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綾部の文化財

並松の由来となった綾部の古木名木100選のクロマツ

平重盛の古き時代より治水に務めた京都府北部を流れる大河:由良川の「並松町」の由来となった綾部の古木名木100選:クロマツ
 京都府北部を流れる大河:由良川。元何鹿郡(現在の綾部市)において平重盛公の時代から治水のため、由良川のこの地に井堰を造り治水に務めたと伝えられる。しかしこの大河:由良川は、再三にわたり大洪水を起こしてきた。この治水のため多く松の木が堤防沿いに移植され、また江戸時代初期に三重県の鳥羽から綾部に移封された初代九鬼藩主の九鬼隆季公もこの地に陣屋を設け(後に消失して現在の上野に九鬼館を設ける)松を植えた。
 美しい松並木が「並松町」の名の由来となったが、平成19年には松食い虫のため最後に残った二本も伐採されてしまった
川岸に枝が垂れ下がるのは「クロマツ」ではないだろうか
ここに掲載するのは平成15年頃撮影した最後の一本の写真である。川面に垂れ下がる枝が、水鏡となった綾部井堰の満々と湛える水面に姿を写し、素晴らしい一幅の絵になっている

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テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

綾部の文化財

由良川の四季 並松周辺八景 野鳥

綾部井堰周辺は水鳥の天国だ。たくさんの渡り鳥が見られる。
 今年の新型インフルエンザは「ブタ・インフル」と呼ばれるそうであるが、ソ連型インフルエンザは同じN型で、鴨などの渡り鳥を介して広まる「トリ・インフル」だそうである。かって丹波地方も養鶏場に広まり、綾部でも消毒などの処置がとられた。
 渡り鳥は水のきれいな由良川に遊んで、地球環境の大切さを印象付けてくれる
綾部井堰の満々と湛えられた静水面で泳ぐ水鳥
綾部井堰の満々と湛えられた静水面で泳ぐ水鳥
水面に浮かんでいる丸太に止まっている 綾部大橋の上から遠望。黒いのは川鵜か?
水面に浮かんでいる丸太に止まっている 綾部大橋の上から遠望。黒いのは川鵜か?
離水の瞬間・カメラを構えたら逃げていった
離水の瞬間・・・カメラを構えたら逃げていった
川面に水鳥が遊んでいた
川面に水鳥が遊んでいた。sony cyiber shotカ-ドサイズカメラのフリ-ハンド撮影。遠望風景です
300mm望遠を借り撮った写真
この写真は友人の300mm望遠を借り撮った写真をカメラ店で焼きつけ(銀鉛写真)さらにパソコンで拡大処理をしたもの
井堰の上を飛ぶカモ
井堰の上を飛ぶカモ
井堰の波紋の中心で泳ぐ
井堰の波紋の中心で泳ぐ
思い思いに群がる水鳥
思い思いに群がる水鳥
岸辺に待つ鳥に泳ぎ寄る
岸辺に待つ鳥に泳ぎ寄る
二羽が並んで
二羽が並んで
水しぶきを上げる傍でも二羽があそぶ
水しぶきが上げる傍でも二羽があそぶ
ゆったりとV字型の航跡を引いて
ゆったりとV字型の航跡を引いて
広い綾部井堰を泳ぐ水鳥
広い綾部井堰を泳ぐ水鳥

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綾部の文化財

由良川の四季 並松周辺八景 淡雪解けて

淡雪が降った日の由良川、たくさんの水鳥がいたが、カメラの視野から遠く、藪で近寄れないところにたむろしていた。綾部井堰で見つけ撮影
滔々と綾部井堰を流れる由良川
赤く染まった枯れ草の間を、滔々と綾部井堰を流れる由良川
新綾部大橋を車両が行き交う 遠くの山は積雪で白い
新綾部大橋を車両が行き交う 遠くの山は積雪で白い
白雪で薄化粧をした弥仙山
白雪で薄化粧をした秀峰・弥仙山
由良川の水面からのぞく堆積物に乗った野鳥
由良川の水面からのぞく堆積物に乗った野鳥
おまえなんか知らん
おまえなんか知らん

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綾部の文化財

由良川の四季 並松周辺八景 紅葉

綾部井堰の並松堤防から見る対岸の紫水ガ丘の紅葉も素晴らしい
由良川河畔から見る平和塔
由良川河畔から見る平和塔 世界連邦宣言第一号都市のシンボル
見事な紅葉に包まれた「ホテル綾部
見事な紅葉に包まれた「ホテル綾部」
由良川の清流と彩りの山
由良川の清流と彩りの山
綾部大橋の上部にR173号に架かる新丹波大橋のブリッジが重なって見える
綾部大橋の上部にR173号に架かる新丹波大橋のブリッジが重なって見える

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綾部の文化財

由良川の四季 並松周辺八景 カヌー練習

吊り橋状のブリッジがかかるR173の新丹波大橋の下あたりから綾部井堰に堰きとめられた静水面が始まる。味方側には笠原神社がある
綾部高等学校に「カヌ-部」があり活動している
綾部高等学校に「カヌ-部」があり活動している。艇庫は左岸、正暦寺の参道石段下に設けられている
綾部大橋の下を遊泳するカヌ-
国の有形登録文化財に指定された綾部大橋の下を遊泳するカヌ-。京都国体では上流の和知で「カヌ-競技」が行われた。「丹波ライン」の渓流なので、和知から連続しての遊泳も出来るようだ
赤、白、黄色の三艘が綾部大橋の下
この日は、赤、白、黄色の三艘が綾部大橋の下をくぐり何回も回遊していた
いかにも楽しそうだ
いかにも楽しそうだ
手作り筏で川を下る「由良川下り」の行事
手作り筏で川を下る「由良川下り」の行事があるが、この静水面に入ると殆ど動かないので、ゴ-ルするまで一苦労する所である

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綾部の文化財

由良川の四季 並松周辺八景 桜並木

綾部井堰の用水取水ゲートで内・外の2つの堰堤に分れた堤防に囲まれた河川敷は、丹波大橋を川下に潜ると綾部第一市民グランドになる。由良川土手は見事な桜並木になって第二市民グランドへと続き、JR舞鶴線の鉄橋を潜る
近くのオフイスから花見に続々、手に手に食料を持って男女
昼休みに近くのオフイスから花見に続々、手に手に食料を持って男女が繰り出してきた。先発隊は青いビニ-ルシ-トを土手に広げている

JR鉄橋に向かって、桜のトンネルの土手を歩く
JR鉄橋に向かって、桜のトンネルの土手を歩く
河川敷の市民グランドとJR鉄橋
市民グランドから新綾部大橋
市民グランドから新綾部大橋
新綾部大橋
新綾部大橋

