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綾部の文化財

全国安国寺の筆頭・綾部安国寺のもみじ祭り

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」安国寺町寺の段1番地には全国安国寺の筆頭寺院・綾部安国寺がある。今年から秋の「安国寺もみじ祭り」は11月の第3土曜日となりました。したがって今年は11月18日(土)午前11時に四方八洲男綾部市長の「来年、平成19年10月22日の「京都の時代祭り」には足利尊氏の行列が参加することに決定しました。(略)」と発表されました。足利尊氏公は南朝に対して戦前に逆賊の汚名を着せられこの時代祭りに参加できませんでした汚名を返上です。現存する安国寺は宮城県(陸奥国)古川市の興聖山・安国寺から長崎県(隠岐国)隠岐の島の隠岐郡の富春山・安国寺、あるいは鹿児島県(大隈国)始良郡加治木町の大平山・安国寺まで41ヶ寺があり、この綾部の景徳山・安国寺が筆頭であります。国重文4点、府指定文化財2点、府登録文化財1点、市指定文化財1点を持つこの寺は「全国安国寺の筆頭」に相応しいものです。又、「全国足利氏ゆかりの会」が結成されており、会長は栃木県の足利市の市長で事務局長は綾部市長です。更に加盟は平成13度分ですが36寺社、関係団体は32もあります。平成19年10月22日の「京都時代祭り」には綾部市民も各関係者も参加の予定です。小生も「綾部あしかが会」のメンバーでもあります。足利市の本拠の「鍐阿寺(ばんなじ)」も、素晴らしい堀を持つ,城郭寺院です。もう一度、この寺と近くの新田義貞の太田市も見学計画中ですが、何しろ遠方で最低2拍3日は必用です。
「民をなで くにを 安らふ 景徳の 大悲のひかり ここにをさむる」とこの寺は歌われております。
開山堂山道門を望む紅葉
開山堂山道門を望む紅葉
天庵和尚の像
開山堂は年に数回の開扉で南禅寺出身の「天庵和尚の像」
新しく作り変えた駒札
新しく作り変えた「当会と安国寺との共同作成」の駒札
挨拶される四方綾部市長
挨拶される四方綾部市長
表千家の野点
大人気な表千家の野点
位田高城太鼓に胸を躍らせ聞く多数の参詣者達
有名な位田高城太鼓に胸を躍らせ聞く多数の参詣者達
村田社中の「琴と尺八」
村田社中の「琴と尺八」聞き惚れる人々

関連記事は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/205.html

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綾部の文化財

綾部九鬼藩主の菩提寺と文化財

「花と綾部の文化財シリーズ第61回目」の記念すべき投稿であり、小生の綾部中・高等学校で同級生であり、惜しくも平成12年2月57歳の若さで亡くなった故・姫坂隆義先代住職を偲び「臨済宗妙心寺派・隆興寺(りゅうこうじ)」に決めた。
京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」神宮寺町上藤山2番地にあるこの臨済宗・妙心寺派の「瑞應山 隆興寺」は歌に「慈悲の目に にくしと おもうものはなし とがあるものは あわれまします」歌われている。江戸時代には、綾部九鬼藩の菩提寺であり、初代藩主九鬼隆季(くきたかすえ)が寛永10年(1633)幕府はあくまで新規に徳川家光が贈ったことで2万石で入部したこととした。しかし実際は、隆季が綾部に来てから、同母弟の隆重(たかしげ)に福知山市の飛地、現在の三岳にある500石をを与え、旗本として独立させておりますので綾部藩は19,500石となります。(大阪府三田市に同族の三田九鬼家3万6千石がありますが、これを説明すると論文になりますので下記をクリックして見てください。)隆季の墓はここになく鳥羽にあります。初代隆季公から第10代隆備(たかとも)で明治を迎え、子爵になります。この綾部九鬼藩主は現在も子孫が和歌山の世界文化遺産登録の熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)の宮司家とし存続し、先代の宮司様のお墓はこの「九鬼家の墓地」にあります。往時は綾部九鬼藩の菩提寺として、藩内に臨済宗末寺数ヶ所を持ち、寺門隆盛を極めておりました。今はご本尊を「釈迦如来」とし、綾部西国観音霊場第2番札所で、33ヶ寺の内唯一「馬頭観音」様をお祀りしています。又、大正始めのスペイン風邪による病没者ののために西国33ヶ寺の石仏も祀られております。寺宝であった九鬼家系図は今の和歌山県「熊野本宮大社」へ貸し出し中です。綾部西国観音霊場第2番札所であるこの隆興寺はご本尊は「釈迦如来」そして33ヶ寺と番外6寺のうち唯一の「馬頭観音」様が札所で、通常は馬の顔を胴体が人間のお姿のもありますが、当寺のは違います。次の写真を見て下さい。
隆興寺の美しい境内
美しい境内(入り口)春の白・紫の藤のコントラストも素晴らしい。
紅葉の庭と観音堂(本堂)
美しい紅葉の庭と観音堂(本堂)が見える。無料駐車場は寺院前の上あります。山門前は駐車できません。志納料をお供えすることにより、檀家以外でも馬頭観音像が拝見できます。
ご本尊の釈迦如来像と馬頭観音像
ご本尊「釈迦如来像」とその前が「馬頭観音像」
釈迦如来像
後ろのご本尊「釈迦如来像」
馬頭観音像
ご本尊前の「馬頭観音像」
綾部九鬼藩主の歴代の墓
綾部九鬼藩主の歴代の墓(初代は鳥羽にある。詳細は下記をクリック願います。)
西国33ヶ寺の石仏の一つ
大正始めのスペイン風邪で多数の方々が亡くなられ、その供養として建てられた、西国33ヶ寺の石仏の一つ。

平成16年11月30日(金)当会創立35周年記念講演「綾部史談会長・山崎巖先生」の講演文他。
http://www.ayabun.net/35nen/kinen/kinen.htm
http://www.ayabun.net/35nen/kuki/kukisiryo.htm
http://www.ayabun.net/minzoku/sanda/sanda.html

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文化財研修記

京都の国宝を訪ねてのHPをアップ

今春実施した綾部の文化財を守る会の研修旅行「京都の国宝を訪ねて」のHP{東寺」「上賀茂神社」「下鴨神社」の3編を完成させアップしました。
またプリントして明日の秋の研修バス2台の中で回覧します。HPとブログの2種をつくりました。昼食時に回収して今回も前回と同じガイドさんに見せ、帰路のバスで2種を入れ替え回覧する予定です。
東寺(金光明四天王教王護国寺)
東寺(金光明四天王教王護国寺):「瓢箪池」に咲く菖蒲を背景画像にあしらいました
http://ayabun.net/kensyu/toji/tojihp.html
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
賀茂別雷神社(上賀茂神社):「献上梅道中」の平安京姿の女官たちが背景画像です
http://ayabun.net/kensyu/toji/kamojinjya.html
川合神社・賀茂御祖神社(下鴨神社)
川合神社・賀茂御祖神社(下鴨神社):「糺すの森」をHPの背景画にあしらいました
http://ayabun.net/kensyu/toji/simokamojinjya.html

