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綾部の文化財

綾部市指定文化財「織田信長感状」「豊臣秀吉感状」

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区(やまがちく)の広瀬町には山家城址がある。この山家藩は陸戦の武将・谷衛友(たにもりとも)が天正十年(1582)に山家に入部して始まった。谷氏は近江佐々木定綱の後裔で、近江国甲賀郡谷の郷に住み、最初には「谷野」と名乗りついで「谷」となった。この織田信長「感謝状」は谷衛友の父・衛好(もりよし)が信長に仕え、天正四年(1576)に石山本願寺戦の時、木津・難波表の戦功により、次のような感状を受けた。「於木津難波表相働首五到来感悦候 弥向後可抽戦功候也 天正四年五月廿三日 信長(朱印) 谷野大膳どのへ」。衛友は衛好の子で幼名は甚太郎といい後、出羽守となった。この豊臣秀吉「感謝状」は十七歳の時、父に従って三木城攻めに加わり、父・衛好戦死の時、ただちにその敵を打ち首を取り返した。秀吉は父・衛好の戦死を哀れみ、衛友に、下の感状を与え、父の本領6千石と新規に2ヶ所の加増を行った。「今度別所誅伐の剋父大膳亮抽軍功遂討死別而不便被思食本領之外二ヶ所被宛行者也 天正七年九月廿八日 秀吉(朱印) 谷甚太郎どの」。衛友は秀吉に仕え、伊勢・賤ヶ岳・長久手・和泉の戦・九州の島津攻めなどと転戦・加増を受重ねて大名となり,山崎合戦の後,天正十年山家城主となった。関ヶ原合戦ではやむなく西軍とななったが舞鶴・田辺城攻めで「谷の空鉄砲」で有名な話だが、その戦後、細川父子のとりなしで本領を安堵され何鹿郡内で1万6千石を領し、明治維新まで続いた。
綾部市指定文化財NO.77谷野大膳宛「織田信長感謝状」綾部市資料館提供
1.綾部市指定文化財NO.77谷野大膳宛「織田信長感謝状」綾部市資料館提供
綾部市指定文化財NO>78谷甚太郎宛「豊臣秀吉感状」綾部市資料館提供
2.綾部市指定文化財NO>78谷甚太郎宛「豊臣秀吉感状」綾部市資料館提供

綾部九鬼藩と山家谷藩については下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/35nen/kuki/kukisiryo.htm

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綾部の古木・名木・巨樹

於与岐八幡宮境内の巨木

弥仙山山開き・山菜まつりの会場に向かう送迎バスが、弥仙会館から出るので時間があり寄ってみた
於与岐八幡宮本殿
於与岐八幡宮本殿
京都府登録文化財の於与岐八幡宮本殿(江戸時代)
京都府登録文化財の於与岐八幡宮本殿(江戸時代)
境内の稲荷神社
境内の稲荷神社
薬師堂
薬師堂
境内を暗くしている巨木
境内を暗くしている巨木
木漏れ日が五月晴れの空を覗かせていた
木漏れ日が五月晴れの空を覗かせていた

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綾部の古木・名木・巨樹

2009あやべ由良川花壇展と巨木

ゴールデンウィークには例年、白瀬橋南詰にある由良川花壇公園で花壇展が開かれ、一坪花壇の力作が見られるなど賑わう。川岸に生える巨木を写真に撮る
白瀬橋の堤防から河川敷に下りると花壇展のゲートが作られていた
白瀬橋の堤防から河川敷に下りると花壇展のゲートが作られていた
鯉のぼりの泳ぐバックに巨木が見える
鯉のぼりの泳ぐバックに巨木が見える
巨木を背景に遊び場になっている
巨木を背景に遊び場になっている
長年月の洪水氾濫にも流されずにいる逞しい樹勢
長年月の洪水氾濫にも流されずにいる逞しい樹勢
綾高プラスバンド部のステージ出演があり、川岸に座って楽器を吹いていた
綾高プラスバンド部のステージ出演があり、川岸に座って楽器を吹いていた

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綾部の文化財

弥仙山山開き・三社大祭・山菜祭り

5月3日好天に恵まれ弥仙山山開き・三社大祭・山菜祭りが行われ、人出で賑わった。於与岐町の弥仙会館に駐車し、ピストン輸送の送迎バスに送られて催し物や地元産品の屋台店の並んだ会場に到着。640メートルの弥仙山に登る登山道を辿った。
 弥仙山の秘宝である白いヤマシャクヤクが見事に増え、登山の各所から咲き誇るのが見られた。頂上の金峰山神社では神主さんの主導で祭事の最中であった。巌神さま、於成神社、水分神社と順次下りながら祭事が行われるので山道も賑わっていた。
 山菜祭りの会場では、市の観光協会、地元の世話でステージではフラメンコが踊られていた。高校生の合唱などもあった様子。餅つきが行われ草餅の大振る舞いを食べて帰路についた
鯉のぼりの泳ぐ「弥仙の里」、水源の里の幟やスタッフが目に付いた
鯉のぼりの泳ぐ「弥仙の里」、水源の里の幟やスタッフが目に付いた
登山口の水分神社(三社の一つ)
登山口の水分神社(三社の一つ)
登山道が始まる大鳥居(林道入り口付近から移転された)
登山道が始まる大鳥居(林道入り口付近から移転された)
中腹にある於成神社 休憩で一休み
中腹にある於成神社 休憩で一休み
大本開祖(直刀自様)御出修の地の記念碑
大本開祖(直刀自様)御出修の地の記念碑
弥仙山の秘宝「ヤマシャクヤク」
弥仙山の秘宝「ヤマシャクヤク」藪を掻き分けて探したが、少し登ると登山道から見えるところにも全面的に復活していた
大巌神さまが祀られている
大巌神さまが祀られている
賑わう頂上の金峰山神社(標高640M)
賑わう頂上の金峰山神社(標高640M)
神主さまの祭事
神主さまの祭事
弥仙山頂上からの展望
弥仙山頂上からの展望
山菜祭りの会場ではステージでフラメンコ・ダンスが行われていた
山菜祭りの会場ではステージでフラメンコ・ダンスが行われていた
餅つきが行われ草餅の大振る舞いをいただく
餅つきが行われ草餅の大振る舞いをいただく