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綾部の文化財

由良川の四季 並松周辺八景 桜の下で

陽気で桜が一気に開花した。風光明媚な並松の由良川河畔を散歩する人も多く、川岸でお弁当を広げる人も見える
近くに綾部高等学校東校舎があるので、桜と水面に囲まれて昼食をとる生徒たちが見られる
近くに綾部高等学校東校舎があるので、桜と水面に囲まれて昼食をとる生徒たちが見られる
桜にうずもれて楽しく語らいのひとときを過ごす
桜にうずもれて楽しく語らいのひとときを過ごす
国の有形登録文化財に登録された綾部大橋
国の有形登録文化財に登録された綾部大橋
仲の良い伊根山と大師山が並び丹波大橋が架かる
上流には、仲の良い伊根山と大師山が並び、その下に吊り橋のワイア-が綺麗に見えるR173号線にかかる新丹波大橋が架かる

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綾部の文化財

風光明媚な並松風景 綾部大橋

次の記述は綾部市資料館の解説である
指定年月日: 平成17年7月12日 国登録
時代:昭和4年(1929)
ポイント:・鋼製7連トラス橋、・橋長210m・幅員5.2m、・由良川と昭和初期の風情
 綾部大橋は、綾部市が市街地の東方、府道広野綾部線が由良川を渡る地点に架けられた道路橋である。1スパン約30mのボーストリング・トラスを7つ連続して架け渡している。
 ボーストリング・トラスは、ドイツのハーコート社が開発したプレハブ橋で、我が国でも各地で架設されたが、現存するものは少ない。この綾部大橋は、静岡市安部川に架かる安部川橋〔大正12年(1923)・14径間〕に次ぐ多径間のものである。
 綾部大橋は、現役の道路橋として活用されており、由良川の昭和初期の風景を今に伝える貴重な橋である
綾部大橋を現長旅館前の石畳におりて撮影
綾部大橋を現長旅館前の石畳におりて撮影
橋の川上,並松河畔から撮影。川水が濃い緑に染まっている
橋の川上,並松河畔から撮影。川水が濃い緑に染まっている
昔からある綾部大橋。西行きの一方通行
昔からある綾部大橋。西行きの一方通行。大型車は通れない。橋の出入り口に高さ制限の鉄梁が渡されており、選挙カ-が上に付けた候補者の看板を引っかけて落とし、選挙運動初日にして落選かものゲンの悪さを感じる所。
東側が少し高く、知らずにぎりぎり入ったRV車が西側で出られず。タイヤのエアを抜いて脱出する光景も見られる
下流からの綾部大橋
下流からの綾部大橋
綾部大橋下流。さざ波が広がっている
綾部大橋下流。さざ波が広がっている

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綾部の文化財

山紫水明の由良川河畔風景

「山紫水明」とはここのことを云うのだと、小学生のころ世間知らずの私は信じていた。対岸に「紫水閣」という旅館があったり、「紫水ガ丘」と呼ばれる高台がある。水鏡が見事に山を映すところである
二つ並んだ「伊根山」と「大師山」が仲睦まじい
綾部大橋上流の「現長旅館」の前から撮影。二つ並んだ「伊根山」と「大師山」が仲睦まじい。「水無月祭」の花火大会では、ここで「万灯流し:精霊送り」が行われる
川岸に枝が垂れ下がるのは「クロマツ」ではないだろうか
今は冬だが夏には、カヌ-やボ-トが見られる。この写真は数年前に写したものであるが、良く見ると川岸に枝が垂れ下がるのは「クロマツ」ではないだろうか?
並松の「クロマツ」:綾部の古木名木100選を取材中の四方續夫事務局長に問い合わせてみる
水の流れは綾部井堰に堰き止められて緩く流れる
川幅が広いので、水の流れは綾部井堰に堰き止められて緩く流れる。山家からの由良川下りも此処まで来ると手で漕がないと進まない。

 真夏日に蛇が対岸の笠原神社の森をめがけてクネクネと水を切って蛇行しながら、水上を泳ぐ有様を見かけたこともある。
 太陽の照りつける水面を一匹の大きな青大将が、鎌首を持ち上げ、体をくねらせてシュッシュッと水を切りながら、尾っぽを支点にするように蛇行して、かなりの速さで広い川面を渡っていった。
 「蛇が泳いでいる!」と妙に感心し、こんな何も無い無防備なだだっ広い水面で、鳶にでも襲われたらどうなるのだろうと思いながら、対岸に見えなくなるまでじっと眺めていたものだ。

歌人が、この並松周辺で詠まれたものを記してみる

綾部市並松町上番取8 由良川畔 第一浄水場前  
 岸本水府  仲のよい二人のような山と水

綾部市並松町上番取8 由良川畔           
 荻原井泉水 水や日日銀鱗年々新たなり

綾部市味方町 紫水ケ丘公園内 紫水閣庭内  
 吉井 勇  綾部川の水のひゞきの中に聴く人の心の高きしらべを

綾部市味方町 紫水ケ丘公園内         
 吉井 勇  うつくしき綾部の空を見つゝ思ふいまも飛へるや金色の鳩 

綾部市味方町 紫水ケ丘公園内        
 荻原井泉水 夏雲白し山中広し市をなす

綾部市味方町井上寺48 宝住寺境内 句碑羅漢
 丸山海道  山蟻の 親の教へに 迂回かな
  注)丸山海道氏は、京都の俳句結社「京鹿子」の元・主宰
   宝住禅寺住職の河野義方禅師より教えていただきました(感謝)

綾部市 久田山(由良川を見下ろす丘)     
 加藤克巳  山もとのかすむあたりの遠じろの由良川うねる神の代のごと

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綾部の文化財

綾部井堰取水口~綾部用水へ

満々と湛えられた綾部井堰の左端、並松側の一角に取り入れ口がある。これが綾部の市街化区域と農業調整区域の境を高津まで流れる綾部用水である
綾部井堰の取り入れ口
綾部井堰の取り入れ口
灌漑用水取り入れ口から上流を見る綾部大橋が見える
灌漑用水取り入れ口から上流を見る。国の登録有形文化財(建造物)に指定された綾部大橋が見える
内堤防と外堤防の2重になった堰堤の間を用水が流れる
内堤防と外堤防の2重になった堰堤の間を用水が流れる
用水路は新丹波大橋をくぐって
用水路は新丹波大橋をくぐって、両堤防間にある河川敷に設けられた市民グランドの方へ流れていく
綾部用水水門
綾部用水水門
市民グランドの野球場とテニスコ-トの間にあり、この水門までは、味方井堰の取水口から入った由良川の水は市民グランドを夾む東西の2重堤防の外側下を流れて、この水門から堤防外に出る
綾部市井倉町より福知山市前田まで近代的な用水路
綾部市井倉町より福知山市前田まで近代的な用水路に構築
綾部・福知山用排水改良工事
昭和29年~40年、13年間の府営工事
用水総延長:8611m 総工費:7、770万円
排水路総延長:7505m 総工費:13,394万円
綾部、福知山両市より特別助成
 昭和41年11月11日 竣工式典
「水は人々の 且つ 万物栄養の素」
川糸樋管 樋門放水路 排水
上記の綾部用水取水口の上流にある。川糸樋管 樋門放水路 排水
川糸樋管 樋門放水路 排水
川糸樋管 樋門放水路 排水
上記の樋門の百メ-トル程下流にあり、こちらは用水路の中に設けられている