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綾部の文化財

臨済宗・梅巌寺とその文化財

小生の「花と綾部の文化財」は投稿60回目になるので、もっともご縁のある方の所と決めた。20数年前に小生の父母の葬儀の陪僧を勤めて頂いた岩佐寛海住職のお寺です。京都府綾部市「もと(何鹿郡)いかるがぐん」下八田町水崎26番地には綾部西国観音霊場第6番札所であり、現在は臨済宗妙心寺派の寺であるが、もともと健武年間(南北朝時代)に真言宗の大寺として威容を誇っていたと言う。室町時代には大火のために廃寺同様となったが、この下八田地区が山家藩谷家の領地となって後の元禄年間(1700年代)に再興され、福井県小浜市(此処は大変国宝や重文のある寺が多く、今春の研修旅行記にも国宝の明通寺を記載した。)の常光寺より禅師を迎えて現在の臨済宗に改められた。この寺住職は又花木が好きで,平成五年には境内に紅白梅45本が植えたれたとの事。この寺は「瑞雲山 梅巌寺(ばいがんじ)」と云い、正に「梅の巌」の名にふさわしい。この寺を歌った歌は「実りには 花もやさかん 梅巌寺 草木のすえも ともになびきて」、本堂には江戸時代末期の文政3年(1820)に小畑(おばた)の3社祭りの小畑の屋台の裏の龍の絵が描かれ、その時、72歳で候、素后の署名と落款があり、はその絵を画いた本名は長谷川素后(はせがわそごう)であり、山家藩谷家のお抱え絵師であったので山家素后(やまがそごう)とも呼ばれていた絵師の貴重な禅画襖絵4幅が画かれている。それを撮りに行ったったのだが、この絵とご本尊十一面観音、室町時代の庭園があることのみ頭にあり、夏にダウンして古木の「百日紅(さるすべり)」の木の撮影ができなかった。今回、4幅の禅画とご本尊、室町庭園を撮影したが、そればかり頭にあり、吉美小学校の授業の一環で年数回サッカーを教えている日であり、コーヒーのみ頂戴し、サッカー指導後、家で梅巌寺の資料を見ると、ご本尊左横に恵心僧都の手による一刀彫の等身大の地蔵菩薩立像と右側には、達磨大師の坐像があると記されていた。そこで、住職に電話するとその通りで、小生が聞かなかったので「云わなかった。」諭旨であった。又、冬の梅巌寺も趣があるのでその節、撮らせて上げるとの事。又、コーヒーのみに来ててよ!!雑談しようとの事であった。今回は素后の禅画2幅、室町時代の庭園、ご本尊、綾部の大本教の教祖・出口直さんが修行された綾部の霊場・弥仙山「(みせんさん)丹波富士とも云う。」が表庭園から見える所を入力しました。冬にその風景や残りの素后の2幅の禅画や恵心僧都の一刀彫の地蔵菩薩像を期待して下さい。
本堂前の紅葉
本堂前の紅葉(もっと見事になります)
百日紅の木の間に綾部の霊山「弥仙山」が遠望
本堂前の庭園から古木の百日紅の木の間に綾部の霊山「弥仙山(みせんさん)」が遠望
長谷川素后の襖の禅画1
長谷川(山家)素后の襖の禅画1
長谷川素后の襖の禅画2
長谷川(山家)素后の襖の禅画2
室町時代の庭園
室町時代の庭園
ご本尊「十一面観音」様
ご本尊「十一面観音」様
観音堂からみた正面の庭園
観音堂からみた正面の庭園

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綾部の文化財

京都府何鹿郡(綾部市)の同じな名前の十二社神社

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)に関係する「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)明治10年十年出版」が京都府立総合資料館に保存されている。この資料館に保存されている「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」は国宝で毎年秋には無料公開されることで有名だが、小生が「綾部の文化財を守る会」の事務局長を4年前元綾部市々市会議長であった塩見一麿事務局長から(当会の会報17から30頁のものを春秋2回500部発行している。)引き継いだが、その会報一部をこの資料館へ送付する件が抜け資料館から、塩見氏経由小生へ55号以降の会報59号の送付依頼を受けた。今秋号は62号です。詳細はほとんどホームページ委員長の鍋師有理事に入力をお願いしている。当会は現在設立38年目に当たります。さて、元に戻り、「式内社神社考証(しきないしゃじんじゃこうしょう)」と我々、綾部史談会の者は略して呼んでいる物には京都府何鹿郡(いかるがぐん)には12の式内社があり、当時は写真技術が無いので「カラー絵」12社が見事に描かれている。小生はこの資料館のデータベースから承認をえて、取り出しもっている。次いで綾部市資料館には「明治十六年四月発行の丹波国何鹿郡(たんばのくにいかるがぐん)神社明細帳」の写しがあり、この綾部市にはまったく同じ名前の「十二社神社」2つあるのを知り皆さんに見てもらうことにした。一つは、東八田地区の梅迫町(うめざこちょう)内谷、もう一つは口上林地区の佃町(つくだちよう)にある。「何鹿郡神社明細帳」にはいずれも村社であるが、郡内でまったく同じ名前の古社が2つも有るのは珍しい。梅迫町の「十二社神社」の祭神は「伊射那美命(いざなみのみこと)」、境内社は三ノ宮神社:祭神は大山祇命、武大神社:祭神は須佐ノ男命、聖大神:祭神は保食命、稲荷神社、であり、佃町の「十二社神社」の祭神は二柱、即ち、
伊射那岐命(いざなぎのみこと)と伊射那美命(いざなみのみこと)で古い時代紀伊国「熊野神社」より勧請したと記され、又、境内社は四社、春日神社:祭神は天兒屋根命、八幡宮:祭神は応神天皇、大神宮:祭神は天照大日要命、愛宕神社:祭神は火産霊命(ほあかりのみこと)と記してある。
梅迫町の「十二社神社」
梅迫町の「十二社神社」通常は二柱で夫の伊射那岐命(いざなぎのみこと)と祀るのだが伊射那美命(いざなみのみこと)のみである。
境内社は三ノ宮神社,武大神社、聖大神
境内社は三ノ宮神社:祭神は大山祇命,武大神社:祭神は須佐ノ男命、聖大神:祭神は保食命、ご神体は岩石ばかり。
村社ながら拝殿と本殿を持っている
村社ながら拝殿と本殿を持っている
佃町の十二社神社
佃町(つくだちょう)の十二社神社は通常の如く,二柱即ち、伊射那岐命(いざなぎのみこと)と伊射那美命(いざなみのみこと)を祀っている
二の鳥居と本殿
二の鳥居と本殿
村社ながら中々の彫の本殿
村社ながら中々の彫の本殿
境内社は四社、春日神社、八幡宮、大神宮、愛宕神社
境内社は四社、春日神社:祭神は天兒屋根命、八幡宮:祭神は応神天皇、大神宮:祭神は天照大日要命、愛宕神社:祭神は火産霊命(ほあかりのみこと)

