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綾部の文化財

今年も見事に咲いた極楽寺の大賀ハス

大賀博士の研究により2000年の眠りから覚めた大賀ハスが今年も見事に咲きました。
二千年の眠りから覚めた大賀ハス
この蓮は、昔、日本各地に生えていたものが二千年ぶりで蘇った古代蓮である。蓮にまつわる話として、故大賀一郎博士のことに触れなければならない。博士は昭和初期に南満州(中国東北部)で、数百年昔の蓮の種子を発見し、育て上げて学位を取り、蓮博士と称せられた学者。この池の蓮の種子も、博士が千葉市で発見した三粒の種子の一粒である。
千葉市検見川(けみがわ)は、大昔、海に近い一面の湿地で、地下は深い泥炭層である。博士は弟子の学生や地元学生の協力を得、毎日々々泥を掘ってはフルイにかけ、水で洗うという作業を続けた。昭和26年は第二次世界大戦後で、機器機械は乏しく、食物も不足な時代、今日見つからねば作業を中止しようと決意した40日目に、地下6米を掘ったところ、フルイに三粒の種子がかかる。昭和26年3月30日の夕方である。その時の博士の顔は涙と泥でグシャグシャだったという。
三粒の種子の一粒は博士の庭で、一粒は地元検見川で二千年の睡りから芽を出し、昭和27年7月18日に花が咲いた時は、生物の奇跡として、世界の学会は驚く。翌28年にはドイツの国際園芸博覧会で開花し、世界で認められ、「大賀ハス」と名付けられ、千葉県の文化財に指定されている。
今、京都府では府立植物園と、ここだけがこの珍しい蓮の花を咲かせている。
はちす葉の にごりにしまぬ こころもて なにかは 露の玉とあざむく 僧正 遍照

詳しくは、HP:綾部の文化財より「東谷山極楽寺 臨済宗東福寺派」の記事をご覧ください
葉隠れの大賀ハス 緑と花の色と・・
葉隠れの大賀ハス 緑と花の色と・・
天高く2000年の彼方へと想いが奔る・・
天高く2000年の彼方へと想いが奔る・・
黄金の宝座が中心に抱かれて・・
黄金の宝座が中心に抱かれて・・
蕾が初々しい
蕾が初々しい
ふくよかに丸みが膨らんで・・
ふくよかに丸みが膨らんで・・
ハス田の広がり
ハス田の広がり
大賀ハス田の上に極楽寺を見る
御住職様が丹精を込められた大賀ハス田の上に極楽寺を見る

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テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

図書紹介

綾部西国観音霊場めぐりパンフレット

豊かな自然と伝統・文化の街・綾部市に、古くから残る名所と33ヶ所、番外6ヶ所の観音霊場がございます。より多くの方が参拝、巡礼していただきたくご案内いたします。
綾部西国観音霊場めぐりパンフレット
綾部西国観音霊場会
お問い合わせは、綾部市観光協会 京都府綾部市駅前通東石ケ坪11-4 電話:9773-42-9550
綾部西国観音霊場1
綾部西国観音霊場 特色ある霊場を巡って観音様とご縁を結んでいただき、今を生きていく心の支えとして、ある時は現世利益を祈り、或いは後生安楽を願って頂きたいと存じます。
綾部西国観音霊場2

綾部の文化財を守る会の「綾部西国観音霊場一覧」取材記事もご覧ください
http://ayabun.net/gaiyo/saigoku.html

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図書紹介

綾部用水ー綾部井堰の変せんといまー

綾部用水ー綾部井堰の変せんといまー
企画/発行 21世紀農業農村整備企画会議中丹ブロック
(窓口 京都府中丹土地改良事務所 Tel 0773-42-3265)平成15(2003)年3月発行
A4版25ページのパンフレット冊子

先に写真を紹介した並松河畔の「近藤勝由翁頌徳碑」について、碑文の解説に関わる参考資料の提供を文化財を守る会の四方續夫事務局長に依頼したところ、この書籍を届けていただいた。