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綾部の文化財

滔々と流れる綾部井堰の景観を楽しむ

遠く京都市北部である芦生の源流から美山、和知と流れくだり、京都北部を流れる大河「由良川」の水流が、しばし静止する綾部井堰を写した
綾部井堰、この上流は広々とした水面
綾部井堰、この上流は広々とした水面で、ボ-ト遊びも出来る
綾部大橋が見える
綾部大橋が見える。市内に入る一方通行の車道で、大本節分祭の人型流しは、この橋の上から行われる。大本では由良川を和知川と呼び、弥仙山と和知川を毎朝の祈りの言葉の中で、たたえられている
四角いブロック平面を流れる
四角いブロック平面を清流が流れる
綾部井堰を流れる清流
綾部井堰を流れる清流
重なった段を次々と泡を立てて流れる
重なった段を次々と泡を立てて流れる
綾部井堰下流からの全景
綾部井堰下流からの全景

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図書紹介

由良川の流れに沿って・・並松史

緑の文化財「綾部の古木名木100選」の由良川並松町川岸:クロマツ、並松の由来となったの紹介資料(後日、四方續夫事務局長が記事アップ予定)
さらに、先の「由良川井堰中興の祖 近藤勝由頌徳碑」および「綾部井堰堰堤工事などの記念塔」の関係資料として、この「並松史」を求めたところ、早速にも四方續夫事務局長より届けていただいた
由良川の流れに沿って・・並松史
並松町自治会編A4版60ページ、並松史編集委員会(四方真人、朝日達郎、余田修、上西信行、四方源太郎)の手になる冊子である。

上記の近藤勝由、綾部井堰に関係する記述を以下に引用させていただく。頌徳碑の碑文についての解読はまた別の資料をさがすこととする。

☆由良川の井堰
 並松には綾部井堰がある。井堰は灌漑用として田畑で利用する水を確保するために築かれた。「伝承によると、綾部井堰は平重盛が綾部を領していたときに築いたということであり・・」と『綾部市史』には記されているが、いつ頃からのものであるかの確かな史料はない。寛永11年(1634)に九鬼隆季が綾部に入ったときの絵地図には、すでに綾部井堰が記されている。
 綾部史談会の山崎巌会長によると、史談会の歴代会長によって、この点については異なる見解があるそうだ。重盛による築造というのは村上祐二さんの説であり、その後、梅原三郎さんは『大規模な土木工事には、この地域をまとめる大きな権力が必要だ」と見ていて、室町・戦国時代の頃ではないかと考えておられたという。
 山崎さんは江戸時代後期に福知山藩士が書いた『丹波志』の「何鹿郡の部」に、「綾部井堰は明智氏によって作られた」という記述があることを根拠に、明智光秀が築造したのではないかとの説を支持しておられる。ただ、光秀は2年程しか丹波を治めていなかったので、その短期間に綾部井堰のような大事業ができたのかという疑問もあり、今のところ築造時期は不明とのことであった。
 堰の杭や桁に使用する材木は、須知山口井根山(大師山)と田野村宮ノ奥のニケ所を井堰御留山として、藩の許可を得て切り出していた。井根山の名は、井堰の杭に由来している。

 綾部藩は、天田井堰の復修や上流と下流の農民による水をめぐる紛争に手を焼いていた。慶応2年(1866)の大洪水で綾部井堰の下流にある天田井堰が大破したため、綾部藩の代官近藤勝由は、藩主九鬼隆備に二つの井堰を一つにすることを提案し、中筋村の大庄屋羽室嘉右衛門の協力を得て、慶応3年3月にエ事を完成させ、これにより、現在の綾部用水の基礎ができた。
 明治17年にも、近藤(当時は士族)は綾部井堰を急斜式(登り堰)に改造する工事を行った。この近藤の功績を顕彰する碑が並松町の市民センター横に建てられている。
 後に、昭和28年の台風13号によって、江戸時代からのこの綾部井堰は跡形もなく流失した。これは灌漑や水道に大きな影響を与えたため、早急な復旧が求められ、綾部市が建設省から1億円余りの災害復旧費を受けて、29年2月から工事を開始し、35年に完了した。
 古い綾部井堰は、由良川を斜めに横断していたので、28年の水害では味方地区に大きな被害を与えた。そのため、現在のものは水流と直角になるように設計されている。現在の井堰は、長さ212.3m、幅45m、落差2mの当時としては近代的な堰堤であった。

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あやべの街

綾部に又名物「自家製麺のうどん店・こさか」が開店大繁盛

綾部市本町8丁目101番地にに平成21年4月に自家製麺・うどん店「こさか」が開店した。小生入院中で紹介が遅れましたが、この度、姉の案内で家内と3名で昼食を「うどん」に決めて食事に出かけた。噂さにたがわず、店はカウンター7席と待合席6つのこじんまりとした店であったが、お客は絶え間なく入れ替わって入ってくる。なるほど昼定食はたった500円で自家製麺のうどん、おでん2個、小盛のご飯が付いていた。これで女性の方は満腹。小生欲張って「1個100円のおでん」を三個追加して食べたら腹一杯となり困ったが満足。店の名の由来は旦那さんの小村の「こ」と奥様の旧姓・さかむらから「さか」を取って「うどん店・こさか」と名付けたとのこと。水曜日は閉店、通常午前11時30分~午後2時30分、夕方は午後5時~午後8時30分の諭旨。因みに電話は0773-43-2234です。!駐車場も横にあり、多数の駐車は可能です。
自家製麺・うどん店「こさか」
1.自家製麺・うどん店「こさか」
入口から入る人々
2.入口から入る人々
入り口のメニューの案内板
3.入り口のメニューの案内板
ご夫婦の笑顔とサービスは満点
4.カウンター7席と待合席6席とこじんまりとしているがご夫婦の笑顔とサービスは満点
ご主人の自家製麺作り
5.ご主人の自家製麺作り
おいしい「うどん」昼は300円
6.おいしい「うどん」昼は300円のみで、おでんは一個100円、ご飯小100円、ご飯大150円(小生は辛口が好み、辛口好みは事前に言った方が良い)