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綾部の文化財

300年間続く建田の金比羅宮宝永講秋季大祭

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)武吉町浦入14番地の浦入源伍氏宅で11月10日(金)「建田(たった)の金比羅宮宝永講秋季大祭」が催された。これは今から300年の昔、いわゆる天下分け目の合戦の後遺症で圧政に耐えられず、当時約200戸、武吉(たけよし)・佃(つくだ)・忠(ただ)村の地元民は、子孫と村の将来を考え窮状打破するため生命の危険を冒し、江戸幕府へ直訴(実情を訴える、直訴者は通常断罪)することを決意し、当時唯一集まりが許される神仏の崇敬講に着目し、金比羅講に結集、協議した。直訴には各村から一人ずつ3名の若者が選ばれ、内一人は母子二人暮らしであったが、息子の壮途に憂いを残さないため母親は自決した。3人はこのような村人の信心、あらたかな神の加護、窮状に共感をえて於与岐(およぎ)の素封家:吉崎氏より旅費の供与を受け直訴に出発し、すぐ様、追跡にあったが多くの人々や神仏に助けられ、無事に江戸幕府へ直訴を成し遂げた。このことは当時では全国的にもまれな幸運な成功であった。3人の帰路、藩の追及がその若者に及ぶことを恐れ、国境の通称いなば境で村役達は出迎え、ほんの心尽くしで、大根,柚子、唐辛子の生切れの肴で慰労会を開き、若い三人の身の安全のため、因果を含め今後地元へ帰還することなく潜伏生活を依頼した。ついで三人の偉業を子々孫々に顕彰するため、併せて神の加護を感謝して,今後1千年間金比羅講を続けると約束した。
 今年は11月9日(木)午後5時秋季大祭前夜祭11月10(金)午前6時秋季大祭・遥拝式、それから特別祈願拝(これは、家の中に入り久保宮司様による御祓いを受ける)志納料は各自の自由だが一人千円から、1万円もお供えされる人もある諭旨)午後3時頃秋季大祭終了報告会、その後、佃町からの出迎えを受け「戸渡しの儀式」をえて佃町の民家の講元へ、そこで「遷座式」が行なわれ、平成18年11日10日から翌年の11月10日まで毎月10日に月礼祭が行なわれる。そして、平成19年11月10日には忠町へ、平成20年11月10日には再び武吉町の民家へ遷座される。この浦入家の裏庭には「天正八年(1580)正月廿八日 奉斎 堀 土佐守藤原宗光 」の石碑と巨大な古木の梨の木があった。浦入の地名を姓に持つこの浦入氏は元地方の豪族であったと思慮する。参拝者は昔、数千人だった諭旨、だが今でも1,700~1,800名参拝される。当会の会員吉美地区里町の木下清氏も参拝されたのに出会った。駐車場も地元の消防団の方々の案内で安心で無料です。
たったの金比羅宮宝永講秋季大祭
賑わう「建田(たった)の金比羅宮宝永講秋季大祭
こんぴら大祭福引き会場
こんぴら大祭福引き会場
絶え間ないお参りの人々
絶え間ないお参りの人々
絶え間ないお参りの人々(2)
絶え間ないお参りの人々(2)
特別祈願を受けられるご夫婦
特別祈願を受けられるご夫婦
秋季大祭終了式に参加する3ヶ町の代表講員
3時からの秋季大祭終了式に参加する3ヶ町の代表講員
「戸渡しの儀式」
「戸渡しの儀式」に参加する役員,いわれある大根、柚子、唐辛子の三種を使った膳

詳しくは綾部の文化財会報集録のこちらも併せてご覧ください
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/tatta/tatta.html

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綾部の文化財

国重文・木造阿弥陀如来坐像を祀る医王寺

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)梅迫町内谷岡ノ段22には「昭和16年11月6日に国の重要文化財に指定された木造阿弥陀如来坐像を持つ医王寺(いおうじ)」がある。これは、足利尊氏の子、2代目将軍義詮(よしあきら)の時代、諸国安国寺の筆頭の綾部の安国寺の支院28寺の一つである。安国寺町が安国寺をお守りしているのだが、この地、内谷は梅迫町にあり、江戸末期の何鹿郡の地図を見ると、内谷には「安国寺村ノ内」と記されている。小生4年前「綾部の文化財を守る会」の事務局長になった時、当会がこの寺に昭和56年に改定の「駒札」自治会と共同で作成した物を撮影に訪れたが、当時の寺総代に案内され、田圃道を運動靴で通り、滑って田の中に落ち泥だらけになり、駒札のみ撮影し、仏像の写真が撮れなかったので今回、綾部西国観音霊場33ヶ寺目巡り(前は何鹿郡(いかるがぐん)西国観音霊場巡りといい、室町時代頃からの起こったものと云われている。)の日に当たっていたが、予定がぎっしりなので、寺総代にお願いし、無理を云い、藤本住職、役員20名は、朝から山に祈願で登り不在なため、現在の寺総代の奥さまと4年前案内して頂いた総代の奥さまに案内して頂き、仏像の写真を撮ることになり、前回で懲りたので、長靴姿で行くとビックリして居られた。今回は別に道が作られ、大部整備され比較的容易にいけるが、仏像は町内の人でも簡単には見れない。年数度のご開帳のみである。まして、他地区の方は、見せてもらう理由を藤本安国寺の住職か、寺総代にいい志納料をお供えし、特別な仕掛けの扉を開いて、見せてもらうことになる。現に今回の開扉には女姓の力では開けれず小生が「うんうん頑張り、所定の開き方に従って開扉」し撮影したものである。この像は「木造阿弥陀如来坐像」と云い、鎌倉時代の元享元年(1321)作者:法印尭円、像高70.9センチメートル。端正な姿で定印を結び、玉眼入りで、着衣に鳳凰や蓮華唐草文を粉留め技法で表し、彩色で仕上げている。如来像は普通衲衣だけつけるが、この像はその上に袈裟をまとう姿となっている。胎内背面に「元享元年三月法印尭円」の署名があり、製作年代と作者がはっきりしている貴重な物である。尭円は京都三条仏所の十一面観音像等を彫った有名な仏師である。参考文献:綾部市資料館発行「あやべ歴史のみち」2000年発行である。又、すぐ近くに村社であるが、伊佐那美命を祀る十二社神社がある。又、綾部市口上林地区の佃町(つくだちょう)に同じ名の十二社神社がある。この点は後日掲載する予定です。なお、すべの「日誌」の写真上をクリックすると写真が拡大し、仏像等を詳しく見れます。
当会と内谷自治会・市観光協会の共同制作の駒札「医王寺」
当会と内谷自治会・綾部市観光協会の共同制作の駒札「医王寺」
重要化財「木造阿弥陀如来坐像」
国の重要化財「木造阿弥陀如来坐像」
地蔵菩薩立像
地蔵菩薩立像(年代等不だが相当古いものである。座高40CM位)
聖観音立像
聖観音立像(年代等不明だが相当古いものである。座高40CM位)
達磨大師像
達磨大師像(相当古いが年代不明、座高35CM位)
外の地蔵菩薩石像
外の地蔵菩薩石像