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綾部の文化財

あやべ采女稲荷初午大祭

3月初日の日曜日、暖かい好天気とあって子供づれの参拝者で賑わっていた
綾部八幡宮境内に併設されている采女稲荷神社
綾部八幡宮境内に併設されている采女稲荷神社
奈島正倫宮司によるお祓い
奈島正倫宮司によるお祓い
祭人の中継ぎでお供えを手渡す神饌の儀
祭人の中継ぎでお供えを手渡す神饌の儀
一同参拝
一同参拝
祝詞奏上
祝詞奏上
参拝者には熱いゼンザイが振る舞われ、福引きもあって盛り上がっていた
参拝者には熱いゼンザイが振る舞われ、福引きもあって盛り上がっていた

綾部八幡宮のHPは下記をクリックください。
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/12/820/index.html

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綾部の文化財

綾部西国観音霊場22番札所の江戸時代の丹波三大画伯の一人黙知軒の襖絵

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」西方町には綾部西国観音霊場第22番札所である高野山真言宗の宝満寺がある。この古刹では二つの事で特に有名であります。一つは京都の清水寺の名誉管長である松本大円師はこの寺の出身であること。二つ目は江戸時代の丹波三大画伯、長谷川素后(はせがわそごう、山家藩お抱え絵師で墓は浄光寺にある)、安藤貫山(かんざん)は素后の弟子で有名なものでは大原神社へ寄贈した覆大絵馬があり現在郡是記念館に保存されている。そして黙知軒(もくちけん)光研上人です。黙知軒は現京都府福知山市大江町中町の平岡弥平治の次男として寛政四年(1804)に生まれ、この宝満寺中興第十六世律厳上人(1741~1820)の弟子になり、はやくより京都に上り,永観堂玉翁について墨絵を習い、丹波に帰ってからは綾部の高津八幡宮の究竟院(くきょういん)に寄宿し、綾部藩主九鬼隆備の墨絵の指南をした。国文学、書道にも堪能で万葉調の和歌を残しています。その後、現京丹後市大宮町の岩屋寺の住職となり、大江町仏性寺の鬼ヶ茶屋の枡屋守右衛門の依頼により誠にリアルな極彩色の「大江山鬼退治絵巻二巻」と「大江山千丈ケ嶽酒呑童子由来」を残しています。その後、綾部市別所町の願成寺の住職となり明治二年(1870)に亡くなっています。黙知軒の石碑はこの宝満寺と願成寺の2ヶ所にあります。
黙知軒四季図(宝満寺の襖絵)春
1.黙知軒四季図(宝満寺の襖絵)春
黙知軒四季図(宝満寺の襖絵)秋
2.黙知軒四季図(宝満寺の襖絵)秋
同上の襖絵の黙知軒の左の讃と落款(73歳の時のもの)
3.同上の襖絵の黙知軒の左の讃と落款(73歳の時のもの)
黙知軒四季図(宝満寺の襖絵)冬
4.黙知軒四季図(宝満寺の襖絵)冬
.黙知軒(万葉調の襖)和歌その1
5.黙知軒(万葉調の襖)和歌その1
同上 その2
6.同上 その2
赤井誠夫氏所蔵の黙知軒の掛軸
7.物部町の赤井誠夫氏所蔵(お祖母ちゃんが嫁入りの時持参)の黙知軒の掛軸

高野山真言宗の古刹宝満寺の詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/148.html
http://www.nbcayabe.com/toge/itiwara.htm

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文化財研修記

あやべの文化財日誌・府県別取材リスト

京都市内外、近畿各地をはじめ、北陸、山陰など広範囲にわたる綾部の文化財日誌取材一覧表を作成しました。
主として綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫氏の精力的な取材活動で、数多くの素晴らしい文化財の紹介記事です。
綾部の文化財を守る会の研修旅行などの記事も含まれています。楽しくご覧ください。
http://www.ayabun.net/gaiyo/fuken/fuken.html
あやべの文化財日誌・府県別取材リスト

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綾部の文化財

関西花の寺第2番札所で丹波のカラス寺と呼ばれる古刹・楞厳寺の初弘法さん

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」館町楞厳寺には高野山真言宗の古刹で関西花の寺25ヶ寺の第番札所・綾部西国観音霊場第14番札所で通称丹波のカラス寺と呼ばれる楞厳寺(りょうごんじ)がある。1月21日(水)午前9時30分から初弘法さんが厳修された。新本堂では「四国八十八ヶ所霊場お砂踏」が始り、四国八十八ヶ所の御本尊とお砂をお祀り、お砂の上を巡道してお大師の霊徳を授かるのです。又、10時から「柴燈不動ゴマ祈願」が約1時間始った。午後1時に諸行事は修了した。
賑う新本堂
1.賑う新本堂
新本堂の中の「四国八十八ヶ所お砂踏」その1
2.新本堂の中の「四国八十八ヶ所お砂踏」その1
その2
3.その2
「柴燈不動ゴマ祈願」が始る。関係者が不動明王に参拝
4.午前10時30分「柴燈不動ゴマ祈願」が始る。関係者が不動明王に参拝
修験者(山伏)霊場入場問答
5.修験者(山伏)霊場入場問答
修験者(山伏)破魔矢祈願
6.修験者(山伏)破魔矢祈願
修験者(山伏)破魔矢で東西南北祈願
7.修験者(山伏)破魔矢で東西南北祈願
修験者(山伏)剣祈願
8.修験者(山伏)宝剣祈願
ゴマの松明祈願
9.ゴマの松明祈願
柴燈不動ゴマに点火
10.柴燈不動ゴマに点火

高野山真言宗楞厳寺(りょうごんじ)の文化財等は下記をクリックして見て下さい。
http://ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/370.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/619.html