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綾部の文化財

綾部井堰堰堤工事などの記念塔

綾部市民センタ-の裏側に一郭を設けて二つのモニュメントが立っている
記念塔
記念塔の建設
記念塔の建設
綾部井堰水利組合が土地改良法の改正で解散、綾部井堰土地改良区を設立、改良事業誌を編纂、刊行するに至った。それ等を記念し記念塔を建設
晴れわたる空を まみずの 尊さを想う
水は人々の且つ万物栄養の素
綾部福知山用排水改良工事
水は人々の且つ万物栄養の素
岩をも打ちくだく水 しばし砂中を むげに歩む
綾部井堰堰堤工事
昭和28年9月の大洪水に堰堤が全部決壊したので、災害復旧事業として建設省の査定を受け綾部市が施工する。
堰堤長:212.3m 幅員:45m
総工費:113,01千円 にて完了する。
岩をも打ちくだく水 しばし砂中を むげに歩む
水は雲と化し台風を起こし洪水を生む
災害復旧本宮堤防
国営由良川改修工事
水は雲と化し台風を起こし洪水を生む
水は水平にすなをにつく本性あり
綾部用水改良工事
水は水平にすなをにつく本性あり
水の能らきとその性を称える
綾部福知山排水事業完工記念塔
水の能らきとその性を称える

舞鶴のバスの屋根に取り残され由良川の濁流に耐えた報道など、先年の台風23号も大きな被害をもたらし、福知山市に洪水記念館が建てられ洪水の歴史資料を保存する報道がされている。
「28水」と呼ばれる洪水では、由良川の湾曲部であるこの辺り一帯:並松の堤防が決壊し、市街地に水がまともに流れ込んだ。綾部市街のかなりの土地が冠水する大被害となった

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綾部の文化財

由良川井堰中興の祖 近藤勝由頌徳碑

綾部市民センタ-の裏側に一郭を設けて二つのモニュメントが立っている。その一つが昭和10年建立になる「近藤翁頌徳碑」である。碑文は難しくて私の力では読めないので、最近編纂されたと聞く「並松史」を参照させてもらえるよう四方續夫事務局長に依頼する
近藤勝由頌徳碑
近藤勝由頌徳碑
近藤勝由頌徳碑 拡大
近藤勝由頌徳碑 拡大

丹の国綾部 第4話 九鬼氏と綾部の人々より
http://www.nbcayabe.com/kaiki/kuki.htm
に九鬼藩士で由良川改修に功績のあった近藤代官(近藤勝由)のことが書かれているので紹介する
綾部藩と由良川
綾部九鬼藩と由良川
九鬼氏の治世をしのぶとき必ず思い出されるのは、丹波にとって母なる大河由良川である。山間の地に 塞せしめられた日本水軍の総帥九鬼氏の郷愁をなぐさめた由良川は、古来郷土の文化、産業、経済、交通その他あらゆる社会事象の母胎をなして来た。明治までの日本海表日本への物質の運搬はほとんど、大島福知山由良湊を経て通船で行われた。川筋の村々には船舶があり、庄屋は船問屋役をかねて大いに繁盛した。
 ”位田、栗村、大島、高津、人の情けのない所”と、いまだに人々の口にされるのは、川筋の村々にとって度重なる洪水との戦いと、通船による商いの活発化によって、綾部人としてはどちらかといえば、きびしい合理性を身につけていたためと推察される
丹波からの下り船は、茶
丹波からの下り船は、茶、木綿、うるし実、木材、竹、桐油美、木炭、楮三つ又、こんにゃく、柿、大豆等であり、上り船は酒、油かす、干いわし、塩等であった。
由良川水路が商業交通路として重要であったことは、京都、長柄屋治兵衛が宝暦九年(1759)に由良川と保津川とを運河で結んで京阪神と北国の物産とを直結しようと計ったことでもわかる
由良川の水を治めて五穀豊穣を願う心は
由良川の水を治めて五穀豊穣を願う心は、古来から綾部領主の願う処で、並松の景勝を作る綾部井堰、義人吉次郎の物語も悲しい位田井堰は、両丹最大の灌漑施設で、その建設年代も定かでない。九鬼隆季公が寛永十年(1633)入部された時の陣屋古図にはすでに井堰用水路が描かれており、それ以前の記録はないが、井倉八幡宮の社伝には、平氏の施工と伝えられており、福原新都の大工事をなしとげた平氏の実力からして、正歴寺熊野新宮社ゆかりの重盛公がなされたとしても、少しも不思議ではない
領民の幸せを願う九鬼氏の心は
領民の幸せを願う九鬼氏の心は、この井堰の改修にはたえず力をそそぎ、井堰中興の祖と仰がれる近藤代官(勝由)の名と共に綾部人にとって忘れてはならないものである。

 ”綾部川の水のひびきの中にきく 人の心の高きしらべを”  吉井 勇
 古代より悠々と流れ、大地を潤し、時には氾濫して人々を恐れせしめ、また舟を通わせて他国の物産と情報を伝え、丹波ラインに並松に私達の心を和ませてくれる由良川は、綾部のことを次の様に語ってくれる。
 「出雲文化の土壌の上に大陸の文明が融和して高度な民力を養い、強力に流れ入る平安文化は更に伝統に磨きをかけ、足利尊氏を生んだ誇り高き里は、平和な二百三十年の九鬼氏の治世を経て、初めて郡是と大本による綾部ナショナリズムの第一の開花を見るのである」と

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文化財研修記

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第13回今回のハイライト浄土真宗西本願寺派の真照寺

浄土真宗本派本願寺(西本願寺派)の古刹・真照寺の山号は閑雲山と云い、山門にある「扁額・閑雲」は京都府宇治市の万福寺の第二世木庵上人の書であり、この山門は万福寺の山門をまねて造営されたと云う。開基は岡美太郎で元は天台宗に属し、滝馬にあったが、火災により天正三年(1575)大久保に移り、丹後守護の一色五郎義俊の祈願により、本願寺十一世顕如上人(けんにょしょうにん)により真照寺の寺号を得た。その後、丹後守護京極高広(かの有名な豊臣秀吉の愛妾・龍子の甥)の頃の十七世紀前半に現地の小川町に移転した。第七世恵乗上人(俳号:鷺十ろじゅう)は前回紹介した通り与謝野蕪村の友人・三俳僧の一人であった。その後、この寺では代々俳僧を出し、丹後の俳壇に活躍したと云う。
真照寺の山門と鐘楼
1.真照寺の山門と鐘楼
山門・万福寺二世木庵上人の扁額・寺宝の「閑雲」
2.宇治市の万福寺の山門を真似て造営した山門・万福寺二世木庵上人の扁額・寺宝の「閑雲」が見える
見事な本堂正面の欄間彫刻
3.見事な本堂正面の欄間彫刻
本堂から庭園と山門を見る
4.本堂から庭園と山門を見る
見事な鎌倉時代初期の作・ご本尊・木造阿弥陀如来像
5.見事な鎌倉時代初期の作・ご本尊・木造阿弥陀如来像
狩野派・片山尚量晩年86歳の「花鳥図」その1
6.正徳三年(1713)狩野派・片山尚量晩年86歳の「花鳥図」その1
「花鳥図」その2
7.同上「花鳥図」その2.両方とも襖に貼り付けのものである