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綾部の文化財

諸国・安国寺の筆頭の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)安国寺町寺の段1番地にある「景徳山 安国寺 臨済宗東福寺派」は文化財の宝庫です。国重文4点、京都府指定文化財2点、京都府登録文化財2棟、綾部市指定文化財1点があります。又、綾部随一の紅葉の名所で知られ、例年11月の第3土曜日に「安国寺もみじ祭り」が催行されます。今年は11月18日(土)がこの祭り日です。近畿自動車道舞鶴・若狭道の「安国寺IC」を降りると、足利尊氏公の銅像があり、無料の駐車場もあります。大型バスの駐車場からは歩いて3分です。尚、当日は午前11時からセレモニー開始で、紅葉に加えて、有名な位田高城(いでんたかしろ)太鼓午前11時20分~、琴と尺八は村田社中で午前10時~午後3時まで演奏、野点・もちつき、模擬店も「うどん、弁当、ジュース、ビール、酒、あんもち、あべかわ、やきいも、地元産品等」が販売されます。滅多に見られない国の重要文化財「木造釈迦両脇侍坐像」が無料で公開され、藤本住職が案内されます。尚、この安国寺は、正歴4年(993)ころに地蔵菩薩を本尊として、開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。建長4年(1152)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とするようになった。その「上杉の姓」は関東管領から、かの越後国の上杉謙信公に引き継がれたことは、ご承知と思う。その後、嘉元3年(1305)足利尊氏公の生誕によって当寺は上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。歴応元年(1338)足利尊氏公は夢窓疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺・利生塔(りしょうとう)を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においた。康永元年(1342)尊氏公は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭(たっちゅう)16、支院28を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に、大半の寺領は押領されて、塔頭・支院は減少したが、いまなお多くの重要文化財、府・市指定文化財,重宝等を蔵する名刹である。
足利尊氏公うぶ湯の井戸
足利尊氏公うぶ湯の井戸
山門(府登録文化財)
山門(府登録文化財)
安国寺の紅葉
安国寺の紅葉(11月18日(土)のもみじ祭りには更に美しくなります。)
安国寺の仏殿(府指定文化財)
安国寺の仏殿(府指定文化財)
国重文「木造釈迦・両脇侍坐像
仏殿内部の国重文「木造釈迦・両脇侍坐像(きづくりしゃか・りょうわきじざぞう)」
国重文「木造地蔵菩薩半跏像
同じく国重文「木造地蔵菩薩半跏像(きづくりじぞうぼさつはんかぞう)」
市指定文化財「宝篋印塔」左母・清子、真中・足利尊氏公、右手妻・登子
市指定文化財「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」左母・清子、真中・足利尊氏公、右手妻・登子

関連記事は下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bnk/sinzan/sinzan.htm
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ankoku/ankokuji.htm

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綾部の文化財

臨済宗南禅寺派の一等寺院・玉泉寺の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)武吉町(たけよしちょう)50に臨済宗南禅寺派の1等寺院(1~3等にわかれている。)の「玉泉寺」がある、この寺のご本尊は釈迦・文殊・普賢菩薩の三尊像を祀る。梅林山と号し、慶長6年(1601)能登山獄峰禅師の開創といわれています。この三尊もさることながら、如来堂があり、中には昭和63年4月1日に綾部市指定文化財となった素晴らしい「木造大日如来像」像高90.8センチメートルで、この像は元は武吉町の深山にあった薬師寺に祀られていたが、天正の頃、明智光秀が丹波攻めの時、福知山城を築く時寺の建物を壊し運んだため、村人が諸仏を移し庵に祀ったと「丹波誌」に記された像であり、それから今日まで「大日講」より守られてきた。寄木造りで上半身は平安時代末期の様相をもったつくりで、膝が扁平であり、襞の彫の形式化などがみられ、鎌倉後期のものと言われる。又、昭和50年9月11日綾部市指定文化財となり保存の関係上、京都国立博物館に寄宅してある、「紙本淡彩墨画白衣観音図」を綾部市資料館から提供して頂いたので掲載します。白衣観音は「菩薩の心は白処に住す」と云われるように15世紀頃から頭から布をかむりきわめて実人物的に描かれており、観音の中でも、最も女性的な優しさが表現されています。この図は京都の臨済宗東福寺派本山東福寺に住した、画僧明兆の弟子・霊彩の描いたもので、室町時代中頃のものである。粘りのある線で描かれ、人物が画面に対して小さく、周囲に景色がはいり山水画に近い趣がある。
玉泉寺山門
玉泉寺山門
ご本尊・三尊像
ご本尊・三尊像
臨済宗南禅寺派本山の長老の揮毫
臨済宗南禅寺派本山の長老の揮毫
美しい庭園と鐘楼
美しい庭園と鐘楼
綾部市指定文化財「木造大日如来像」
綾部市指定文化財「木造大日如来像」
綾部市指定文化財「紙本淡彩墨画白衣観音」縦93.1CMx横37.7CM
綾部市指定文化財「紙本淡彩墨画白衣観音」縦93.1CMx横37.7CM

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綾部の文化財

癌を癒す久田山妙見宮

大正15年発行の何鹿郡誌(いかるがぐんしで今の京都府綾部市)久田山妙見宮とその側の檜は大正15年13名木の第10番目で周囲3.40メートルと記載されていたので、小生が平成14年に胸の高さで紐をめぐらし、計ると周囲3.74メートルでした。通常、丹後の樹齢係数は檜は1なので374年となるが、実際はこの80年間で34センチメートルしか大きくなっていないので、推定樹齢500年以上と思われる。実際500年と何処かの本で読んだ覚えがある。又、この久田山(きゅうたやま)妙見宮は綾部市の臍にあたり(市の中心)、大阪府能勢町にある有名な能勢の妙見宮を文久年間(1861)に勧請し、広野の20戸で守護す、又、この北斗星(妙見菩薩)を祀る妙見宮は真北に向かい、幸福と健康、癌病に霊験あらたかといわれる身代わり妙見さんとして江戸時代は毎年多数の人々がお参りしたと言う。当初この大檜の前にあったが昭和59年発行の「吉美村誌第2巻」には明治13年に今のところに石碑と共に遷したと書いてある。尚、今は綾部市の吉美地区の里町の久田山にある綾部市資料館の無料駐車場から容易にいけます。又、綾部市資料館では「第14回秋の特別展」を200円で観れます。詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/186.html
樹齢500年の大檜
樹齢500年の大檜
久田山妙見宮(本堂)
久田山妙見宮(本堂10畳2畳の床の間)
本堂内部
本堂内部
石碑(南無妙法蓮華経が刻まれた,縦80CM、横30CMの河原石、烏帽子形)
石碑(南無妙法蓮華経が刻まれた,縦80CM、横30CMの河原石、烏帽子形)