近藤勝由の事績
 近藤勝由氏は文政10(1827)年、綾部:藩に生まれる。性剛直にして苟くも意思を枉ざるの風で、土木技術に関してはその最も長所にして、経済の途にも通じ、嘉永元年綾部藩代官見習いとなり、土木を兼ね司り部内の土木につくせしも尠からずして、なかんづく天田堰を綾部堰に合併したる功績の如きは其の最も顕著なるものである。
 綾部、天田両堰は、共に由良川の流域にあって灌漑反別一は130余町歩、一は170町歩に渉る大堰にして、しかるに往々洪水に際しては堰を破壊され、其復旧維持のため村民の苦しむこと多大であったところ慶応2年8月大洪水あり、天田堰ついに流出し、その復築容易にならず、村民の憂苦困憊非常なるものであった。この時氏は天田堰を廃し綾部堰に合併せんとし、藩主に献策して嘉納せられた。 然れども当時衆皆その成功を疑ひ異論百出するに至たが、氏之に動せず日夜鋭意計画し、時の大庄屋羽室嘉右衛門氏等と相謀り、2月28日起工、部民を使役、日夜これを督励して延裏より大島村に至る長さ8町余、草莱を拓き岩石を砕き、苦心惨憺この難工事を短日にして天田堰なる井溝に連続、遂に目的を達した、維時3月8日なり、ここに綾部堰の一大水路を以て延長2里余に亘る元両堰の区域全部に潅漑せしのみならず、将来の維持費を減じて経費多大の利益を得せしめたものである。
 尚又明治17年8月大洪水があり、由良川筋に築造せる井堰及樋閘等破壊され、衆議之れが復旧工事の施行を氏に嘱託するや、是また3旬の短日にて竣成された。
 而も其工事の困難なりし事、前日の比にあらざるという、ここに於て明治25年組合員等氏の功績を不朽に伝んとし、元何鹿郡長宮崎清風氏に撰文を嘱し、之れを碑石に刻み綾部堰の西岸に建立せり。
近藤勝由翁
4.綾部井堰の恩人 -近藤勝由―
 綾部井堰といえば、近藤勝由を連想するほど、綾部井堰の父というべき人物である。
 勝由が綾部きっての井堰通となったのは、生来土木が好きな上に、江戸在勤時代(18歳~20歳)関東地方に発達した大型河川治水事業の実態を見、熱心に研究を積んだ結果であった。
 勝由は、嘉永元(1848)年22歳の時、土木技術の実力を認められ、代官見習いとして初めて井堰修理に携わり、嘉永6 (1853)年には代官に抜擢され、以来井堰に関する権威者として、改修改築に手腕を発揮し、その名声は近藩にも知れ渡っていた。勝由は藩用で京都へしばしば出向いたが、途中、南桑田郡の馬路、河原林などでは大堰川の井堰修復について、地元庄屋から指導を求められ、工法等について終始指導助言を与えていたという。
 綾部井堰の水路を天田井堰水路につなぎ、現在の綾部用水の基礎を開いたことは、勝由がいなければできなかったといわれる。
 江戸末期の慶応2 (1866)年2度の洪水が綾部藩領を襲った。川沿いの田畑がほぽ全滅し、綾部、天田井堰も損害を受け、復旧の目処が立たなかった。
 勝由はこのとき40歳、「綾部水路と天田水路をつなぎ、永久的に水を送れるようにするほかに解決策はない」として九鬼藩主に水路連結工事の開始を願い出た。
 両水路を結ぶには、約900mにも及ぶ溝を新たに掘る必要がある。人手と費用を出す農民の負担が大きすぎ、天田水路沿いの農民たちは近藤宅に押し掛け、「困難にして無謀」と訴えたが、勝由は「私財をなげうってでも行う」と説得、地元の大庄屋6代目羽室嘉右衛門(郡是創案者波多野鶴吉の父)の協力を得て、慶応3 (1867)年2月28日に工事に取りかかった。冬場の大工事は困難が予想されたが、勝由は昼夜を問わず現場に立ち農民たちを督励し、3月8日、わずか10日足らずで工事を完了させた。
(※1684年河村瑞軒が大阪安治川長さ1、600間、幅50間を20日間で開削していることからも、10日程での完成は可能である。また、娘きんの思い出の中に1、200人の話がでてくるが、1、200人が工事に要した人足数と推測される。)
 維新後勝由は京都府役人を務めたが、明治13年54歳の時、綾部郵便局長見習いに就任した。
 明治に入り度々の洪水のため綾部井堰は破損がちで水上がりが悪く、ことに明治16年は干天が続き、75日開削が降らず大干ばつとなったことや翌17(1884)年の洪水により井堰の堰体や樋門が大被害を受けたとき、この修理ができるものがなく、井組において堰体の根本改築を計画、当時郵便局長見習いであった近藤勝由に依頼して、この大工事を敢行することになった。乞われて現職のまま井堰復旧に奉仕したことは異色のことである。
 勝由は綾部井堰が水上がりが悪い横堰(推定約230m)であったことから、改築に当たり登堰(推定約500m)に改め、井口から川向こうの味方村笠原神社の下手へ斜めに堰体を築くことにした。それとともに井口の樋門も大改造を加え用水不足を一挙に解決しようとしたものである。
 工事内容の詳細は分からないが、普請手控帳によって大工事であったことが知られる。切留工事 人足11、140人、飯米約335石。水門工事 人足11、166人、飯米約333石。等、また堰体の構造は杭を打ち並べ木の枠を組んで石詰めにする工法で、いわゆる洗堰構造で莫大な資材と労力を費やしたが、わずか3旬(30日)にして完成した。
 明治17年に改築された登堰の様子は明治26年の地形図で垣間見ることができる。
 登堰のすぐ下流には大きな砂州が広がっており、洪水での危険性は増している。逆に、水上がりは大変良かったと考えられる。

 旧綾部藩領の沃野を養う農民の命水ともいうべき綾部井堰を終生掛けて護持した勝由への感謝は、勝由の生前明治25年8月、時の郡長宮崎清風の撰書になる「延裏新溝之記」の碑文に表現され、長く並松の一本木(樋門の近く)に建てられていたが、その後綾部市役所前庭に移されている。また、昭和10年水利組合によって熊野神社境内に建立された「近藤勝由頌徳碑」には、「延裏新溝之記」の碑文がそのまま記されている。熊野神社が移転したため、現在は市民センターの南東側に位置する。
 頌徳碑は、勝由が世を去った後、「延裏新溝之記」碑石が並松付近の開拓や道路拡張のため草地に放置され顧みる者もない有様であったため、改めて建立されたものである。勝由は明治34 (1901)年9月75歳で没している。
綾部市役所前の石碑「延裏新溝之記」
綾部市役所前の石碑「延裏新溝之記」
近藤勝由の経歴
文政10 (1827)年 綾部藩士の子として生まれる
弘化元(1844)年 江戸勤番を命ぜられる
嘉永元(1848)年 代官見習役に任ぜられる
嘉永6 (1853)年 代官に任ぜられる(27歳)
慶応3 (1867)年 2月延裏新溝献策
明治元(1868)年 中小姓に任ぜられる
明治5 (1872)年 九州代官所金穀取調役
明治7 (1874)年 京都府へ出仕を命ぜられる
明治8 (1875)年 綾部県庁詰、金穀出納役
明治13(1880)年 綾部郵便局長見習いに就任
明治17 (1884)年 8月綾部井堰を登堰に改造
明治19 (1886)年 綾部郵便局長に就任
明治21 (1888)年 綾部郵便局長退職
明治34 (1901)年 9月没(75歳)
同市役所前石碑の碑文 「延裏新溝之記」一部
同市役所前石碑の碑文 「延裏新溝之記」一部