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文化財研修記

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第12回浄土宗・無縁寺

この寺の山号は大悲山で無縁寺と云う浄土宗のお寺です。開山は笑誉吟雪上人と云われ元禄二年(1689)の創建と云われております。宮津市の寺町ではもっとも新しい寺院であるとのことです。無縁寺の第九世・輪誉上人(りんよしょうにん)は俳号を両巴(りょうは)といい見性寺「通称:蕪村寺」の触誉上人(俳号:竹渓)で紹介したようにこの二人に加え、次回の第13回で紹介予定の浄土真宗・真照寺の恵乗上人(俳号:鷺十)三人が与謝野蕪村が宮津在住時代(宝暦4~7年、1754-57)の俳諧(はいかい)仲間であり、蕪村の「三俳僧図(さんはいそうず)」にユーモラスなタッチで描かれています。
この下をクリックして頂くと「宮津市寺町周辺の地図が出ます」
http://www.mapion.co.jp/m/basic/35.532771112803914_135.19332324757946_9/t=simple/size=600x550/icon=home,135.28046,35.3276/
無縁寺の山門
1.無縁寺の山門
山門のアップ
2.山門のアップ
無縁寺の駒札
3.無縁寺の駒札

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ぶらり城下町宮津を歩く!第11回浄土宗の古刹「光明山・悟真寺」

宮津城下では寺院のほとんどが城下の西側山麓地域に配されていて、現在でも、12ヶ寺が金屋谷(かなやだに)、小川、宮町に集まっている。佛生寺の鷲尾住職様との話しの中、宮津市は今人口21、000余名、この12ヶ寺がある旧町内は人口1万余人であり、お寺を維持していくのが大変とのこと。小生の住む綾部市でも市制制定の昭和25年では人口5万4千名であったが、平成20年現在で3万7千余名の少子高齢化の波を諸に受けている両市である。今回紹介する浄土宗の古刹「光明山・悟真寺」は光誉悟真上人によって元和二年(1616)に開かれた寺であり、その名を取って「悟真寺」と云う。この寺のご本尊は素晴らしい阿弥陀如来様と聞いていたが、ご住職不在で写真等は撮影できなかった。尚、当寺には丹後地方の著名な俳人の句が献じられている諭旨。更に地蔵堂の地蔵菩薩像、慈眼堂の観音菩薩像が過ってはあったが現在は無く、その素晴らしい像は本堂に安置されていると聞いていたが、この像も撮影できず又の機会としたい。
寺院の案内板が電柱に
1.寺院の案内板が電柱に掲げられている。奥に北近畿タンゴ鉄道の下を通る道が見える。線路を越えて右に行くと宮津中学校があり、道を聞いたら「確り教えてくれた。」感謝!
浄土宗・悟真寺の見事な鐘楼門
2.浄土宗・悟真寺の見事な鐘楼門
本堂
3.本堂
扁額「光明山」
4.本堂に掲げられた扁額「光明山」、おそらく創建当時の扁額と見え、字がかすれて明確には読めない
本堂から庭園・墓地を見る
5.本堂から庭園・墓地を見る

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ぶらり城下町宮津を歩く!第10回浄土宗・一心山・見性寺「別名:蕪村寺」

佛生寺を右手に出て30メートル、そして電柱の案内看板を左手に50メートル浄土宗・一心山・見性寺(けんしょうじ)の見事な朱塗り(大分剥げ落ちている)の山門に至る。この寺は別名「蕪村寺」と云い、名の如く与謝野蕪村が、この見性寺に宝暦四年(1754)、39歳の時来寺。約3年余り、この寺を足だまりとして、天橋立の周辺から加悦谷(かやだに)(加悦谷高等学校は世界合唱コンクールで有名)、そして北丹後地方へと出歩き、宝暦七年(1757)再び京都の人となった。この宮津時代三年余は、蕪村に大きな影響を与え画家無村として又俳諧(はいかい)の道としては、この見性寺では竹渓(ちっけい)、後ほど訪問する真照寺では鷺十(ろじゅう)、無縁寺では陸巴(りょうは)などと親交を結び励んだ。現在の見性寺には蕪村をしのぶものは無いが、当時の山門と後日建立された「句碑」のみが残っている。
真性寺の山門
1.江戸時代そのままの真性寺の山門(与謝野蕪村もここを潜った)
山門前の「宮津市教育委員会の駒札」
2.山門前の「宮津市教育委員会の駒札」
山門の両脇の「句額」その1
3.山門の両脇の「句額」その1
山門の「句額」その2
4.山門の「句額」その2
与謝野蕪村の「句碑」
5.境内にある与謝野蕪村の「句碑」は河東碧悟桐(かわひがしへきごどう)書で「短夜や六里の松に更にたらず」と記されている

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ぶらり城下町宮津を歩く!第9回今回のハイライト浄土真宗の古刹佛生寺