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文化財研修記

但馬の国の文化財を訪ねて!最終回出石城址

但馬国「たじまのくに(今の兵庫県北部)」の出石川に沿った静かな山あいに、但馬の小京都と呼ばれる町並みがある。そこにある現在の出石城跡は慶長9年(1404)小出吉英が築いたものであり、本丸跡には昭和43年(1968)に隅櫓(すみやぐら)が復元された。室町時代、出石は山陰・山陽など11ヶ国を領有した守護大名山名氏(やまなし)の居城が置かれた所である。山名氏は元上野国(こうずけのくに)の一名主で、元弘の役で新田義貞に従い勢力を得、南北朝時代の14世紀中頃には、山陰地方を支配する守護大名になった。応仁元年(1467)に始った応仁の乱で、山名持豊(宗全)は西軍の総大将を努めたが、その後山名氏の勢力は衰退した。その後、豊臣秀吉の弟、羽柴秀長に攻められ滅亡した。文禄4年(1595)に小出吉英が播州龍野より入封。宝永3年(1706)小出氏は京都府園部町に移封。その後に仙石氏(せんごくし)が入封し、明治維新に至るまで仙石氏の城下町として栄えた。
出石城登城門
1.出石城登城門
出石城跡右の隅櫓
2.出石城跡右の隅櫓
二の丸跡
3.二の丸跡
左の隅櫓
4.左の隅櫓
出石城から樹下町を見る
5.出石城から樹下町を見る
真ん中に出石城辰鼓櫓を見る
6.真ん中に出石城辰鼓櫓を見る
出石城跡全景
7.出石城跡全景

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綾部の文化財

臨済宗妙心寺派の古刹・宝住寺で1月8日「初薬師祈願」が厳修された

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」井上寺にある臨済宗妙心寺派の古刹・宝住寺では1月8日(毎月8日はお薬師様の縁日です。)に午前10時~午後2時まで「初薬師祈願」が催行された。33ヶ寺、番外6ヶ寺で構成されている綾部西国観音霊場の第三番でもあるこの宝住寺の河野義方住職様は同会を実施している綾部観音霊場会々長も務めておられます。又、この木造薬師如来坐像は綾部市の指定文化財です。初薬師では本堂の方で祈願料お一人2千円を支払い、薬師堂内にてこの「初薬師祈願」をして頂ます。その様子を順次掲載しますが、堂内ではこの寺が所蔵する1、000体の牛のコレクションのうち500体がこの一年間展観されています。
開始を待つ宝住寺の薬師堂
1.開始を待つ宝住寺の薬師堂
綾部市指定文化財「木造薬師如来坐像」
2.綾部市指定文化財「木造薬師如来坐像」
薬師堂内で展観されている牛のコレクション500体の一部
3.薬師堂内で展観されている牛のコレクション500体の一部
初薬師祈願始まる
4.初薬師祈願始まる
太鼓を打ち般若心経を祈願者3名と一緒に唱え、祈願される河野義方住職
5.太鼓を打ち般若心経を祈願者3名と一緒に唱え、祈願される河野義方住職様
最後のお経を唱えられるご住職
6.最後のお経を唱えられるご住職、この後3名方順次焼香された
この薬師堂からの眺めは最高、京都府北部の大河・由良川と丹波大橋
7.この薬師堂からの眺めは最高、京都府北部の大河・由良川と丹波大橋

宝住寺のホームページは下記をクリックして見て下さい。
http://www.rakanzan.com/
宝住寺関連記事は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/135.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/163.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/495.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/545.html


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文化財研修記

但馬の国の文化財を訪ねて!5回 出石郡の式内社・出石神社

但馬国(今の兵庫県北部)の出石郡(いずしぐん)には大9座、小14座の式内社がある。その大座の一つ出石神社(いずしじんじゃ)は今の豊岡市出石町にあり、神社の祭神は但馬国を開いたと伝えられる天日槍(あまのひぼこ)と伊豆志八前大神(いずしやまえおおかみ)である。記紀によれば、新羅(しいら、韓国)の王子・天日槍は垂仁天皇のとき播磨・淡路・近江を賜り、更に諸国を巡察し、近江・若狭を経て但馬に来住した。この頃、但馬は一面泥の海であったので天日槍は大地を切り開き水を日本海へ流した。その時に、そのあとに豊岡や出石の盆地が出来たと伝えられている。天日槍は今でも但馬開発の神として、崇められ、当神社の5月の幟りまわし、9月の大網引き、11月のお花ビラの年中行事は、その土木工事完成のお祝いの名残と言われている。
出石神社の第二の鳥居等の全景
1.出石神社の第二の鳥居等の全景
出石神社正面
2.出石神社正面
楼門から拝殿を見る
3.楼門から拝殿を見る
楼門内に飾られている巨大な旧鳥居の残欠
4.楼門内に飾られている巨大な旧鳥居の残欠
拝殿から本殿を見る
5.拝殿から本殿を見る
見事な本殿
6.見事な本殿
拝殿から第二の鳥居と参道を見る
7.拝殿から第二の鳥居と参道を見る

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但馬の国の文化財を訪ねて!4回・忠臣蔵・大石内蔵助妻・りくの遺髪塚と子供の墓

兵庫県豊岡市日撫(ひなし)には円山川東岸に正福寺(曹洞宗)境内に、大石内蔵助の妻りくの遺髪塚と子供の墓がある。正福寺は、豊岡藩筆頭家老石束源五兵衛(いしずかげんごひょうえ)の私寺であった。りくは石束源五兵衛の長女として此処で生まれ、播州赤穂藩大石内蔵助に嫁した。赤穂事件の結果、赤穂浅野家は断絶、りくは元禄14年(1707)、京都の山科(やましな)で夫と長男主税と別れて、生家石束家へ次男・吉千代、長女クウ、次女ルリを連れて帰った。源五兵衛は隠居し真修院(現正福寺の場所)を建て、りく達とともに生活した。りくはここで3男代三郎を生んだ。その後赤穂浪士の討ち入り、そして処刑の報を、りくはこの地でうけた。その使者は赤穂浪士四十七の一人である寺坂吉衛門であり、実際に切腹をしたのは46名であった。次男吉千代は仏門に入ったが長女クワと相前後して没した。のち三男代三郎が12歳の時、芸州浅野家に1,200石で召し抱えられたのを機に、りくは次女とともに広島に移り住み元文3年(1738)68歳で生涯を閉じた。りくの墓は広島市の国泰寺にあり、豊岡の正福寺りくの墓は遺髪塚で、右側が次男吉千代、左が長女クワの墓である。
忠臣蔵・大石内蔵助妻りくの遺髪塚の案内看板
1.忠臣蔵・大石内蔵助妻りくの遺髪塚の案内看板
正福寺
2.正福寺
正福寺境内の大石りく生誕記念碑
3.正福寺境内の大石りく生誕記念碑,向かうは、円山川
同境内の歌碑
4.同境内の歌碑
正面の大きな墓がりくの遺髪塚でその右側が次男吉千代の墓
5.正面の大きな墓がりくの遺髪塚でその右側が次男吉千代の墓