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綾部の文化財

第47代総理大臣芦田均先生は本来なら綾部人である。

10月22日(日)に京都府福知山市にて第44回両丹地方史研究会に参加した事は、以前掲載した。その時、小生の所属の「綾部史談会」で古文書を読む指導をして頂いている村岡敬公(ひろまさ)先生が山家谷藩の滋賀郷(綾部市のしがさと)大庄屋へ芦田鹿之助の弟(芦田均元総理大臣んの叔父)が養子に入り、後、グンゼ三代目遠藤三郎兵衛となった。その芦田均元総理大臣の実家は福知山市字宮36番地で平成14年5月18日この地に「芦田均記念館」建設、オープンした。江戸時代はこの宮村は綾部九鬼藩の山裏組と称する所であって、その父、鹿之助は綾部九鬼藩宮村の大庄屋でもあった。芦田均元総理大臣は精錬潔白で、政治資金を上手く集めることが出来ず、綾部の叔父の遠藤三郎兵衛氏に3度も政治資金の依頼文を書いているのを、小生自身読んでいる。その証拠に末娘・るり子を遠藤家の養女として幼少の頃から出し、遠藤るり子は滋賀小学校をでているので家族の写真には入っていない。るり子さんは大蔵官僚と結婚され、横浜に居住、4年前に亡くなられ、息子さんは綾部に余り縁がないが、土蔵の内部の文書等全て綾部市に寄贈され、現在、毎水曜日、綾部史談会々員10余名が読んでいる次第ですが、何しろ数千点もあり、面白く珍しいのは文化文政期から明治にかけて約240通もの女性の手紙があり、この点について村岡先生は発表された。小生3度目の訪問となるがこの「福知山市芦田均記念館」を訪れ、写真を取らせて頂けたので掲載します。入場料無料、バス乗用車も無料の駐車場があり、火曜日は休館で午前9時から5時閉館です。何時も思うのだが、当館オープンの時の元総理大臣中曽根氏のお祝いのことば(要旨)-(一部略)マッカーサー指令部から示された憲法原案、特に第九条一項について、日本国権の発動たる戦争と国際紛争を解決する手段として戦争をしないことを約束された。(一部略)これは間違いであり、これを修正することを決めて衆・参議員をまとめてマッカーサー指令部へ申し入れ実現したのは芦田憲法改正委員長でありました。(一部略)自衛権は法律以前の問題で人間として存在する以上基本的人権として認められるものである。(一部略)国会で議論され、芦田先生がまとめられて「第二項の冒頭に、前項の目的を達成するために」という言葉を入れた。つまり自衛隊は認めるんだと、そういうことを前項の目的を達成する意味を込めてマッカーサー指令部に認めさせた。(一部略)以下,小生の意見です。その御蔭で今日の日本があり、いよいよ本格的に憲法を改正、集団自衛権を認め、北朝鮮に対しても小生は核持込は認めるべきだと思慮する。
福知山市芦田均記念館
福知山市芦田均記念館
記念館内部1.
記念館内部1.
記念館内部2.
記念館内部2.
実家の本屋は明治に焼ける前の画
実家の本屋は明治に焼ける前の画(今は資料館)
素晴らしい庭が見れる。
素晴らしい庭が見れる。
叙勲記念碑
叙勲記念碑

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綾部の文化財

伝統を誇る綾部の菊花展

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがるん)で「綾部市菊花展」が11月3日(祭)から5日(日)の3日間のみ開催されている。11月4日(土)朝9時、四方八洲男綾部市長、綾部市菊花会々長の西村隆氏(元中学校で小生の子供の恩師)が挨拶と表彰式があり、それを撮影した。昔は「綾部菊人形展覧会」が京都府で一番有名であった。菊人形の体内に「水入」を居れ、菊人形の菊の茎を刺して、創っていくのだが、それでも1週間しか持たないので2週間の展示となると、一度、菊花を総入れ替えが必要ですので今は菊人形の展覧会は無いが今回1点のみ展示している。しかし、その菊花作りの伝統は今でも残り、498点が展示されている。大阪府では枚方市の京阪枚方駅前の「枚方パークの菊人形」が有名でつい数年前まで展示していて、小生も数回見に行ったが、枚方パークの閉鎖に伴いなくなった。綾部に残る菊花展はその伝統を誇りとし、今も3日間展示される菊花は生きた「文化財」と言える。
綾部市々長賞の菊花
綾部市々長賞の菊花
綾部市菊花会々長賞の菊花
綾部市菊花会々長賞の菊花
大人になった悠仁親王様
特別賞は唯一の菊人形「大人になった悠仁親王様」
見事な菊花
見事な菊花
菊花会々長西村隆氏
挨拶される綾部市菊花会々長西村隆(もと教師)氏
菊花の盆栽その1.
菊花の盆栽その1.
菊花の盆栽その2.
菊花の盆栽その2.

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綾部の文化財

小畑三社祭、やっこ振り

小畑村史は作られていないので「豊里村史」から集録しました。
小畑祭は、古来郡内でも有名な祭であって、その賑かさは、近郊の祭礼中、最も人出の多いのは吉美高倉神社の祭 最も盛大なのは小畑の馬場といわれている
シグルマの行列
毎年旧9月16日が祭日である。馬場は鍛冶屋、幅三間・長さ一町半許り。15日の夜は、宵宮といって、各々氏神前で祭礼を行い、翌16日は、中、鍛治屋、小西の三部落より、神輿四社・屋台三社、その他鉾2つ以上、獅子各々1宛の渡御がある。
勢揃いした御輿
当日は正午を期して、各部落共氏神境内に参集し、勢揃いして馬場に向う。その行列を「シグルマ」と称し、神木・金弊・木鉾・御旗を持ち、20~40名の壮者が袴の股立をとり、鉢巻を締め、白張に身を固めて神輿を担ぎ、獅子・鉾などが前後して続く
2基並んでくる屋台
次に祭礼組(屋台の練り込みを行う仲間)は、先箱・神弓・ミケシ立傘・台傘・槍を両側に配し、その中に大・中鳥毛を打振って供し、次に屋台が後に太鼓・鉦・笛等十数名の若者を従えて続く。これは徳川時代の大名の参観交替を擬した行列であり、神輿が全部揃うと見物の所謂練り込みが始まる
やっこふりの演出と大きく揺すられる御輿
全員宮の定紋付き平袖の襦袢を着用し。脚絆・草鞋がけの姿も凛々しく、夫々の所礼を奉納する。即ち、先箱・弓・ミケシ・台傘・槍の順序に左右に分れ、その中央で中・大鳥毛各三名宛交替で、或いは高く或いは低く掛声勇ましく振り回す。俗に云うヤツコ振り)様式は三社共異なる
屋台の後に太鼓を据え、鉦を吊し、笛を吹く者之に続く
これに続いて屋台を引出す。屋台の後に太鼓を据え、鉦を吊し、笛を吹く者之に続く。この笛・鉦・大鼓による古色豊かな合奏が奉納せられ、一曲終る毎に十二名の青年(四本柱と言う)が笛や太鼓に合せて祇園噺を歌い、屋台は前進する
やっこふりの演出と大きく揺すられる御輿
この練り込みが終ると、以前は三頭の神馬が競馬を行うこと三回を以て全祭礼が終了するのであった。(現在競馬は中止)そして神輿の還御・屋台は合奏しながら夫々の宮に帰る
子供の祭太鼓
なお、子供の祭太鼓も有名である。これも亦練り込み太鼓とも云われ、三社各様式を異にするが、祭礼の華である。祭礼の起原については詳でない