ぶらり城下町宮津を歩く!は第9回目となったが、第1回から第4回目は導入部分で小生にとっては不本意であった。この第9回目に初めて読者の皆様のご期待に添える記事となった。浄土真宗本派本願寺(ほんぱおんがんじ)即ち、西本願寺派(お西さん)の古刹である「佛生寺(ぶっしょうじ)」を紹介します。織田信長の命により、丹後攻めを開始した細川幽斎(実は将軍義輝の異母兄)は天正八年(1580)に田辺(今の舞鶴)に進攻、この地の海岸に城(田辺城)を築こうとし、この地の巨大な力をもつ一向宗(浄土真宗)集団の力を借りることとし、その有力者の楠正成(くすのきまさしげ)の末裔・楠源吾「後、明誓上人(めいせいしょうにん)」に娘を嫁がせ縁戚として力をかりた。そして、田辺城(古今和歌集伝授・綾部山家藩谷の空鉄砲でも有名)を完成し、明誓上人にはこの田辺の地に見事な一向宗の寺「瑞光寺」を建立した。又楠源吾は武術・楠流ゲリラ戦にもたけており息子・忠興の武術の師にも迎えている。この明誓上人の隠居寺として建立されたのが宮津市の「佛生寺」である。綾部市にある同派の「浄光寺」の三つは兄弟寺として今日も栄えている。さて小生綾部から来たこと知り、この佛生寺の鷲尾住職の好意により、1時間近くも山門、細川九曜紋(ほそかわくよううもん)、幕末の勤皇画家・佐藤正持(さとうまさもち)、見事な欄間の話を拝聴した。綾部山家藩の谷の空鉄砲の話などは読者諸氏は良く知って居られると思うので割愛する。
佛生寺の唐風の屋根を導入している見事な山門
1.佛生寺の唐風の屋根を導入している見事な山門とその裏手に本堂が見える
山門の見事な浮き彫り彫刻
2.山門の見事な浮き彫り彫刻
山門に浮かぶ「細川九曜紋
3.山門に浮かぶ「細川九曜紋(ほそかわくようもん)とその云われ:当初細川家の家紋は板倉巴九曜紋(ともえくようもん)とよく似ていたが延享四年(1747)に江戸城本丸にて第七代細川宗孝が家紋故、間違われて板倉修理に刺殺(江戸城本丸七刺殺の一つ)され、その後、間違われないようにこの紋となったと云う。と云うと、この門は細川家が熊本に移封された随分後で創建された山門と云うことになる
見事な須弥檀と本尊阿弥陀如来像
4.見事な須弥檀(しゅみだん、仏壇のこと)と本尊阿弥陀如来像
美しいお顔の阿弥陀如来様
5.美しいお顔の阿弥陀如来様(正面から撮影出来ず残念)
両側の襖には佐藤正持の「源氏物語・明石
6.正面の見事な須弥檀の両側の襖には幕末の勤皇画家・佐藤正持の大変珍しい「源氏物語・明石にいる明石君の処に光源氏を迎えに!帰京後、光源氏は大納言に昇進す!」が描かれている
本堂内の巨大な梁の欄間の浮き彫りは
7.本堂内の巨大な梁の欄間(らんま)の浮き彫りは見事だ!その1
同  上  その2
8. 同  上  その2

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ぶらり城下町宮津を歩く!第8回大久保山城跡と桜山天満宮

和貴宮神社から西へ100余メートル、大久保山は標高30メートル余の小高い山だが下には「大久保城跡」宮津市教育委員会の駒札が立っている。折角だから登ってみようと上がりかけるとたかが30メートルだが大変きつかった。この古城は丹後守護職一色氏の有力家臣の小倉播磨守の城であったが、天正六年(1578)の明智光秀、細川幽斎・忠興父子の丹後・丹波攻めで滅亡した処である。頂上は桜山児童公園となっており、小倉播磨守を祀るちっぽけな神社があるのみでした。其処から道を下ると、左手下に「桜山天満宮」が見える。この天満宮は豊臣秀吉が身辺に守護神として持っていた「菅原道真公の像」を側室・愛妾の兄・京極高知(きょうごくたかとも)を身辺に用いて出世させる条件で、この愛妾・本名・ 龍子(気が強く見込みの無い若狭の武田氏から離婚した)をくどき落として愛妾としたこの「松の丸殿」の甥・高広に下げ渡した像が祀ってある。この愛妾・龍子にしても、糟糠の妻・ねねにも子供はできなかったの残念至極である。二人とも才色兼備でひとりでも子供があったら豊臣家は万全であったろうに!予断だが、長浜には「ねねの赤子の墓」がある。
大久保山城跡の駒札
1.大久保山城跡の駒札
大久保山城跡への登り道・鳥居が見える
2.大久保山城跡への登り道・鳥居が見える
一色一族と家臣を祀る小社
3.山頂の広場は「桜山児童公園」で奥に一色一族と家臣を祀る小社
山頂から桜山天満宮へ降りる道・左手の木々の間に天満宮がみえる
4.山頂から桜山天満宮へ降りる道・左手の木々の間に天満宮がみえる
木造り神像菅原道真公」が祀られている天満宮
5.豊臣秀吉が愛妾・近江佐々木源氏末裔の京極高知の娘・龍子(二の丸殿)のため甥の京極高広に贈った念持の「木造り神像菅原道真公」が祀られている天満宮
桜山天満宮,右手の赤い屋根は摂社の稲荷社
6.横から撮影した桜山天満宮,右手の赤い屋根は摂社の稲荷社

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ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第7回宮津の名の発祥の和貴宮神社

宮津市の素晴らしい「カトリック宮津」から南に100メートルのところに「和貴宮神社(わきのみやじんじゃ)」がある。宮津の地名は、当神社の祭神・天之水分神(あまのみまくりのかみ)を宮の津即ち宮祭る港の址と記されている。他に祀る神々は伊邪那岐・伊邪那美神、豊受神、海津見神、猿田檜彦神、我野姫を祭るが古代には丹後一ノ宮籠神社(このじんじゃ)の別宮で別き宮(わきのみや)と呼んでいたと云う。この神社正面右手後方には「波越巌(なみこしのいわ)」があり、往時には波がここまで来ていたと記されている。文明二年(1470)四月十一日、時の守護職一色氏(いっしきし)が丹後国一ノ宮の祭神・天水分神他三柱を合祀したとも記されている。丹後一ノ宮籠神社については最後にクリックして見て頂くようにした。
和貴宮神社正面
1.和貴宮神社正面
拝殿内部
2.拝殿内部
波越巌と巨木
3.波越巌(なみこしのいわ)と幹周3メートルの巨木(宮津市では古木・名木の調査が少ないのは残念だ!。往時はここが海岸であった
和貴宮神社はバックシャン
4.和貴宮神社はパリのノートルダム寺院と同じでバックシャンです。裏側の写真

丹後一ノ宮籠神社は下記をクリックして見てください。
http://www.ayabun.net/kensyu/tango/tango.html

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ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第6回日本で2番目に古いカトリック宮津教会とその見事なステンドグラス

