国霊場めぐり第19番札所です。前住職ご夫婦は隠居され亀岡在住で、若き独身の伊藤裕康住職が100件の檀家で頑張っておられます。美男子ですし、早く大黒様(奥様)を迎へて頂くよう祈っています。この寺は有名な大賀ハスも夏には千年の眠りをさまして咲誇ります。関西花の寺25ヶ寺に匹敵する花木が多数あります。今は、野村つつじの見事な庭園を掲載しますが、もう少しで睡蓮が咲き始め、大賀ハス、そして素晴らしい紅葉となります。
札所ご本尊は如意輪観世音菩薩様です。
極楽寺 如意輪観世音菩薩

見事な庭園の一部
極楽寺 庭園

綾部の文化財

あやべ14番札所「楞巌寺」高野山真言宗(舘町)

楞巌寺hp

(丹波のカラス寺)楞嚴寺(りょうごんじ) 綾部の文化財シリーズ (第5回) をご覧ください。 
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