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綾部の文化財

小畑のヤッコ振り屋台

小畑の三社祭り「やっこ振り」で祭事の中心に位置する屋台の飾りを撮影した。
野菜で作った狩猟風景
一の宮神社の屋台飾りは「野菜で作った狩猟風景」サツマイモの馬に乗った騎馬武者、手足は莢豆などで出来ている。狩られる獣たちもジャガイモ、ニンジン・・で作られている
二の宮神社屋台の飾り物は「まったけ」
二の宮神社屋台の飾り物は、何と「まったけ」毎年採れたばかりの立派な「松茸」がにょきにょき!
幸せ家族の人形たち
三の宮神社の屋台は「幸せ家族の人形たち」
龍の墨絵
三之宮神社屋台の後ろ幕を飾る「龍の墨絵」屋台の付き人が古いものだと説明してくれた
長谷川素后の龍の絵
Q:四方續夫(綾部史談会古文書研究会)さま
小畑やっこ振り、三之宮神社の屋台に掛けられていた後ろ幕です、読んでください(添付写真参照)文久三葵亥仲春寫 干 年七十二 后(花押印) としか読めません。宜しくお願いいたします
A:四方續夫綾部の文化財を守る会事務局長より
小畑の屋台の龍の絵に有ったものですね。之は山家藩お抱え絵師の本名「長谷川素后(はせがわそごう)が文久三(1863年)発亥(みずのとい年)仲春(ちゅうゅしゅんと云う字(あざな)描
干O(其時)Oは候(そうろうの崩し文字)年72歳でそうろう(72歳でありました。長谷川をぬいて)素后と署名しててあるのです。
この人は多くの掛け軸や屏風を描いた人です。広小路羽室家の展示では長谷川素后の軸屏風が目立つ。と書いています。200円払い、是非3回ぐらい見ると其の趣がわかります。小生今日も、史談会の後、羽室功一氏、近澤館長の案内で又、見ました。後半に壷や皿等を入れ替えられるので又見ます。

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綾部の文化財

綾部市(何鹿郡)吉美地区の道標・石碑

京都府綾部市(何鹿郡いかるがぐん)有岡町田坂16に吉美(きみ)小学校がある。6年生全員で女子15、男子4名の19名に「郊外学習・吉美の歴史探訪」の一環として綾部史談会副会長の川端二三三郎先生に「吉美地区の道標・石碑」の案内の要請があり、小生が吉美在住の唯一会員なので大変未熟であるが案内を引き受けた。特に満志里(ましり)の回国石は全然読めず、川端先生に二度にわたり事前に読んで頂き、昭和59年発行の「吉美村誌第2巻」の説明が間違っていることが判明した。内容は、「奉納 天下泰平大乗妙典六十六部 覚法智心禅(者?埋もれて読めず。) 日月清明 寛政八辰五月十日(1796年)播州三木郡行野原(村?埋もれて読めず。) (側面に施主 木下清二郎(里町のひと)」であったが「村誌」は寛永戌辰五月吉日(1630年)と書いてあった。見学順序09:40小学校出発すぐ下の三叉路に1.「右高倉神社、左小呂(おろ)星原(ほしばら)間に道」之は明治又は大正時代と思慮する、ここから里町に向かっていくすぐ途中の右手に旧道があったと、同行の吉美ロール隊々長で吉美老人会連合会長の四方安夫氏が説明2.里町「かのこばし」とひらかな表示の橋、小生は「鹿の子橋」と聞いた事があるが、会長は漢字は知らんとのこと、ここの道標は「真ん中上に奉納、右に梅迫・舞鶴、左に高倉神社、更に左に明治四十二年七月辰四十二歳男」の表示。
3.吉美農協JA前、4.吉美JA前横、5.満志利(ましり)6.里宮高倉神社(休憩)7.追加で平和記念碑をまわり、12時に小学校に戻る
吉美小学校下の三叉路の道標
1.吉美小学校下の三叉路の道標
里町の「かのこばし」前の道標
2.里町の「かのこばし」前の道標

3.吉美JA前の道標「右宇免ざこ(現在の梅迫)、真ん中下に「道」の崩し文字が入っている、左志かむかふた(現在の志賀郷・向田町しがさと・むこうだちょうのこと)男の大人は吉美ロール隊員
塞之神神社
4.吉美JA前の道、左側に「塞之神神社」現社殿は1929年四方律蔵氏(現、吉美郵便局長・四方正和・吉美っ子応援団長のお祖父さん)の寄進・建立のもので、2005年元吉美地区連合自治会長・瀬崎祐次氏の寄進の石碑がある。4回目の移転のものです。昔は村の災いを防ぐ為、村の道の辻に祀られ「道祖神(さいのかみ)」とも呼ばれている。
回国記念碑
5.満志利(ましり)の回国記念碑は上記にて説明済み。白髪頭の大人が小生
里宮高倉神社、日吉神社
6.里宮高倉神社(正面で祭神は以仁王)左、日吉神社(祭神は大山命)、源頼政は高倉宮以仁王を担ぎ、平家打倒の戦いを挑み、宇治の平等院で死んだのは確実だが、高倉宮以仁王は鎧兜を他の人がつ付け、宇治にて死亡。綾部に領地をもつ、十二士達がこの里町へつれて逃げてきたが、矢傷で高倉宮以仁王ここでは死亡。一時ここに埋葬されていたが今の高倉町に移動・鎮座された。そこで年に一度秋祭りにここへ、お旅されるのが秋祭り。
祭りの詳細は下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/takakura/takakura.htm
平和記念碑・忠魂碑・淨圓坊新種傳播紀功碑
7.平和記念碑・忠魂碑・淨圓坊新種傳播紀功碑(じょうえんぼうしんしゅでんぱんきこうひ)
明治四十五年六月京都府知事正三位勲三等 大森鐘一 能勢正敏謹書の有岡村の淨圓坊が一人で全国を回り、土佐国から多収穫種の米の種を持ち帰り、それを広め収穫量を増やした功績を讃える碑の説明をされる吉美老人会連合会長・吉美ロール隊々長と背中を向けておられるのが担任の先生。