2.綾部井堰の創設時期
 綾部の平野部には、由良川を堰止めて用水をとる大きな井堰が約4kmの間に3か所設けられていた。綾部井堰、栗村井堰と天田井堰である。
 天田井堰は、慶応3(1867)年に延裏新溝が造られ、天田井堰の水路に綾部井堰の水路をつなぐことによって廃止され、現在綾部井堰と栗村井堰がある。
 これら三井堰がどの時代に築かれたかは明らかでない。伝承によると、綾部井堰は12世紀に平重盛が綾部を領していたときに築いたというものや、綾部・栗村・天田井堰とも明智光秀が丹波を支配していたときに造ったという記録(「丹波志」)がある。
 これまでの一般的な潅漑の歴史から見て、古代国家の権力の強かったころには大きな土木工事が行われ、讃媛(香川県)の満濃池(701年ごら)や河内(大阪府狭山市)の狭山池(616年ごろ)などが築かれているが、中世荘園制の時代にはこれらがすたれ、近世のはじめのころになって再び大きな水利潅漑の施設が築かれたとされている。
 しかしながら、由良川の本流を塞き止めて堰をつくるには、大きな政治権力が必要であるとともに、その用水を受け、井堰の管理にあたる村々の惣村的な結集がなければならないと考えられ、共同体としての村落が成立するのは中世末期で、そのころに何鹿郡の中西部を支配していた大きな勢力は考えにくいとされている。
 天田井堰では、寛永17 (1640)年以降の資料によると、井堰についてたびたび村々に紛争が起こり、京都奉行所へ訴え出ている。この紛争解決のあとで、井組の村々の庄屋、年寄、百姓総代が署名して証文を取り加わしているが、そのあとには、「取扱人」(立会人)として近隣の大庄屋が署名している。これは、用水問題の解決には慣習的なものがあり、領主の裁断だけでは治まらないことを示している。用水慣行が中世に始まったことを考えると、綾部・天田・栗村の井堰は中世末か近世初めころに初めて築かれたとも考えられるのである。
 なお、由良川から取水ができない地域で安場川、荒倉川の水を利用できるところは溜池を築き川の水を溜めた。その他、並松の重ね橋のたもとから田野川の水を引いて並松から一本木を経て川糸通りを流れ、綾中、青野方面を潅漑する上井溝があった。これは相当古い水路とみられている。

3.綾部井堰と天田井堰
 旧綾部井堰は、ほぼ現在の位置に築かれていた井堰であり、受益地は青野・町分・井兪・岡・延・大嶋の材々であった。
 寛永11 (1634)年、九鬼隆季が綾部に入部し、下市場に藩邸を築いたときの絵図には、既にこの井堰の水路が記されている。
 天保(1830)ごろに記された藩の記録には次のように記されている。井堰長240間、味方より川除新堰25間享保19年春出来。井堰掛り井組並びに人足、青野23人、町分14人、井倉16人、岡14人、延24人、大嶋24人、計115人。堰繕杭桁、桁500本、杭5、000木。
 井堰は杭木洗堰で、形は登堰であったから堰長が長い。井堰掛り人足は年々出役する人数が定められていた。堰の杭・桁は、井根山(大師山)と須知山の2か所を井堰御留山としており、藩の許可を得て切り出して用いた。井根山というのは、昔から山の木を井堰構築用に用いたので、その名が付いたと伝えられている。また、井根山は明治のころまで杭材料の栗や松の木が多く生えていた。栗材は堅く、松は水に強い材木である。
 慶応2 (1866)年の大洪水で最下流にあった天田井堰が大破し、綾部藩士近藤勝由代官は、第十代藩主九鬼隆備に両井堰の統合を献策し、大庄屋羽室嘉右衛門の協力を得て延裏に新溝を堀ることにし、延町大将軍より天田井堰の井口のある大島町稲荷神社裏まで長さ8町余(約900m)幅4間の水路で、慶応3 (1867)年2月に着工、3月に工事を完成させ、両井堰の水路は一本化された。これにより綾部用水の基礎ができあがった。この水路が大島水路であり、通称堀川と呼ばれている。
 ※単位1町=108m、1間=1.818m、1尺=0.303m
 天田井堰は、もと高津村字天田井にあったが、水上げが悪いため、寛永17 (1640)年それより500間(約900m)川上の大島村稲荷神社(稲荷神社は由良川改修などのため福田神社境内に移転している)の北に移され、新堰から旧堰の水路までの幅8間、長さ500間の新溝を堀って水を通した。この溝は「五百聞堀」と呼ばれた。
 その後も、天田井堰はたびたび洪水で堰が切れた。正徳4 (1714)年の洪水で大島村の田畑が削り取られ、享保20 (1735)年には土手井口ともに崩れ田畑がおびただしく削り取られたため、井□を200間川下の稲荷神社の土手へ下げて280間の登堰を築いた。
しかし、宝暦13 (1763)年の洪水で再び田地が削り取られたのである。

 当時の天田井堰も杭木洗堰で、川を横切って2列に杭を打ち、その中に石を詰めた構造で漏水が多く、用水路へ多くの水を導くことができなかった。そのため、堰を登堰にしないと水上がりが悪く、下流は水不足で困るが、登堰にすると洪水の時に大嶋村の河岸が削り取られるため大嶋村が迷惑するということで、井堰の構造が紛争の焦点となっていた。宝暦14 (1764)年の大嶋村井堰絵図では、井堰の変遷や大嶋村河岸に水制とともに大きな渦が画かれ、流れの激しさが表されている。
 ※「水制」とは、河川の水の勢いを和らげたり、水の流れを変えるため、河岸から河の中央に向けて設ける工作物。

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図書紹介

綾部 福知山 用排水路改良史

綾部 福知山 用排水路改良史
昭和47年11月11日発刊 (非売品 )B5版460ページにおよぶ大冊である
編集者:綾部市安場町 村上祐二/綾部市西坂町 植田徳治
発行人:綾部井堰土地改良区 山口武右エ門
発行所:綾部市若竹町 綾部井堰土地改良区

綾部の風土と由良川、綾部井堰の沿革を井堰創成期から考察し、変遷を重ねた井堰の歴史を書き記し、それぞれの水利組合の管理時代における出来事、運営状況など詳細にデーターを駆使して記述されている。

綾部青年会議所発刊の冊子「丹の国・綾部」の編集に取り組むべく、昭和46年に塩見清毅、吉田藤治さんの両先輩と連れだって、資料収集のために、綾部町史の編纂者、市教育長であった村上祐二氏を安場の自宅に訪ねました。たまたま村上祐二氏は私の弟の岳父であり、快く綾部の歴史、由良川についての様々な知識を教えていただきましたが、その年に故人となってしまわれました。この「用排水路改良史」はその翌年になってから発刊されています。

先に写真を紹介した並松河畔の「近藤勝由翁頌徳碑」について、碑文の解説に関わる参考資料の提供を文化財を守る会の四方續夫事務局長に依頼したところ、早速この書籍を届けていただいた