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但馬国の文化財を訪ねてその3.城崎郡竹野町の諏訪神社

但馬国(現在の兵庫県の北部)城崎郡竹野町(現在は合併し豊岡市に編入されています)には諏訪神社がある。此れは長野県の諏訪湖の両岸にある諏訪大社より祭神の勧請を受けた神社である。諏訪大社の祭神は諏訪大明神とも言われる建御名方神とその妃である八坂刀売神であり、他の諏訪神社もこの二神を主祭神とし、又諏訪大神を総称する場合もある。諏訪大社では中世に狩猟神事を行なっていた所から、狩猟、漁業を守護する神社としても崇拝されている。諏訪大社では六年に一度、御柱と呼ばれる4本の杭を立てる御柱祭が行なわれるが、全国にある2,500以上の諏訪神社でも同様の祭りが行なわれます。綾部市の諏訪神社の秋祭りはヤッコさん行列や大屋台の行列もあり、大変面白いので最後の所をクリックして見て下さい。
諏訪神社第一の鳥居と参道
1.竹野町の諏訪神社第一の鳥居と参道
第二の鳥居と楼門
2.第二の鳥居と楼門
楼門
3.楼門
本殿
4.本殿
竹野町の弁天浜その1
5.竹野町の弁天浜その1
その2
6.その2

7.京都府綾部市の諏訪神社の秋祭りはヤッコさん・大屋台行列で面白い。下記をクリックして見て下さい。
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http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/345.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/511.html

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但馬国の文化財を訪ねてその2.但馬国養父郡随一の式内社・養父神社

但馬国養父郡(やぶぐん)には大3座、小27座の式内社がある。その中で隋一の養父神社(やぶじんじゃ)を紹介します。兵庫県北部第一の円山川沿いの養父町には但馬国三神社・粟鹿神社・出石神社そしてこの養父神社です。摂社としては山野口神社が有名です。養父神社がある弥高山(いたかやま)全体がご神体であり、崇神天皇三十年(西暦前66)に鎮座されたと言われる古社であり、鎌倉時代には一山五坊、三重塔を持つ神社(神仏習合)で全盛期を迎えた。今日でも農業の神・和牛の神・養蚕の神として信されている。本殿は応永30年(1423)の建立、拝殿と摂社の山野口神社は元禄9年(1696)の建立である。
養父神社の石碑
1.養父神社の石碑
登り参道
2.登り参道
鳥居と楼門
3.鳥居と楼門
楼門から拝殿を見る
4.楼門から拝殿を見る
木造隋進の阿形
5.楼門の左側には木造隋進の阿形が祀られている(大変珍しい)
木造隋進の吽形
6.楼門の右側には木造隋進の吽形が祀られている
拝殿前の珍しい形の狛犬
7.拝殿前の珍しい形の狛犬
養父神社拝殿
8.養父神社拝殿
見事な千木・堅魚木を持つ本殿
9.見事な千木・堅魚木を持つ本殿
社務所へ渡る橋
10.社務所へ渡る橋
摂社山野口神社
11.摂社山野口神社
山野口神社前の天保5年(1834)の銘の入った石燈籠
12.山野口神社前の天保5年(1834)の銘の入った石燈籠

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文化財研修記

但馬国の文化財を訪ねてその1.但馬国の一宮「粟鹿神社」

但馬国「たじまのくに(今の兵庫県北部)」は古代の丹波国(たんばのくに)の強大な勢力を殺ぐため大和朝廷が、丹波国から、先ず、但馬国を独立させ、ついで丹後国(たんごのくに)を独立させそれぞれに国造(くにのみやつこ)を配置した。小生の11月の出雲国(いずものくに)・伯耆国(ほうきのくに)では出雲大社では、今なを出雲国造家(いずもこくそう)と呼ばれる出雲大社の宮司を出す千家家と北島家について掲載した。但馬国には式内社は大座と呼ばれる大明神18座と小座が113ある。その内の朝来郡は大1座、小8座があり、大一座は但馬国一の宮であったといわれる「粟鹿神社(あわがじんじゃ)大明神」が朝来郡(あさこぐん)山東町粟鹿にある。神社形式は大変古く春日造(奈良の春日神社)で持って造営られている。彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)・龍神・豊玉姫(とよたまひめ)を祭神としており、但馬国造として勢力を誇った日下部氏氏神であったと伝えられている。下記の写真を順次見て下さい。
粟鹿大明神の鳥居
1.粟鹿大明神の鳥居
正式門(向かって右側、普段は開けていない)左が入場門
2.正式門(向かって右側、普段は開けていない)左が入場門
入場門
3.入場門
入場門の中には左右に「木造狛犬」が阿形、吽形の形で安置されている
4.入場門の中には左右に「木造狛犬」が阿形、吽形の形で安置されている
見事な拝殿と本殿
5.見事な拝殿と本殿
見事な本殿
6.見事な本殿
拝殿前の天明5年(1785)の銘の入った常夜燈
7.拝殿前の天明5年(1785)の銘の入った常夜燈