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図書紹介

歴代天皇事典

四方續夫事務局長より、投稿の某八幡宮の祭神について応仁天皇とあるのは誤字で八幡大菩薩=応神天皇、母:神功皇后であるとの指摘があった。
歴代天皇について文庫本「歴代天皇事典:高森明勅著:PHP文庫が出版されたので紹介する。なお綾部=漢部に関係の深い漢氏(あやし)、秦氏(はたし)の来歴についても記述があり、応神天皇の項を引用する。
歴代天皇事典
第十五代 応神天皇
御名・異名:譽田別尊(ほむたわけのみこと)生没年:?(?~394?)(?歳)、在位:41年?、父:仲哀天皇、母:気長足姫尊(神功皇后)、皇后:仲姫命(五百城入彦皇子の孫)
 仲哀天皇の死後、皇太后(神功皇后)が朝鮮に出兵し、新羅を服属させた。そして、筑紫に帰り、皇子を産んだ。こうして誕生したのが譽田別尊だが、出産のとき、この皇子の腕には肉が盛り上がっていた。それが、皇太后が雄々しく男装して鞆(ほむた:弓の弦が左臂に当たるのを防ぐためにつける革製の道具)をつけたのに似ていた。そこで、それをたたえて譽田天皇といった。
 譽田別尊は幼いときから聡明で、ものごとを深く遠くまで見通した。立ち居振舞いにも不思議と聖帝のきざしがあったという。三歳で皇太子となり、摂政として政事を行っていた皇太后が崩御すると、即位した(応神天皇)。
 応神天皇は四世紀後半から五世紀前半にかけて活躍したと考えられる天皇で、皇太后のあとを受けて、積極的な外交を行った。高句麗、百済、新羅から入貢があり、それに伴いたくさんの文化や技術も伝えられた。たとえば、応神十六年に百済から王仁が来朝し、皇太子の菟道稚郎子(うじのわきいらっこ)に諸々の典籍を教えた。この王仁の来朝により、日本に儒学が伝来されたといわれている。
 かっては、文字が日本に伝わったのも王仁の来朝によるものといわれてきたが、文字の伝来はずっと古く、一世紀には入っていたと考えられる。
 技術についても、応神20年に漢人の阿知使主(あちのおみ)が大勢の人々を率いて日本に渡来し、漢氏(あやし)となって大陸の新技術を伝えた。
 また、秦の始皇帝の子孫という秦氏が日本に渡来したのも天皇の時代といわれ、秦氏は各地に分散して養蚕、機織の技術を広めた。こうして日本は、政治、外交だけでなく、文化や学問においても国家としてより一層発展していった。
 応神二十二年、天皇が難波の大隅宮で高台に登って遠くを眺めていると、妃の兄緩(えひめ)が大いに歎いた。そこで天皇が理由を問くと、「父母が恋しく悲しくなったのです」と答え、「しばらく親元へ帰して欲しい」と願った。すると天皇は、兄緩か何年も両親と会っていないのを思い、ただちに願いを聞いたという。
 天皇は『古事記』によると百三十歳(『日本書紀』では百十歳)で崩御した。応神天皇陵といわれる誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(大阪府羽曳野市)は、国内第二位の大規模な古墳として知られている。

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綾部の文化財

綾部市資料館第14回特別展示始まる

10月28日(土)午前9時「綾部市資料館第14回特別展示」==歴史は蔵の中==が始まった。綾部藩綾部組大庄屋であった羽室家は、綾部一の豪商として藩財政を支え、近代においても綾部の経済界の一翼を担ってきた名家です。その羽室本家を今に引き継ぐ広小路羽室家の蔵に収蔵されてきた資料は、各種道具類・軸物・屏風・古文書など数千点にもなり、この質・量ともに豊かな資料はまさに綾部の近世~近代の町の歩みを物語るものです。今回、羽室家の協力を得て、初めて蔵の封印が解かれ、綾部市資料館で展示されました。午前9時、近澤資料館々長と羽室功一さんが扉を開かれました。小生が好きな、軸屏風では与謝蕪村、長谷川素后、塩川文隣、海北友松の「牧牛図」等、又多数の「染付大鉢」は圧巻です。宣徳年製の火鉢「中国の明(みん)代」のものが目立った。
開催機関は10月28日(土)~11月26日(木)午前9時~午後5時まで
入館料大人200円のみ。(中学生以下無料です。)
関連文章は下記をクリックしてください。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/186.html
綾部市資料館の扉を開かれる近澤館長と羽室功一氏
綾部市資料館の扉を開かれる近澤館長と羽室功一氏
羽室功一氏に展示の案内をされる近澤館長(1)
羽室功一氏に展示の案内をされる近澤館長(1)
その(2)
その(2)
その(3)
その(3)
江戸時代の何鹿郡(綾部市)の地図
江戸時代の何鹿郡(綾部市)の地図
保存箱
これらの大鉢等保存箱にはまだまだ入っていますので、壷等の展示は変更されますので、後半にはもう一度、見てもらいたいものです。

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あやべの街

多田立華保存会

「花と綾部の文化財シリーズ第51回」目の久し振りの投稿です。京都府綾部市(何鹿郡いかるがぐん)の吉美地区の多田町には百十数年の伝統を誇る「多田立華保存会」がある。当初は「綾部市立華保存会」次いで「吉美立華保存会」と呼んでいた感謝状があるが、この伝統技法は多田町のみでしか続いていないので、今は「多田立華保存会」とした諭旨である。今年は10月26日(木)夜7時から毎2時間、3日間かけて28日(土)の夜に四基の立華が出来上る。当初、初代保存会会長は坂口栄治郎氏、そして、池坊千賀流「立華」の技法を伝えているのだが、故・第四代目会長坂口俊二氏(現・多田町自治会長坂口俊夫氏の父上)が平成4年4月吉日にこの技法の初代初代師匠生誕135年にあたり、先代各「師匠」のご影像並びに「立華」造形写真を自費で修復し、記念に造られたこの巨大な「立華」の写真である。第5代目会長坂口忠夫氏も高齢だが、手伝いながら、指導されている。第6代目現会長堀本義照氏の承認を得て、3日間取材し、出来上がる様子を順次掲載するので期待願いたい。この4基の立華は出来上がれば、浄土真宗西本願寺派に属する綾部市中筋町の「教願寺」へ28日夜出来上がり次第に「教願寺報恩講・供立華」として供えられる。12月には本山の「報恩講」関係もあり、実際のお参りは平成19年1月6日から1月15日の間に参詣される。之は親鸞聖人の死去の日の前後10日間をも意味している諭旨である。ただ、この立華を造るのには大量の緑の松の葉が使われるので、ご承知の通り日本では松枯れが酷く、多田町も同じであり、この点を心配されている。27・28日と取材し、入力します。
池坊千賀流 巨大な立華
池坊千賀流「立華」創設初代師匠生誕135年記念に、第4代目保存会長達が平成4年4月吉日に特別作られた「巨大な立華」
立華を作りかける
大勢で集めた大量の松の葉を使い、立華を作りかける。第一日目夜7時~9時
指導する五代目会長坂口忠夫氏と現会長堀本義照氏達
指導する五代目会長坂口忠夫氏と現会長堀本義照氏達第一日目
立華が大分出来上がった第2日目
立華が大分出来上がった第2日目
同じく第2日目のメンバー達
同じく第2日目のメンバー達
第3日目ほぼ作られた「立華」
28日(土)第3日目、昼も数時間頑張り、ほぼ作られた「立華」
記念写真
同、四基の「立華」が出来上がり記念写真(会員はもっと多くこの夜出席者のみ)