近藤勝由翁の事跡については、付録「綾部井堰の恩人 近藤勝由」の項にて写真、近藤勝由翁頌徳碑、延裏新溝之記として掲載されている。

別途、京都府出版のパンフレット「綾部用水ー綾部井堰の変せんといまー」を提供いただいたので「用排水路改良史」からの引用紹介は取りやめる。

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綾部の文化財

伝統ある第311回熊野新宮神社」の神事が7月28日に全面公開

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」並松町には熊野新宮神社がある。この神社は2つの大祭で名馳せる神社として知られている。1つは毎年1月10日に開催される境内社の「恵比寿神社の「恵比寿祭」、もう1つは之も毎年7月28日に開催される「水無月(みなつき)大祭」である。この神社は、私ども「綾部の文化財を守る会」とは深い関係がございます。昭和44年12月10日創立で当時の初代会長はこの神社の宮司様でもありました故・出口榮二先生でありました。今年、創立40周年を迎えます。5年前の平成16年11月30日には西町にあるITビルの2階を貸切って「創立35周年記念式典」を実施しました。その時の記念事業として始めたのがこのインターネットのホームページ「綾部の文化財」であります。この35周年記念式典では出口榮二先生はご健在でありまして、本日ご来賓の四方八洲男市長様から27名もの「市長感謝状」頂かれた内の一方でもあります。「何故35年前この会が結成されたのか!」と云うご説明の話を元気な迫力ある言葉で説明頂きました。その守る会の意思をついだ私どもがこの神事を日本中に知らしめたいの願いの元に取材に来させて頂きました。故・出口榮二先生は当時このように云っておられます。「古来、水は神聖なものとしてして親しまれ、罪や穢(けが)れを祓(はら)い清め天地自然の安定正常化の中に人間的存在、社会の平和と繁栄を神に祈る大切な神事が毎年6月と12月の晦日に執り行われてきた。その後、12月の祭りは廃絶し、6月の祓いのみがのこってこの名で呼ばれようになった。」と。後略。7月28日実施されたこの神事については出口孝樹宮司様の特別許可を頂き、いつもご参拝頂いても見て頂けない神事を公開ささせて頂くことになったわけであります。お陰様で私度ものHP「綾部の文化財」はこの5年弱で延べ8万名を超える全国の方々に見て頂いて居ります。神事の詳細を順次見て頂きます。
一人太鼓
1.午前9時45分司会の方の合図で「綾部太鼓保存会」のベテラン3名による勇壮な「綾部太鼓」の奉納です。先ず一人で打つ「一人太鼓」です
奉納二番太鼓「二人打」
2.同上 奉納二番太鼓「二人打」(二人で太鼓を打ちます、勇壮な力強い太鼓ですから右の控えての方と順次交代して打ちます)
奉納三番太鼓「三人打」
3.同上 奉納三番太鼓「三人打」(出演者の三人が同時に力強く勇壮に打ちます)
宮司様並びに祭員にご出座を促す合図の太鼓
4.神社関係者による「宮司様並びに祭員にご出座を促す合図の太鼓」
宮司様・祭員の禊(みそぎ)
5.宮司様・祭員の禊(みそぎ)
宮司様・祭員は祓所へ向かう
6.宮司様・祭員は祓所へ向かう

水無月大祭
祓所での宮司様・祭員の儀式」その1
7.「祓所での宮司様・祭員の儀式」その1.
「祓所での宮司様・祭員の儀式」その2
8.「祓所での宮司様・祭員の儀式」その2
拝殿への宮司様のお参り並びにお払いの儀式
9.拝殿への宮司様のお参り並びにお払いの儀式
参列者・ご来賓・一般参列者へのお祓い
10.参列者・ご来賓・一般参列者へのお祓い
拝殿の座席へ移動される宮司様・祭員
11.拝殿の座席へ移動される宮司様・祭員
「宮司一拝」(参列者一同合わせて拝礼)
12.所定の位置に宮司・祭員着いた後、「宮司一拝」(参列者一同合わせて拝礼)
祭員神饌
13.祭員神饌「(しんせん、神の食事)」を供される(おそなえ)祭員
宮司様「水無月大祭祝詞」奉す
14.宮司様「水無月大祭祝詞」奉す
宮司様が玉串を奉され拝礼
15.宮司様が玉串を奉され拝礼(禰宜・祭員一同列拝)後一番の玉串奉納は四方八洲男綾部市長、森永功綾部市議会議長、佐々木幹夫京都府会議員等のほか来賓の玉串を奉りて拝礼
故出口榮二先生の奥様直美さまの玉串奉りて拝礼
16.故出口榮二先生の奥様直美さまの玉串奉りて拝礼
出口孝樹宮司様から
17.参列者の玉串奉りて、そして、祭員の神饌(しんせん、神の食事)を撤すの後に、出口孝樹宮司様から参列のご来賓並びに一般の参拝者の方々に参列御礼のことばがありました。更に当神社が「綾部に鎮まりになって一千年を経す」という当神社の縁記を延べられ更に「かわりゆく代の中にあって、これからも変わらぬお宮であり続けるよう微力ながら務めさせて頂きたい」と参列者の方々に謝辞を述べられる宮司様
ご来賓を見送られる宮司様1
18.ご来賓を見送られる宮司様1
四方八洲男綾部市長を見送られ
19.四方八洲男綾部市長を見送られ言葉を交わされる宮司様2

このインターネットホームページ「綾部の文化財」を創立35周年記念事業とし当時、11月30日にはある程度の内容をスライド映写しようと役員一同が決めたのですが、パソコンが使え、デジタルカメラで写真が撮れ、それを又、会報やHP(ホーム頁)に文章とも入力し、更に子古文書も読めれば理想的なHP担当となるのですが、そのような人物は少なく、パソコンの権威・鍋師有理事をHP担当委員長、小生会報担当の事務局長の為HP副委員長となりましたが、カメラ・パソコン音痴で毎日の如く鍋師兄を自宅に呼びたて助けもうらう日々は5年後の今も変わらずです。当神社に関係する失敗談も掲載されて居ます。クリックしてみてください。