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部八幡宮の古木:ツブラジイ

綾部八幡宮境内は、府道綾部ー福知山線から綾部中学校までの南側斜面一帯に広がり大きな樹木が茂る森になっている
綾部の古木・銘木100選に指定されている「ツブラジイ」
綾部の古木・銘木100選に指定されている「ツブラジイ」は、本殿下の広場にあり、祭日になるとその下近辺で火が焚かれる場所である
見上げると葉が広がり樹勢盛んである
見上げると葉が広がり樹勢盛んである
綾部の古木・名木100選No.19:ツブラジイ 幹周:3.20m 樹高: 20m
綾部の古木・名木100選 No.19:ツブラジイ 幹周:3.20m 樹高: 20m
中学校へ上る参道から入る脇参道。突き当たりが指定の古木
中学校へ上る参道から入る脇参道。突き当たりが指定の古木
綾部八幡宮本殿
綾部八幡宮本殿

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部の古木・名木100選・平安時代摂政関白の娘婿が狼に咬まれこの湯殿で治療した「湯殿のツバキ」

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」小貝町(おがいちょう)の旧道には「湯殿古湯涌出跡」と記した看板が目立つ。この地は平安時代、摂政関白藤原忠通の娘「皇嘉門院」の婿が位田の領主を務めていた時、ある日オオカミに咬まれて、この地に滞在、湧き出す湯で治療したという伝説が残っています。暖地を好むツバキはこの湯元に関係があるのであろう。根本は太く、その幹周は2メートルもあり、途中2本に枝がわかれ、更に数本に分かれている。樹勢は極めて強くて、恐らくこの地に自生したものであろう。
綾部の古木名木100選「湯殿のツバキ」の駒札
1.綾部の古木名木100選:「湯殿のツバキ」の駒札
ツバキと「湯殿古湯涌出跡」の駒札
2.ツバキと「湯殿古湯涌出跡」の駒札
湯殿のツバキ(幹周2メートル、樹高7メートル)
3.湯殿のツバキ(幹周2メートル、樹高7メートル)
その2
4.その2

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部の古木・名木100選・4つの古木名木を持つ古刹・楞厳寺のツバキとコノテガシワ

京都府綾部市館町には高野山真言宗の古刹「通称丹波のカラス寺」こと楞厳寺(りょうごんじ)がある。綾部の古木名木100選のうち4つもこの寺は持っている大変な古刹である。既に百日紅(さるすべり)と菩提樹(ぼだいじゅ)は紹介したが、楞厳寺の山門をくぐると直ぐ左側に立っている見事なツバキ(幹周4.5メートル、樹高1.5メートル、樹齢400年以上)現在も白・赤・ピンクの三色の見事な花を咲かせる。12月20日撮影した時は赤が2つのみで3月が見頃である。又その横のコノテガシワは中国原産で日本に250年前に渡来しものである。葉はヒノキ似ているが、枝が直立しているので、表裏の区別がはっきりしない。この付近では珍しい樹種の一つで、園芸種としてセンジュ(千手)、シシンデン(紫寝殿)があり最近庭木として植えられている。
綾部の古木名木100選:「ツバキの駒札」右がコノテガシワ
1.綾部の古木名木100選:「ツバキの駒札」右がコノテガシワ
コノテガシワの駒札
2.綾部の古木名木100選:コノテガシワの駒札
3.コノテガシワ(幹周1.35メートル、樹高10メートル)
3.コノテガシワ(幹周1.35メートル、樹高10メートル)
手前がツバキで裏がコノテガシワ
4.手前がツバキで裏がコノテガシワ
山門から見たツバキとコノテガシワ
5.山門から見たツバキとコノテガシワ

6.高野山真言宗の古刹「通称丹波のカラス寺」こと楞厳寺(りょうごんじ)は下記をクリックして見て下さい。
http://ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/268.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/269.html

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部の古木・名木100選・稀木・永井家のナギ

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」館町には綾部の古木・名木100選に選ばれた稀木の「ナギの木」がある。府道の拡張に伴い平成7年度に現在地に移植された。その際、枝葉が切り詰められたので、樹形は少し小ぶりになったが、良く根づき、元気に枝葉を出している。明治の初め、当時の当主が、島根県出雲大社より若木をいただき植えられたもので、樹齢は150年以上である。ナギは元来暖地に育つ木で,紀伊半島・四国・九州・沖縄に分布しているから、当地方では大変珍しく、今後の育成が楽しみである。葉は肉厚で中央脈がなく,多数の平行脈を持っているのが特徴で直径1~1.5センチメートルの白粉をかぶったような球形の実をつける。
綾部の古木名木100選・永井家のナギの駒札
1.綾部の古木名木100選・永井家のナギの駒札
永井家のナギ(幹周1.35メートル、樹高9メートル)
2.永井家のナギ(幹周1.35メートル、樹高9メートル)
そのニ
3.そのニ

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部の古木・名木100選・綾部一番の幹周1.45メートルある横田家のサザンカ

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」館町には延喜式内社12座の一つ赤国神社があり、そこから100メートルばかり南に行くと綾部の古木名木100選の一つ「横田家の見事なサザンカ」がある。丁度、撮影時期が、サザンカが見事に咲いている時であったので撮影したのを見て下さい。当家の初代がこの地に植えたものといわれ、13代目の今日まで400年以上経過している。代々の管理が良く行き届き、樹勢も盛んで見事な花を着けている。幹周が1.45メートルもあり市内では最大のサザンカの古木と言われている。又、庭も見事な木々で覆われたのでそれも撮影させていただいた。
綾部の古木名木100選「横田家のサザンカ」の駒札
1.綾部の古木名木100選「横田家のサザンカ」の駒札
見事な花の咲いているサザンカ(山茶花)幹周1.45メートル、樹高5.4メートル
2.見事な花の咲いているサザンカ(山茶花)幹周1.45メートル、樹高5.4メートル
見事な横田家の庭園の木その一
3.見事な横田家の庭園の木その一
そのニ
4.そのニ

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部の古木・名木100選・綾部NO1.の幹周1.97メートルもある岡倉のモチノキ