宮津市役所からほんの徒歩で数分で無料で貰った「歩ら輪ぐ散歩名所ガイド」を見て歩く。古びた街の中に見事な教会が見えてくる。このカトリック宮津教会は10数年前に一度見学したことがありその見事なステンドグラスを今も覚えていました。この教会は明治21年に宮津にこられたフランス人でパリ外国宣教教会から日本に派遣されたルイ・ルラーブ神父が丹後地方のカトリックの創設者として丹後地方で始めて創設されたものです。今残っている教会の建物は地元の旧家,田井氏(舞鶴には田井の地名がある。魚のたいの苗字もある。)の寄進によるもので,珍しいフランス風の建物です。又内部には畳が敷いてあり、和洋折衷の大変珍しい教会内部です。その素晴らしいステンドグラスを飽きずにずっと眺めて居れます。久しぶりの教会でドーネーション(寄進)も久しぶりでした。
フランス風の「カトリック宮津教会」
1.フランス風の「カトリック宮津教会」左の建物はルイ・ルラーブの名前を付けています
内部は「聖櫃(せいひつ)」
2.内部は「聖櫃(せいひつ)」ーーーー十字架の真下の白い覆いのある部分を云い、ミサ中に聖別されてキリストの体となったパン、すなわち聖体が中に保存されています。
「祭壇(さいだん)ーーー教会の中心となる部分で「最後の晩餐の式(バチカンの十二使徒とユダの絵が有名)」が行われる所です。教会内部の両側のステンドグラスが凄いです
当時のフランス直輸入のステンドグラスは見事
3.私は仏教徒でクリスチャンではありませんが、明治21年(1888今から130年も前)当時に布教に来られた神父様には敬意を捧げます。当時のフランス直輸入のステンドグラスは見事で呆然と数十分見ていました。和洋折衷の畳が良く見えます!




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ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第5回KTR宮津駅と丹後守護職であった一色氏の一色稲荷神社

国道178号線で宮津市内に入ると左側に「KTR宮津駅」の案内板が信号機の上に見える。そこで左折してKTR宮津駅の観光案所へ立ち寄ろう!いろいろと豊富なパンフレットが無料でもらえます。今回重宝したのは「歩ら輪ぐ散策名所ガイド」のパンフレットであった。貸し自転車は2時間以内400円、1時間増すごとに100円、中学生以下は200円、50円であるが、小生はリュックサックで「ぶらり歩き」と洒落込んだ。乗用車はちゃっかりと無料の宮津市役所に止め、用事有るが如くに通りぬけした。
KTR(北近畿タンゴ鉄道)宮津駅と観光案内所
1.KTR(北近畿タンゴ鉄道)宮津駅と観光案内所(無料のパンフレットをもらおう)大正15年(昭和元年1926)鉄道が開通、現在は「海園都市みやず」のイメージの駅舎
大手川と左手に工事中の宮津市役所
2.市役所前の大手川に「宮津城大手門」が昔はあったが、今は大手川と左手に工事中の宮津市役所がみえる
市役所前の「宮津旧市内案内図」
3.市役所前の「宮津旧市内案内図」
元丹後守護・一色義清を祀る「一色稲荷神社」
4.元丹後守護・一色(いっしき)義清を祀る「一色稲荷神社」その1.
 室町初代将軍足利尊氏公に古くから仕えた足利一門である一色氏は南北朝末期明徳三年(1392)正月に丹後守護職に補任された一色満範を初代としている。その後若狭の武田氏にその職を奪われたがこともあったが、七代義清(1500年前後)の代までは不明であるが、明智光秀、細川幽斎・忠興の丹波・丹後攻めで滅亡。しかしその末裔は綾部志賀郷(しがさと)の豪農・遠藤三郎兵衛(えんどうさぶろべえ)として現代まで続いている史実がある。有名なのがグンゼ三代目遠藤三郎兵衛(芦田均元総理大臣の叔父で養子)である。詳細は綾部志賀卿(しがさと)遠藤三郎兵衛を参照
後ろは巨大な古木がみえる
5.上記その2.(後ろは巨大な古木がみえる。宮津市の古木・名木が選定されると面白いのだが!

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ぶらり城下町宮津を歩く!第4回名勝・奈具の海岸と昼食場所

由良海岸から国道178号線を宮津市方面に行くと、つずら折れの難所で・景勝の地「奈具(なぐ)の海岸」に至る。スピードを落とし、特に大型車とのすれ違いには十分注意して中央ラインをオーバーしないようにして下さい。途中数ヶ所に「駐車展望台」があるので楽しんで下さい。晴れた日には遠方左に「栗田(くんだ)半島」真ん中遥か遠方に「天然記念物のおおみずなぎの鳥の居る大鳥(冠島)」、そして右手には舞鶴半島先端の岬が見えます。小生がいつも行く昼食場所「双子岩(食事処・キヤンプ場)」は1,050円の定食を楽しんでいるのですが木曜日で休み。仕方がないので,引きかえし、レストランで海鮮どんぶり1,280円を食した。カップルやグループで海岸美を楽しみ昼食事の最中であった。次回はいよいよ「徒歩でぶらぶら城下町旧宮津の町の寺社を見学」します。請う、ご期待を!
「栗田半島と関西電力の魚っち館」が左遠方
1.駐車場から「栗田半島と関西電力の魚っち館」が左遠方に見える。左の建物はレストラン双子岩(食事と砂浜のキャンプ場がすばらしい」
レストラン「しきふ」は海鮮どんぶり
2.このレストラン「しきふ」は海鮮どんぶり1,280円(2食付宿泊が一人8,000円からが魅力)
平日なのに多くのカップルとグループが海岸美を楽しみながら食事中
3.平日なのに多くのカップルとグループが海岸美を楽しみながら食事中。通常双子岩
は大混雑、午前11時30分か午後1時からがすいている

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ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第3回京都の自然200選由良の門(戸碑)

更に、国道178号線を宮津方面に向かっていくと、由良海岸の左へカーブになる。其処には地元銘酒の「白嶺酒造」があり、無料でお酒の試食ができる。小生も夕食時、飲んだことがあるが中々乙な味わいであった。更に進み、由良海岸の終わり頃、左手に大きな石の碑が見える。車を止めて、「京都の自然200選の由良の門(戸碑)」と海岸美を楽しもう。この海岸美は多くの歌人に歌われているが、この由良の戸碑は天保元年(1830)に京都の歌人の賀茂季鷹 (かもの・すえたか江戸中期) が若狭小浜から天橋立に行く途中にこの由良の沖を通り、曽根好忠(歌人にして丹後掾たんごのじょう・役職、中古三十六歌仙の一人、900年代末の人)が次のように謡った「由良の門を渡る舟人かじを絶え ゆくへも知らぬ恋の道かな」そのことを思い出して、曽根好忠は「由良の戸に梶を絶えしは昔にて 安らに渡るけふの楽しさ」と謡った。そして、天保12年(1841)にこの碑は建立された。又、由良の海岸美は格別なものである。
京都の自然200選由良の門(戸碑)の」駒札
1.京都の自然200選由良の門(戸碑)の」駒札
戸碑「天保12年(1841)」の銘が読める
2.戸碑「天保12年(1841)」の銘が読める
素晴らしい由良の海岸美
3.素晴らしい由良の海岸美(あいにく今日は雨模様で期待した程の写真撮れず)
上記の代わりに「看板」で海岸美をお楽しみ下さい
4.上記の代わりに「看板」で海岸美をお楽しみ下さい