熊野新宮神社「熊野神社迷走記」
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/kumanoa/kumanoa.html
大本教と熊野新宮神社
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/291.html
第309回熊野新宮神社「水無月大祭」とYURAGAWA ROCK FESTVAL,「あやべ良さ来い踊り」
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/327.html
熊野新宮神社の境内「恵比寿神社の恵比寿祭り」七福神の巡航
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/382.html

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文化財研修記

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第16回(最終回)の浄土宗の栄照院とかの有名「大頂寺」と妙照寺

京都府宮津市「丹後の宮津でピンとだしたよ!縞の財布がからになる」の民謡が思い浮かびます!この城下町を懐かしくって、ぶらぶら歩いたのは4回目です。縁があったのですね!宮津市には天橋立を含めて訪れた回数はなんと数百回です。でもその内の大方はビジネスでありほとんど町の見学は無かった。ただ今、残る懐かしいことはこの「宮津市とニュージーランドのネルソン市が姉妹都市」なのです。天橋立は日本三景観の1つで真に股除きをして撮った写真を、HP委員長から写真を反転したのだろうと言わショックをも受けたからです。僕には残念ながらデジカメでまともに撮影する能力しかない。話がずれたね。天橋立同様にニュージーランドネルソン市(有名なスペイン艦隊を撃滅しした英国のネルソン提督の名を付けた市、自分も負傷で後日死亡。彼に匹敵いやそれ以上世界に賞賛されているのが日本の東郷平八郎元帥です。初代舞鶴鎮守府長官、外国のトウゴウビール飲むみましたよ!日本にはない。又ずれた、とにかく天橋立と似ているが貧弱なものでした。夏休み宮津の中・高生17名と先生と小生でホームステーでした。面白い余談があるのですがその話は別途の機会にします。
浄土宗・佛光山「栄照寺」山門
1.浄土宗・佛光山「栄照寺」山門。この寺は今から350年前宮津藩の家臣・落合蔵之助が母親の菩提のために建てたと伝えられている寺です。又、同じ浄土宗「西方寺」と合併し、西方寺が吸収合併されたことは「西方寺」の項で述べました。この寺を有名したのは12月中旬に境内がライトアップされ、今年で言えば12月30日(土)が最高にライトアップされ大晦日まで続くことです。本堂では暗闇の中で燈篭が点り厳かに読経が営まれます。(詳しくは宮津市観光協会へ問い合わせ願います)
本堂前の庭園
2.本堂前の庭園
栄照院の見事な鐘楼
3.栄照院の見事な鐘楼
大頂寺の案内看板
4.大頂寺の案内看板。いよいよフイナーレの浄土宗・宝徳山「大頂寺(だいちょうじ)」です
見事な登り参道
5.見事な登り参道
山門を通して絶景の宮津湾を見る
6.山門を通して絶景の宮津湾を見る(撮影が少し遠過ぎた、時間が無いのであせっていた)
宮津市教育委員会設置の駒札
7.大頂寺の説明は「宮津市教育委員会設置の駒札」を参照願います
歴代将軍の御霊を守る霊屋
8.歴代将軍の御霊(みたま)を守る宮津市指定文化財「霊屋(みたまや)」残念ですもう暗くなって拝観できず
徳川秀忠、家光の「宝筐印塔
9.巨大な徳川秀忠、家光の「宝筐印塔(ほうきょういんとう、お墓)
日蓮宗・妙照寺
10.宮津市には素晴らしい寺院が数多くあります。隣の有名な日蓮宗・妙照寺を最後のサービスで2枚いれます。というのはこの寺の初代が丹後一円に日蓮宗を広めた日養上人のお寺です。見事な山門を仰ぐ
神仏混合のお寺
11.明治の神仏分離令を逃れた江戸時代の見事な「神仏混合のお寺」

後記:6回位いにまとめる予定がなんと16回となりました。今住む綾部が第一の故郷、勉学に励んで青春時代を過ごした京都が第二、営業・販売促進で頑張った大阪が第三、最後の宮津市いや丹後半島が第四の故郷です。次回、機会あれば「車で見回る宮津市の社寺!」のようなタイトルで日吉神社(この祭りは凄い)、如願寺、智源寺、盛林寺などすぐ目に浮かびます。ありがとうございました。四方拝

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綾部の文化財

綾部水無月大祭宵宮風景 花火大会2

由良川の川岸から次々と打ち上げられ、夏空を彩る花火を連写
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火2
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火3
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火4
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火5
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火6
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火7
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火8
夏の夜空を彩る水無月花火

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綾部の文化財

綾部水無月大祭宵宮風景 花火大会1

先に図書紹介した「並松史 由良川の流れに沿って・・・並松自治会編」から次の文章を再度引用紹介します。
 あやべ水無月まつりは、大正7年、綾部実業協会によって、現在の花火と万灯流しを組み合わせた一大夏祭りとして始められた。万灯流しは当初、並松同志会(40才までの青年男子の会)によって行われていた。
 メインである花火大会は、中丹3市の中でも最も早くから開催されておリ、製糸業を中心として栄えた当時の綾部の隆盛がうかがえる。打ち上げ花火が上げられるようになると、綾部の名物祭りとして広く近郷近在の人々に親しまれるようになった。臨時バスや臨時列車が出された時代もあった。

次々と上がる花火を連射紹介する
夏の夜空を彩る水無月花火1
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火2
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火3
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火4
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火5
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火6
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火
夏の夜空を彩る水無月花火

並松史に書かれているように、中丹3市の中で最も早く開催されてきたと云われるこの「水無月花火大会」は、7月末の梅雨明け早々の開催時期のこともあり、広く近隣からも人が繰り出して賑わう、綾部の一大イベントである。
小さくても、きらりと光る街づくり」の四方八洲男綾部市長の標語を、いつしか何故か思い浮かべる。

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綾部水無月大祭宵宮風景 花火があがった

次第に暗闇も増し花火の上がる時刻も近づいたので、再び熊野新宮神社境内に戻ってきた。人混みが増して押すな押すなの盛況。交通整理に気を使う消防団員や警察官の姿も増えた
露天店の灯かりに照らされて買い物客の間を人々が行き交う
露天店の灯かりに照らされて買い物客の間を人々が行き交う
思い思いの向きで露天店に並んでいる。浴衣姿が多い
思い思いの向きで露天店に並んでいる。浴衣姿が多い
少し人混みの少ないところでカメラを構える
少し人混みの少ないところでカメラを構える
露天店越しに上空に初花火があがった!
露天店越しに上空に初花火があがった!
次々と赤、青、金銀色の打ち上げ花火が、威勢の良い音と共にあがる
次々と赤、青、金銀色の打ち上げ花火が、威勢の良い音と共にあがる
仕掛け花火も空を照らして上がり始めた
仕掛け花火も空を照らして上がり始めた