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」位田町の山里の岡倉には綾部の古木・名木100選の一つ「岡倉のモチノキ」がある。岡倉より尻坂峠へ通ずる農道際に立っている。軽トラックでないと入れない道である。小生は市道に車を止めて歩いて行った。樹下には荒神社が祀られている。この上に古屋敷跡が二つ有り、この家の先祖が屋敷荒神として代々祀って伊来たものと云われている。樹勢は一本立のため、極めて旺盛で樹高は9メートルと余り高くないが、幹周は1.97メートルもあり、モチノキとしては稀な大木である。モチノキは雌雄異株でこの木は雌株で12月20日に撮影した時には、直径1センチメートルくらいの赤い果実を一杯つけていたのを撮影できたので見て下さい。
綾部の古木・名木100選・岡倉のモチノキの駒札と荒神社
1.綾部の古木・名木100選・岡倉のモチノキの駒札と荒神社
モチノキ(幹周1.97メートル、樹高9メートル)
2.モチノキ(幹周1.97メートル、樹高9メートル)
このモチノキは雌株で直径1センチメートル位の赤い果実を一杯付けている
3.このモチノキは雌株で直径1センチメートル位の赤い果実を一杯付けている

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部の古木・名木100選・綾部市最大の推定樹齢450年以上大社神社のご神木・衝羽根樫(ツクバネカシ)

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」位田町の山里・岡倉の中心地には大社神社があり、そのご神木が綾部市最大の衝羽根樫(ツクバネカシ)です。関東以西の温暖地帯には広く分布しているが、この地方では稀にしか見れない。この樹は平成2年綾部市の古木名木10選の一つでもあります。樹高は芯が折損しているため樹高24メートルとそれ程高くはないが、幹周は4.6メートル、推定樹齢450年以上でもあります。この大社神社は館町の古刹、高野山真言宗・楞厳寺(りょうごんじ)の修禅地として建てられ高徳寺に由来する古社です。
大社神社に向かって、左手奥がご神木のツクバネガシ、向かって右手前が巨大なモミの木
1.大社神社に向かって、左手奥がご神木のツクバネガシ、向かって右手前が巨大なモミの木
大社神社
2.大社神社
ご神木の駒札
3.ご神木の駒札
綾部の古木名木100選の駒札はご神木の横にある
4.綾部の古木名木100選の駒札はご神木の横にある
大社神社のツクバネガシ
5.大社神社のツクバネガシ

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綾部の古木・名木・巨樹

綾部の古木・名木100選・江戸時代の藩政時代に植えられた大畠梨(おおばたけなし)

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」大畠町(おおばたけちょう)の大槻家んは巨大な梨の木「大畠梨」が庭木として植えられている。藩政時代の食料・経済政策で植えられたものであり、古老の話によると自家消費のみならず、「大畠梨」として近在に売りに出たと言う。この大槻家の樹は先祖が植えたと云われ、200年近く経過している。以前は庭の風除けとして、数本あったが、現在はこの一本だけになっている。根張がないのはこの家の石垣を積んだ時に土盛りをして生めたためであり、実樹高はこれより2メートル程高くなるとの事である。以前は多くの実をつけたが、干ばつなどで樹勢が衰えたので樹芯を切りつめている。この農村地方の歴史も考察され興味深い樹である。
綾部の古木・名木100選・大槻家の「大畠梨」の駒札
綾部の古木・名木100選・大槻家の「大畠梨」の駒札
幹周1.37メートル、樹高10メートル(実際は12メートル)
幹周1.37メートル、樹高10メートル(実際は12メートル)
同 上 2
同 上 2

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綾部の文化財

しばらく京都を旅しょう!最終回・臨済宗相国寺派大本山相国寺の山外塔頭寺院で有名な金閣寺です!

しばらく京都を旅しよう!最終回の10回目は京都五山の一つ臨済宗相国寺派大本山・相国寺の山外塔頭寺院でかの有名な足利3代将軍義満の法名を取ってつけられた、「金閣鹿苑寺(きんかくろくおんじ)を四年振りに訪れました。相変わらずの多くの参拝者(と云うより見学者)が多く、修学旅行生も又多かった。変わらぬ黄金の「金閣寺」は燦然と輝き、いつ見ても見事なものだ!!今回は最後に京都五山・鎌倉五山について見たい方は最後をクリックしてください。
金閣寺山門
1.金閣寺山門
金閣寺の参道と鐘楼
2.金閣寺の参道と鐘楼(1打200円の価値はある,音色が大変いい)
金閣寺と鏡湖池
3.金閣寺と鏡湖池
松林越に金閣寺をみる
4.松林越に金閣寺をみる
足利義満本人が植えた「陸船の松」(京都三松の一つ)
5.足利義満本人が植えた「陸船の松」(京都三松の一つ)
金閣寺はバックシャン、夕日を浴びて燦然と輝く金閣寺
6.金閣寺はバックシャン、夕日を浴びて燦然と輝く金閣寺
義満がお茶の水に使った「銀河泉」
7.義満がお茶の水に使った「銀河泉」
公家西園寺家の旧居を示す白蛇池と白蛇の塚
8.公家西園寺家の旧居を示す白蛇池と白蛇の塚
金森宗和(かなもりそうわ)作の茶室「夕佳停」南天の床柱、萩の違棚で有名
9.金森宗和(かなもりそうわ)作の茶室「夕佳停」南天の床柱、萩の違棚で有名
弘法大師作といわれる石不動明王
10.最後の出口前には本尊は弘法大師作といわれる石不動明王(少し見れるかな!)

11.「京都五山・鎌倉五山とは?」下記をクリックして見て下さい。
http://ayabun.net/bnk/04haru.htm

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文化財研修記

しばらく京都を旅しょう!第9回真言宗御室派総本山・御室御所・仁和寺を見る!