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ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第2回安寿と厨子王像

国道178号線を更に、由良・宮津・天の橋立方面に向かうと、ほぼ由良川の河口近くになる。ここは「みかんの産地」で有名で11月末から3月前まで「温州みかん」ついで格安の「伊予みかん」が直売される。その近辺左手に「安寿と厨子王の銅像」が見える。無料の休憩所と自動販売機があるので一休みして行くと良い。尚、後ろの山手は「つつじ公園」で車で上がれる。そこから北近畿タンゴ鉄道の橋と由良川河口の絶景が見える。小生、高等学校卒業旅行はお金が無いので友人3人で日帰り旅行でこの橋を丹後神崎方面から由良へ向かって、自転車を引っ張り渡っていると、汽笛が鳴り、モクモク噴煙を吐く列車が近ずいてくるではないか!大慌てで冷や汗をかき、自転車を引っ張り橋を渡った40数年前がここではいつも思い出される懐かしい所です。
安寿と厨子王の銅像
1.安寿と厨子王の銅像
案内の駒札のアップ
2.うらが案内の駒札のアップです
もみじ公園から大河・由良川河口と北近畿タンゴ鉄道由良川鉄橋
3.上の「、もみじ公園」から京都府北部の大河・由良川河口と北近畿タンゴ鉄道由良川鉄橋

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ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第1回・山椒大夫屋敷跡

久しぶりに、福知山から国道178号線宮津市に向かう。右手に京都府北部の大河「由良川の河口」が見えてくると、左手にここからは「宮津市」の大看板が左手に見える。その先は左側に車の駐車用の空き地があり、トラック、自家用車なら数台駐車できる。ここに乗用車を留めて再び、左を見ると「由良の歴史をさぐる会」建立の大きな縦型の「山椒太夫屋敷跡」の駒札がある。其処か左の道を数十メートル行くと同じく由良の歴史をさぐる会の駒札「三庄太夫屋敷跡」がある。山庄太夫とはの地方の三地区世話をしていた大庄屋であり、史実が伝えることとはまったく違って善政を布いたのが実情であったと理解している。安寿と厨子王の記念碑は由良川右岸にある。この紹介は数年前したので割愛する。ここ数回はがまんして見て下さい。宮津旧町内の寺院は見事な仏像も紹介します。
「山椒大夫屋敷跡」の縦型の大駒札
1.由良の歴史を守る会の「山椒大夫屋敷跡」の縦型の大駒札
由良の歴史を守る会の駒札
2.由良の歴史を守る会の駒札
古い石の駒札
3.古い石の駒札
山椒太夫の屋敷跡
4.山椒太夫の屋敷跡

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綾部の文化財

はるか1900年の昔・古代の竪穴式住居・円形周溝墓のあった新庄遺跡記念碑

綾部の古木名木100選:新庄家のツバキを見に行き、家を探す間に市道脇に建てられた「新庄遺跡」を見つけた。
新庄遺跡記念碑
新庄遺跡
この区画整理された新しい街並みの下には、古代の集合遺跡があった。「新庄遺跡」と呼ばれるこの遺跡では、はるか1900年前から人々が住居を構え暮らしていた。
 発掘調査の結果、竪穴式住居や円形周溝墓がみつかり、土器などが多数出土している。
これらの中には、遠く播磨や山陰地方との交流を示すものもあり、この遺跡に暮らしていた人々の盛んな活動が想われる。
発掘調査 平成5年11月~平成6年3月
新庄遺跡
写真の拡大図
写真の拡大図

となりに「上延土地区画整理事業 竣工記念碑」が建てられていた
事業概要
事業概要
施工期間 自 平成5年度
     至 平成12年度
施工面積 6.6ヘクタール
総事業費 10億1千万円
組合員数 50名
平成12年12月吉日
綾部市上延土地区画整理組合

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綾部の古木・名木・巨樹

山家藩主谷氏が崇敬した聖権現と綾部の古木・名木100選

京都府綾部市「元何鹿郡(いあるがぐん)」山家地区の釜輪町(かまもわちょう)の山奥には山家藩主がこの地で狩をし、その都度、参拝したと言う「日前神社聖権現(ひのくまじんじゃひじりごんげん)」、単に「釜輪の聖権現様」とも呼んでいる。祭神は石疑姥命にして、天元三年(980)に大和国(奈良県)吉田村の神社から分神を勧請したと云う。その後、永禄三年(1560)には再建し現在に至っている。唱和62年が創建1,000年祭を迎えた。例大祭は毎年4月16日で多くの人々の参拝が今日でもある。又、周辺の神社林には「綾部の古木・名木100選のカヤ・ケヤキ・イヌマキ群生林」に指定されている。うっそうとした森は正にに原生林を思わせる。更に、付近には露出する「二畳紀の石灰岩」がごろごろとしており、異様な雰囲気を醸し出している。この石灰岩は第二次大戦中では採掘し、東八田地区の上杉町の石灰工場で加工していた。

群生林の主なもの:  幹周        樹高
カ  ヤ      4. 07メートル  25メートル 
 同 上      2.53      32
 同 上      2.50      20
ケヤキ       4.53メートル  21メートル
イヌマキ      4.00メートル  17メートル
 同 上      3.10      22
平成15年の新しい一対の燈篭   
1.平成15年の新しい一対の燈篭
一対の燈篭と石の鳥居
2.大正5年の銘のある一対の燈篭と昭和3年の銘のある石の鳥居
釜輪町の村と京都縦貫自動車道が見える
3.ここから釜輪町の村と平成20年開通した京都縦貫自動車道が見える
左側に「摂社」
4.つづら折れの参道を15分位登ると左側に「摂社」がある。誰を祭ってあるのか
不明教えて下さい。メールアドレス:willy_tsu*uo_shikata@yahoo.co.jpです
はまるで「旧箱根街道だ!」
5.更に、急なつづら折れの参道を15分位登ると其処はまるで「旧箱根街道だ!」
石灰岩と巨大な木々に囲まれた異様な「聖権現」
6.石灰岩と巨大な木々に囲まれた異様な「日前神社聖権現」
綾部の古木・名木の「駒札」
7.綾部の古木・名木100選の「駒札」
ケヤキの巨木
ケヤキの」巨木

日前(ひのくま)神社の詳細と4月16日の祭礼の湯立神楽は下記を参照。
http://www.ayabun.net/kaiho/bfor/hinokuma.htm

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