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綾部の文化財

小畑のヤッコ振り資料調査

旧村部で一番賑やかな祭りと聞く「小畑のヤッコ振り」の資料を求めて綾部市図書館へ行った2冊の小冊子があった。
昭和52年3月発刊「ふるさち綾部の祭り」観光協会
一の宮神社(鍛冶屋町):祭りは10月10日、以前には有名な小畑祭の中心のお宮として盛大なお祭り行事が行われていたが、現在は神前に神輿をまつるだけになっている。
小畑祭は神輿、屋台の行列に大名行列、ヤッコ振り等その盛大さはまことに立派なものであったが、今全くそれが中止されていることは残念である。しかし道具や衣装などは大切に保存されているので、いつの日にかそれが復活されればうれしいことである。2冊とも同じように「ヤッコ振り」断絶を記録している内容であった。
一宮神社神輿準備
一宮神社神輿準備
観光歳時記一覧表
2000.3発行で現在、綾部観光案内所で配布の「ふるさと・あやべのまつり:綾部市観光協会」にも歳時記一覧表に「小畑ヤッコ振り」はない
丹の国・綾部:綾部青年会議所より
実際は昭和46年9月発刊の「丹の国・綾部:綾部青年会議所」に写真家の撮られた「ヤッコ振り」が掲載されているので、随分早くから復活していたことを地元の人から確認できた

小畑のやっこ振り:古来当地方で有名な祭りである。そのにぎやかさは、近郊の祭礼中、最も人出の多いのは、吉美高倉神社の祭、最も盛んなのは小畑の馬場といわれた。

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文化財研修記

奈良県の国宝「法起寺」

奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873には国宝の「法起寺(ほうきじ)がある。日本中では1、054の国宝の絵画・彫刻・細工物・絵巻・建造物等があるが、都道府県別では、京都府が日本一で254件、第二位奈良県212件、さすが首都東京は第3位で207件、第4位は滋賀県56件、第五位は大阪府で48件、北海道には国宝は無い。
奈良の国宝「法起寺」は聖徳宗・法起寺で聖徳太子が法華経を購読された岡本宮(おかもとのみや)に長男の山背大兄王(やましろのおおえおう)が聖徳太子の遺命で造営したと云う。法隆寺、四天王寺、中宮寺、この法起寺、播州加古川の鶴林寺、そして京都府綾部市(元何鹿郡いかるがぐんと読む。)の君尾山・光明寺は明智光秀の丹波攻めの時消失したが、京都府北部で唯一の国宝建造物・二王門をもつ等、聖徳太子建立7ヶ寺の一つである。この法起寺は法隆寺の伽藍配置とは逆に配置されていることでも有名である。特に、国宝の日本最古・最大の三重塔は一重の基壇の上に立ち高さ23.09メートル。塔はエンタシスの柱や雲斗肘木(くもとひじき)、深く勾配のゆるやかな屋根などは法隆寺五重塔と良く似ており飛鳥時代の様式を残している。他に国重文の高さ3.3メートルの素晴らしい「木造十一面漢音立像」が見れたが写真は撮れなかった。
他に、国重文「銅造菩薩立像」があるが奈良国立博物官に陳列中。
法起寺案内板
法起寺案内板
法起寺講堂
法起寺講堂
薬師如来堂
薬師如来堂
日本最古・最大の国宝「三重塔」
日本最古・最大の国宝「三重塔」
遠方からの国宝・三重塔
遠方からの国宝・三重塔

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文化財研修記

大和郡山市「稗田の環濠集落」

奈良県大和郡山市には有名な「稗田(ひえだ)の環濠集落」がある。JR大和郡山駅下車徒歩1キロでいける。ここは古代の「下ツ道」に沿っており、この集落の南側は「古事記」の口述者の稗田阿礼(ひえだのあれい)の出身地でもあり、阿礼をお祀りしている「売太神社(めたじんじゃ)」もある。この環濠集落は中世の平城に起源をもつものと考えられ、集落の周囲に幅4~14メートル、深さ2~3メートルにおよぶ濠(ほり)をめぐらし、夜には道の門を閉ざし村を守ったと云う。郡山市では他に、南北朝時代の形態を残す珍しい「若槻の環濠集落」も有名である。奈良盆地全体では約200余の環濠集落があったと云う。貸切バス駐車場は村から約100メートル離れたところにある。小生の靴先あたりです。
環稗田の濠集落案内図
環濠集落案内図
小生達が歩いた所(赤色が環濠)
小生達が歩いた所(赤色が環濠)
売太橋から
売太橋から
売太神社(めたじんじゃ)入口
売太神社(めたじんじゃ)入口
NO.3の深い濠
NO.3の深い濠
稗田堀橋から
稗田堀橋から

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綾部の文化財

羽室家収蔵品と綾部の文化

綾部藩綾部組大庄屋であった羽室家は、綾部一の豪商として藩財政を支え、近代においても綾部の経済界の一翼を担ってきた名家です。その羽室本家を今に引き継ぐ広小路羽室家の蔵に収蔵されてきた資料は、各種道具類・軸物・屏風・古文書など数千点にもなり、これらはまさに綾部の近世~近代の町の歩みを物語るものです。今回、羽室家のご協力を得て、初めて蔵の封印が解かれ、綾部市資料館で展示公開されることとなりました。追加案内資料はここをクリックください
歴史は蔵の中パンフレット
歴史は蔵の中
ひとつの蔵にひとつの歴史、蔵の数だけ歴史がある
綾部市資料館第14回特別展示
会期:平成18年10月28日(土)~11月26日(日)展観料200円(中学生以下は無料)

テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

綾部の文化財

古刹・佛南寺と文化財

京都府綾部市(何鹿郡いかるがぐんの吉美地区きみちく)里町白屋敷103番地には臨済宗妙心寺派の古刹・阿日山「佛南寺(ぶつなんじ)」がある。この寺は綾部市でも極めて古い歴史を誇る寺院です。平安時代の初期の歴史書である三代実録(858~887)には日本の有名な社寺・貞婦・名族が記載されています。その貞観5年(863)にはこの佛南寺の事が記載されています。佛南寺は国による真言宗であり護国法会等を行なう官寺として七堂伽藍の地方屈指の寺でした。足利時代末期には荒廃していましたが、万治年間(1658~1660)に宗讃禅師が臨済宗として堂宇を建設、元禄の初め火災で焼失、元禄8年(1695)に再建。ご本尊は一尺二寸の木造釈迦如来坐像ですが、運慶作と伝えられる三尺七寸の大日如来座像、五尺五寸三分の木造虚空菩薩立像はいずれも綾部市指定文化財です。又、一時独立していた尼寺・禅住寺は聖観音菩薩像を祀る綾部西国観音霊場第七番札所としてお参りされています。
その他の写真は下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/butunanji/butunanji.htm
佛南寺の桜
佛南寺の桜
庭園「素心庭」
小さいが見事な庭園「素心庭と古木・どんぐりの木」
ご本尊木造釈迦如来像
ご本尊木造釈迦如来像
木造大日如来座像
木造大日如来座像(綾部市指定文化財)
木造虚空菩薩立像
木造虚空菩薩立像(綾部市指定文化財)
聖観世音菩薩
元禅住寺(尼寺)で綾部西国観音霊場第七番観音堂の「聖観世音菩薩」母乳湧出願いが叶うと多くのお参り有り。
地蔵菩薩
地蔵菩薩堂の「地蔵菩薩」様、夜尿症を止めるための願いでのお参りが多い諭旨。
韋駄天
お寺を守護する「韋駄天」様

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