京都市北区大内山の山麓の深い木立の中に、穏やかにして、優雅なたたずまいの真言宗御室派(おむろは)総本山の仁和寺がある。仁和寺の創建は平安時代,第58代光孝天皇が着工され、仁和4年(888)年に宇多天皇が先帝の意志を継ぎ完成された。退位後、出家し、仁和寺に住坊された、30余年も真言密教の修業に励まれ明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡になられ仁和寺は御室御所と呼ばれて親しまれてきた。又、数多くの国宝・重文の中で異色をはらっている二つがある。中門から入った左側には名勝・御室桜(おむろさくら)の林があるこの桜は特に「御室有明」と呼ばれている御室地とくゆうの桜である。又、仁和寺は皇室関係から門跡がでて、この問跡を家元とする「御室流華道」がある。毎年五月には流祖宇多法皇への献華式が宸殿で古式ゆかしく繰り広げられます。小生、残念なことに春は忙しく、御室桜も献華式も見てないので来年は、先ず桜、次に5月の新緑の京都を撮影に行きたいと計画中です。人口37,000人の綾部市でも真言宗御室派の寺院は一つのみありますので最後にクリックして見て下さい。
仁和寺全景案内図
1.仁和寺全景案内図
ニ王門(南大門、国重文、江戸稀代)
2.ニ王門(南大門、国重文、江戸稀代)
ニ王門から真直ぐに行くとピンクの「中門(国重文、江戸時代)」が見える
3.ニ王門から真直ぐに行くとピンクの「中門(国重文、江戸時代)」が見える
右手に国重文の五重塔
4.中門を通ると、右手に国重文の五重塔(高さ36メートルで各層の屋根の大きさかがほぼ同じという江戸時代の特徴を現している)
国宝の金堂(江戸時代に仁和寺が再興された時
5.国宝の金堂(江戸時代に仁和寺が再興された時、京都御所の紫宸殿(ししんでん)が移築され本堂となった桃山時代のもの)
朱塗りの国重文の鐘楼(江戸時代)
6.朱塗りの国重文の鐘楼(江戸時代)
本坊表門(国重文、桃山時代、旧御所台所門)
7.本坊表門(国重文、桃山時代、旧御所台所門)
本坊の見事な飾りつけ
8.本坊の見事な飾りつけ
白書院から見る庭と勅使門
9.白書院から見る庭と勅使門
宸殿からみる見事な紅葉
10.宸殿からみる見事な紅葉
見事な宸殿の襖絵
11.見事な宸殿の襖絵
宸殿裏の黒書院の庭
12.宸殿裏の黒書院の庭
宸殿から五重塔を望む
13.宸殿から五重塔を望む

14.京都府綾部市唯一の真言宗御室派「久香寺(きゅうこうじ)」は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/219.html

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文化財研修記

しばらく京都を旅しょう!第8回大徳寺の塔頭・高桐院と細川ガラシャ夫人の墓を訪ねる!

京都市北区船岡山の北に臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺がある。その中に数多くの塔頭寺院があるが、今回は慶長7年(1602)に細川忠興(三斎)が父細川藤孝(幽斎)の菩提所として創建した「高桐院(こうとういん)」を訪ねてみます。この寺には細川家歴代の墓があり、三斎公の妻で関ヶ原合戦前、石田三成が当時、忠興(三斎)公の明知光秀の娘・ガラシャ夫人を大阪城へ質人として入城させようとし、ガラシャ夫人は切支丹で自殺出来ず、家来の槍に刺され、亡くなったことでも有名です。その墓も訪ねて見ます。
高桐院山門
1.高桐院山門
高桐院への道
2.高桐院への道
高桐院入口
3.高桐院入口
入口から更に歩く
4.入口から更に歩く
参道は春夏は青葉・秋は紅葉を天蓋頂く一直線である
5.参道は春夏は青葉・秋は紅葉を天蓋頂く一直線である
庭その一
6.庭その一
庭その二
7.庭その二
庭その三
8.庭その三
細川忠興(三斎)公とそのガラシャ夫人の墓石は愛した石燈籠です
9.細川忠興(三斎)公とそのガラシャ夫人の墓石は愛した石燈籠です
裏庭と茶室
10.裏庭と茶室

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文化財研修記

しばらく京都を旅しょう!第7回大徳寺の塔頭・苔寺・名勝庭園の龍源院を訪ねて!

京都市北区船岡山の北に臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺がある。その数多くの塔頭寺院の中でも南派法源地本院として、由緒が深く、朱色の大徳寺山門前に厳然と位置する大徳寺の中でも最も古い寺である。その名称も大徳寺の山号「竜宝山」の竜の字と、今日の臨済禅で唯だ一つのみ存続している松原派の「源」の両字からなっている。永世年間(1504~21)に畠山義元・大友義親(大友宗麟の父)・大内義興らが檀家となり造営されたもので。表門と本堂(室町時代)は大徳寺で最古の建築である。
龍源院山門
1.龍源院山門
山門内の苔寺といわれる由縁の庭
2.山門内の苔寺といわれる由縁の庭
本堂内の禅画と日本最古の種子島鉄
3.本堂内の禅画と日本最古の種子島鉄「天正11年(1583)の銘がある」と秀吉・家康が対局した碁盤・碁筒(四方蒔絵の逸品で重要美術品である)
方丈前石庭「真ん中が亀島、遠方の高い石が蓬莱山」
4.方丈前石庭「真ん中が亀島、遠方の高い石が蓬莱山」(方丈を中心に南庭、北庭、東の壷石庭、開祖堂前庭、及び庫裡南軒先の各種庭園より成りたっていて、見る者の自ら味い、体得するのが真の禅宗庭園です
滹沱底(こだてい)は書院前の庭
5.滹沱底(こだてい)は書院前の庭
滹沱底の奥の担雪井(井戸)
6.滹沱底の奥の担雪井(井戸)
見事な透かし彫りの衝立
7.見事な透かし彫りの衝立
東滴壷(方丈の東にある有名な壷庭で
8.東滴壷(方丈の東にある有名な壷庭で、わが国では最もも小さく、底知れぬ深淵に吸い込まれそうになる
竜吟庭(方丈の北庭、室町時代特有のの
9.竜吟庭(方丈の北庭、室町時代特有の三尊石組から成る須弥山形式の枯山水庭園で相阿弥の作と伝えられ、青々とした杉苔は、洋々と果てしない大海原を現し、石組は陸地を表している

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文化財研修記

しばらく京都を旅しょう!第6回大徳寺の塔頭・十字架の石組みで有名な瑞峰院と大慈院!