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綾部水無月大祭宵宮風景 万灯ながし

先に図書紹介した「並松史 由良川の流れに沿って・・・並松自治会編」から次の文章を引用紹介します。

☆万灯流しの起こり
 大本の出ロ王仁三郎が、明治40年11月3日(旧暦9月28日)に竜宮乙姫の祭典を行い、28本の燈明を由良川に流したのが、水無月大祭の万灯流しの始まりだとも言われているが、これについては諸説があって定かではない。
 明治39年頃から、並松を中心とする観光開発が始まった。旧綾部藩士の吉川正中、大串重事、石川正時などが資本金65円で「短艇矢艪会(やともかい)」をつくり、大型ボート2隻、小型ボート3隻を買って、貸しボート業を始めた。
 この事業は、翌年の大水害で被害を受け廃業したが、3人は船を浮かべて酒を飲み、釣りをしたリして、悠々自適の生活を楽しんでいた。ある夜、漁師のかがり火が美しく水に映えている様子に感勤し、板に釘を打ちロウソクを灯して川に流しだのが、万灯流しの起こりだという説もある。
 明治40年、綾部実業協会(初代会長四方幸太郎)が設立され、並松で遊船場と貸舟屋が運営されていた。
 並松の現在今枝敏毅さん宅の場所で蚕種製造業や車大工などを営んでいた四方敬肋は、私財を投げ打って並松や味方の川原に桜や松を植えたリ、ペンチを設けたりして観光開発に尽くした。並松区の区長代理も務めた人物である。
 明治44年頃、敬助を中心に梅原弁蔵、梅原宗三郎、白波瀬弥太郎の4人が合資して、今の現長さん前あたりに遊船場を経営した。また、敬肋は遊覧客を集めるためにと火流しを研究し、後に料金をとって20~30と灯ろうを流すようになったという。
 その後、屋形船も出現した。大正5~6年頃の好景気の時には、夜も昼もドンチャン騒ぎが行われ、三味線の音が屋形船から流れていたという。

 あやべ水無月まつりは、大正7年、綾部実業協会によって、現在の花火と万灯流しを組み合わせた一大夏祭りとして始められた。万灯流しは当初、並松同志会(40才までの青年男子の会)によって行われていた。
 メインである花火大会は、中丹3市の中でも最も早くから開催されておリ、製糸業を中心として栄えた当時の綾部の隆盛がうかがえる。打ち上げ花火が上げられるようになると、綾部の名物祭りとして広く近郷近在の人々に親しまれるようになった。臨時バスや臨時列車が出された時代もあった。
夜の由良川を彩り流れる万灯ながし
夜の由良川を彩り流れる万灯ながし
万灯の連がりの中に、かすかに流す舟の姿が浮かぶ
万灯の連がりの中に、かすかに流す舟の姿が浮かぶ
水に万灯が映えて流れる。ホテル綾部の姿が川面にも浮かぶ
水に万灯が映えて流れる。ホテル綾部の姿が川面にも浮かぶ
万灯を拡大で撮る
万灯を拡大で撮る。手持ちの小型デジカメでぶれている。露出時間が長い
綾部大橋の上から流れてくる万灯を撮影
綾部大橋の上から流れてくる万灯を撮影

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綾部の文化財

綾部水無月大祭宵宮風景 熊野新宮神社参拝

あやべ水無月まつりの賑わいを取材しています
熊野新宮神社の鳥居が見えてきた
露店が建ち並び混雑する奥に熊野新宮神社の鳥居が見えてきた
熊野新宮神社の境内
熊野新宮神社の境内。早めに御参りする人が次々と訪れている
参拝前の人ごみ
参拝前の人ごみ
順番に参拝する人々
順番に参拝する人々
綾部大橋たもと
綾部大橋たもと(由良川左岸・並松側)に涼む人々
橋の上から見ようと集まった人々
「万灯ながし」や「花火の上がる」のを橋の上から見ようと集まった人々。まだ暗くないので30分は待つ必要がある

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綾部の文化財

綾部水無月大祭宵宮風景 賑わう露天店

今年の梅雨は長引いている。北海道で中高年者の登山事故が報道され、また九州などでは大雨による土砂崩れなどでの死者や行方不明が報道されている。日曜日の朝は曇天で7時に「極楽寺の見事に咲いた大賀ハス」を見に行った。しかし帰宅してすぐに雨になり水無月花火大会の開催が危ぶまれる。午後3時半ごろやっと雨が上がったので、山麓伝いに歩いて正暦寺に行き「綾部の古木名木100選:ケヤキ」を取材する。正暦寺の長い石段を降りると「万灯流し」の船着場があり、船が4艘繋がれて準備が進んでいた。新熊野神社に行くと露天商の店が建ち並び準備に余念がない様子。参拝を終えて境内を離れると、花火大会実行合図が「パンパン」と鳴り響いた。西町アイタウンも夜の「良さ来い」準備が整っていた。
 夕暮れになったので家を出るときは小雨で傘をさして西町まで歩いた。アイタウンに着くとすでに「良さ来い」が始まっており、北都信金に近いところで「よさこい健美連」の演技、さらに手の込んだ演技が続けてあり、オムロンの大人数の演技に移ったところで四方續夫事務局長に出会った。「第10回記念のあやべ良さ来い」の記事をご覧ください
西町良さ来い会場で愛嬌を振舞うノッポさん一行
西町良さ来い会場で愛嬌を振舞うノッポさん一行
踏切手前から露天店が建ち並ぶ
本町通りを並松の新熊野神社(由良川)を目指す人の流れと歩く。踏切手前から露天店が建ち並ぶ
人々が行列して賑わっている
踏み切りを渡ると広くなり露天店が建ち並び、人々が行列して賑わっている
いろいろな店が沢山、建ち並んでいる
いろいろな店が沢山、建ち並んでいる
市民センター側にも両側に屋台店が並ぶ
市民センター側にも両側に屋台店が並ぶ
行列で混雑する中を歩いて通り抜ける
行列で混雑する中を歩いて通り抜ける
光るイルミネーションが子供たちに人気
光るイルミネーションが子供たちに人気

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あやべの街

7月25日(土)本番のダイナミックな踊り「第10回記念のあやべ良さ来い」です京都市の華麗な踊りも披露

7月25日(土)午前中は行事無しですよ!でも前回も掲載した様に午前中はに室町初代将軍・足利尊氏公が生まれた上杉庄(上杉謙信公の上杉の姓の発祥地はこの綾部市上杉町です。何!初めて知ったて!残念貴女は歴史好きでないね!特に全国のお祭りを取材している女性の方にも事実現地で出会って、何見てこの祭り知りましたか?と聞くとインターネットで綾部の文化財を見たら祭りが詳しく載っていたので来たと言ってましたよ!)新潟県や神奈県・京都市内の関係先から「全国安国寺の筆頭の綾部安国寺の国の重要文化財の仏像京都府指定文化財の茅葺の本堂、足利尊氏公産湯の井戸」を見にこられますよ!特に11月の紅葉の時が最高です。更に京都府北部唯一の国宝の光明寺の「ニ王門」を見て「綾部温泉」で夏の汗を流してからこの温泉の宿で昼食がお薦めです。綾部市(あやべし)でインターネットを開けば綾部市が出るのでクリックすると簡単にアプローチできます。再々綾部にお越しの方は当会の「綾部の文化財」でまた格別な綾部「漢部(あやべ)昔の書物にはそう記載されています!)を発見できます。午後一時には恒例の京都府北部の大河・由良川にちなんでつけた「YURAGAWA ROCK FESTIVAL」が開催されます。出演者の主力は地元綾部のメンバーですが、東京・大阪・京都市からの有名なロックバンドが来てダイナミックな凄い生演奏が無料で見れます。今年は午前中めったに降らない雨で、30分ずれ込み小生が聞いて見たかった「東京のTHE SCENE」が無料で見れました。午後、5時20分にはアイタウン一・二番街でダイナミックな踊り「第10回あやべ良さ来い」が始まりました。第一部のみ掲載しますが第一部でも16チームがそれぞ2曲の見事な踊りを披露してくれました。後の「綾部水無月(あやべみなつき)花火大会」の風景はなべちゃんこと鍋師HP担当委員長にバトンタッチです。
綾部太鼓連合会による「和太鼓演奏」
1.午後:5時20分綾部太鼓連合会による「和太鼓演奏」でスタートですまだ見物者は少ないですね。夜7時ころから佳境に入ります
高津よさこい
2.「あやべ良さ来い」の踊り開始は地元高津「歴史好きなら高津(たかつ)で判るでしょう奈良の長屋王邸宅跡で数万点の木簡が発掘され高津庄から鮎の干物が租庸調の一つとして送られた事を記載した木簡もあった。」この高津町のメンバー「高津よさこい」が2曲(あやべよさこい、よっちょれ)を披露
高津よさこい」女性チーム
2-2.同上「高津よさこい」女性チームが反対側の2番街で踊披露
ほたる連
3.地元「ほたる連」が(京都まつり音頭、京都府女性の船ステップあけぼのよさこい)を披露
福知山よさこい 絆」チーム
4.福知山市からの「福知山よさこい 絆」チームが(よさこいサンバ、よさこいどっこいせ)を披露
5歳から中学生の「フエアリーズ」
5.二人のリーダーに導かれ披露する地元の可愛い5歳から中学生の「フエアリーズ」です(曲はオブオブです)
太鼓人」よさこいソーラン
6.地元の「太鼓人」よさこいソーラン、よっちょれの二曲で披露
淑徳民謡」が(エイサーケチャンバ、淑徳ソーラン)
7.福知山の淑徳高校の卒業生などの関係者でつくる「淑徳民謡」が(エイサーケチャンバ、淑徳ソーラン)若さ溢れるダイナミックな踊りを披露.あれ何時の間に写真に入ったのか、良くチェックするとこの踊りの主催者:綾部商工会議所青年部の写真担当の西村君だ!!まだどこかで入っていたよ!写真は大変だった!小生も一番街・二番街で出演者が交互にでて来るのだら!こちらで良いのが撮れたかチェックし,すぐに反対側へ移動して撮影する。小生ダウンで第一部のみと成りましたので、最後に第二部の出演内容リストをねじ込みましたので見てください。体を鍛え直します。来年にこうご期待
「響連」が(さむらい、おかみさんソーラン)
8.地元綾部市最大のチームでこの「あやべ良さ来い」を始めた踊り好きの女性のチーム「響連」が(さむらい、おかみさんソーラン)を披露してくれました
Rainbow children project kukui」の皆さんが(Why we are here,Freedom)
9.京丹波町の若いグループで参加人数は少ないがダイナミックな踊りは最高でしたね!「Rainbow children project kukui」の皆さんが(Why we are here,Freedom)披露してくれました
京丹波よさこい連
10.京丹波町からお越しの「京丹波よさこい連」です(正調よさこい節、祈~INORI~の二曲で披露
よさこい健美連」YOSAKOIかめおか
11.亀岡市からご出演頂いた「よさこい健美連」YOSAKOIかめおか、”春夏秋冬”祭だ!亀岡の二曲で披露
オムロン(株)綾部事業所チーム
12.オムロン(株)綾部事業所チームが大人数で(よっちょれ、南中ソーラン)で披露
「楽京乱舞」のチームで華麗な(京の音、OBURAJA)
13.京都市からご出演頂いた「楽京乱舞」のチームで華麗な(京の音、OBURAJA)で披露頂きました
伊根よさこい連
14.丹後半島の伊根町からご参加頂いた「伊根よさこい連」の皆さんで(元気、南中ソーラン)でご披露
日東よさこい連
15.地元綾部の「日東よさこい連」です今年初出演ながら男女共同で最大の人数の「日東よさこい連」で(あやべよさこい、よっちょれ)で盛り上げてくれました
京都チーム[櫻嵐洛]」のメンバー
16.はるばる京都市からお越し頂いた「京都チーム[櫻嵐洛]」のメンバーさすが京都!言ったところでしょう!見事な(京ノ神、都の詩と京ノ神、都の詩)で踊りを披露して頂きました
出演者全員で踊る「総踊り!」
17.いよいよ午後5時20分の和太演奏から始まった第10回あやべ良さ来いの第一部のフイナーレの出演者全員で踊る「総踊り!」です午後7時55分、途中で8時となり花火がバンバン上がり出演者全員大変な盛り上がりです。その中から面白いのを1
枚何とか押し込みます。一度に18枚もの写真を入力したのは始めてのチャレンジでした。是で限界です。あれ!!!この外人さん何処かで踊ってるの見たよ!京都平安神宮前の広場?昨年の「あやべ良さ来い」だったかも?
第二部の出演は下記のリスト
第二部の出演は下記のリストをご参照下さい