京都市北区船岡山の北には臨済宗大徳寺派大本山大徳寺がある。よく言われたように「妙心寺の算盤づら、建仁寺の学問づら、そして、大徳寺の茶づら」と言われるように大徳寺には数多くの塔頭寺院があり、それぞれ「茶室」があります。この瑞峰院の茶室でも有名な、又キリスト教に帰依していた九州の豊後・豊前・日向の太守であった大友宗麟(おおともそうりん)が創建した方丈・唐門・表門は禅宗方丈建築の特徴を良く残し、国重文である。枯山水の独座庭は荒波が打ち寄せるようすが白砂で表現されている。裏庭の閑眠庭は中庭にある切支丹灯篭を中心に七つの石組からなり縦に四個、横に三個の石の流れが十字架に組まれ万民の霊を弔っている。茶室の撮影も許可頂いたので掲載します。
国重文の瑞峰院山門
1.国重文の瑞峰院山門
方丈への道
2.方丈への道(苔むした中の燈籠が中々のものだ!!)
白い荒波が打ち寄せる前庭「独座庭」
3.白い荒波が打ち寄せる前庭「独座庭」
方丈の見事な山水画
4.方丈の見事な山水画
十字架の石組みの「閑眠庭」
5.十字架の石組みの「閑眠庭」
茶室への道
6.茶室への道
三つの茶室の一つ「餘慶庵」
7.三つの茶室の一つ「餘慶庵」
お隣の大慈院(紫式部碑、立花宗茂・筒井順慶の墓がある)
8.お隣の大慈院(紫式部碑、立花宗茂・筒井順慶の墓がある)

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しばらく京都を旅しょう!第5回大徳寺の塔頭・真珠庵と枯山水で有名な「大仙院」を訪ねて!

京都市北区船岡山の北に臨済宗大本山大徳寺がある。古来人々は「建仁寺の学問づら、妙心寺の算盤づら、そして、大徳寺の茶づら」と言って来た。成る程、大徳寺には有名な「茶室」を持つ塔頭寺院が多い。先ず大仙院は英語でROCK GARDENとして海外にも有名であるが、お隣の「真珠庵」も又もと和泉式部の夫藤原保昌(ふじわらやすまさ)の」宅地跡と伝えられ、今の庵主は京都府綾部市の口上林(くちかんばやし)地区の山家藩の分家で、十倉旗本2千石谷家の陣屋が江戸時代にはあり、その代官達の菩提寺の「如是寺」の住職の息子さんが今の庵主である。一般公開は中々せず今回も山門と入口庭園のみの撮影であった。この庵は永享年間(1429~41)に一休宗純が創建したもので、一休和尚が住んだのは文明年間(1469~87)である。
真珠庵山門
1.真珠庵山門
山門内の庭園
2.山門内の庭園
枯山水庭園で有名な大仙院は常に一般公開されているが、その国宝方丈は室町時代のもので、わが国最古の方丈建築として貴重なものである。撮影は禁止だが本が販売されているので、そこで購入し、その説法で今なをご健在の「尾関宗園禅師(おぜきそうえんぜんし)」の署名を貰うと良い。小生35年振りの再開で話に花が咲いた。「今、読書するより歩いて長生きする方が良い。」と今回の説法であった。
大仙院案内板
3.大仙院案内板
大仙院山門前の赤松
4.大仙院山門前の赤松
大仙院山門
5.大仙院山門
若々しい「尾関宗園禅師」
6.写真を撮ると言うと眼鏡をはずされ、その姿は35年前と変わらない若々しい「尾関宗園禅師」であった

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文化財研修記

しばらく京都を旅しょう!第4回船岡山の北にある臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺を見る

京都市北区紫野には臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺がある。この付近に1年間下宿していた事もあり大変懐かしい大寺院である。開山は宗峰妙超(しゅううほうみょうちょう)で大燈国師と呼ばれている。江戸時代の禅宗の中興の祖と呼ばれている白隠禅師の禅画には「大灯は大徳の開山、日本禅に法の劇しさを伝えた人」とし、蓑傘を背負った裸足の乞食坊主の絵を描き左側らから読む讃(さん)には「古人、刻、苦、光明、必、盛、大也,不信、看取、此老漢、爪を手なしに、久らやるなら、成程足なしで、参ろう」としている。大灯国師は関東で既に印可を受けていたが、大応国師が弟子を導く手段の厳しさを聞き、京都に登り、その室に参じ、大悟徹底する。その後、五条の橋の下の乞食群れに入って、二十年ものあいだ聖胎長養(仏法用語で悟りをより一層確実にするための修業)だれたという。
勅使門(桃山時代)
1.勅使門(桃山時代)
山門(金毛閣とも呼ぶ
2.山門(金毛閣とも呼ぶ、桃山時代、千利休が自分の木像をこの山門に掲げ、豊臣秀吉の怒りをかい、伏見の自宅で切腹した話で有名だ!)
仏殿右側の巨大なイブキ
3.仏殿右側の巨大なイブキ(ビャクシンとも云う)(京都府指定天然記念物、現在の仏殿は寛文五年(1665)に再建されたものだから、その当時植えられたものと言われている)
仏殿を覆わんばかりのイブキ
4.仏殿を覆わんばかりのイブキ
仏殿内の釈迦如来坐像
5.仏殿内の釈迦如来坐像(フラッシュが途どかない)
法堂(国宝)
6.法堂(国宝)
三玄院「この塔頭寺院は
7.三玄院「この塔頭寺院は天正17年(1589)石田三成・浅野幸長・森忠政が創建したもので、石田三成が三条河原で断罪された時、その首を此処の和尚が懐に抱えて持ち帰り埋葬したが、この三成の名が刻まれたのは明治になってからである)

8.次回からこの大徳寺の有名な塔頭寺院の1.大仙院、2.瑞峰院、3.竜源院、4、高桐院を掲載していきます。こうご期待!!

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