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綾部の文化財

7月24日(金)綾部天満宮の大祭(天神祭)盛大に催された

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」旧綾部町内に天神町がある。町名の通り其処には「綾部天満宮」がある。この神社の駒札には次の様に記載されている。「御祭神:菅原道真公・文道の祖神、学問書道の神、相殿の御祭神:賀茂大神・五穀豊穣天下豊平雷の神威のよって人類の罪悪を除し給い又方位除災等の加護を垂れ給い社会平等の確立平和福祉の増進を守護し給う家庭日常生活の守り神」内容は良くご理解頂けると思います。唯、多少付け加えますと「平安時代の菅原道真公は参議・菅原是善の三男で宇多天皇に重要され昇進、醍醐天皇の時代には従二位右大臣にまで昇進。左大臣(右大臣より上位)藤原時平から醍醐天皇に讒訴(ざんそ)され、九州の大宰府へ太宰権師「(だざいごんのそち)師(そち)が長官で、所謂、副官(次官)である。」として左遷され現地九州の大宰府にて亡くなって現在の有名な大宰府天満宮に葬られた。その左遷で京を離れる時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花、主なしとして 春なわすれそ」は有名。道真公亡き後、醍醐天皇の子で東宮(とうぐう、皇太子(時平の甥)をはじめ次々と朝廷要人に多くの死傷者(清涼殿に落雷)が出たので、朝廷は罪を許し、落雷後には「贈正一位、左大臣に名誉回復。更に時平死亡後には「贈太政大臣(だじょうだいじん)」となる。更に後、京都の北野に北野天満宮として祀られた。かくして、「天神様」となったのであります。賀茂大神については長くなるので下記をクリックして7月24日(金)に催された「綾部天満宮のお祭」や「京都の上賀茂・下鴨社」を見て下さい。
神社総代の司会で神事始まる
1.大槻昭(当会々員)神社総代の司会で神事始まる
修祓の儀
2.綾部八幡宮々司・奈島正倫(なじままさみち)様参拝(一)「修祓の儀」(しゅばつのぎ、天神さまへ祝詞を奉上される儀式)、「宮司一拝」(参列者は全員宮司様に合わせて拝礼する。)、「献饌の儀」(天神さまへ食事をお供えする儀式、昔は魚介類も含めて豊穣を祈り野菜類をもお供えしました。)続いて、宮司様の「祝詞奉上」(天神様へのりとを読み上げる儀式)、続いて宮司様の「玉串奉奠」(榊の葉がついた木をお供えする儀式)を終えました
お祓いされる奈島宮司
3.お祓い(お清め)される奈島宮司様と来賓の綾部市・市長四方八洲男(しかたやすお)様、森永市議会議長、佐々木京都府々会議員、8町区を代表する自治会長及び関係神社役員やご来賓の梅原綾部市連合自治会長等です。午前10時過ぎ
玉串奉奠の儀
4.玉串奉奠の儀(たまぐしほうてんのぎ)トップは四方八洲男綾部市長です、以下参列のご来賓数十名が玉串を奉奠されました
撤饌の儀
5.「撤饌の儀」(てっせんのぎ、天神さまへ供えた食事を取り収める儀式)終了後、続いて奈島宮司様の「神幸祝詞奉上」(しんこうのりとほうじょう、祝詞を天神様へ読みあげる儀式)をし、「出御」(天神様の御霊を神輿に移す儀式)
子供達に内容を判りやすく説明される奈島宮司
6.子供神輿巡航に先立ち子供達に内容を判りやすく説明される奈島宮司様
子供神輿巡航開始
7.奈島宮司様が先導役で子供神輿巡航開始です。午前10時50分頃
続いての行列2
8.続いての行列2.関係する8町区を巡航します
続いての行列3
9.続いての行列3
続いて神輿です
10.続いて神輿です
天神様の御霊を天満宮へ戻す儀式
11.昼12時30分無事帰着,天神様の御霊を天満宮へ戻す儀式です
夜の参拝開始の「振れ太鼓」
12.午後5時50分夜の参拝開始の「振れ太鼓」です
早速若いギヤル達のお参りです
13.早速若いギヤル達のお参りです。午後6時頃。恋の祈願か!最近出かけた京都室町にある「阿部清明神社」(あべのせいめい、平安時代の天文学者、占師)等は凄い若い修学旅行の女子高生で押されて大変だった!!
ぴちぴちギャルも恋の祈願か?
14.参拝の方は無料の「大福引」です。若い女性のお参りで天神様も喜ばれたのでしう。大当り続出!!午後6時頃

「賀茂大神は通称であり、本姓は賀茂別雷命(かもわけいかずちのかみ)で京都の上賀茂神社が一番有名です。下記をクリックして当会の研修旅行を見て下さい」
http://www.ayabun.net/kensyu/toji/kamojinjya.html

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あやべの街

綾部水無月祭「あやべ良さ来い・花火大会」前の子供太鼓巡航と第5回由良川ロックフェステバル!

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」の7月25日(土)JR綾部駅南口では午後、2時から「第5回由良川ロックフェステイバル」が開催されました。朝からの雨(之は嬉涙と思っています)予定では午後1時30分開始ですが、雨のため30分送れて主催者の挨拶等が始まった。小生にとってはロックは約半世紀前(46年前)にアメリカのカリフォルニア州オークランド市(サンフランシスコから対岸になる当時人口60万の都市)でロックに始めて接し、耳は悪いがあちらこちら聞き歩いたのを思い出します。その後、JTBへ入社英語での面接、ハワイ州出身のアン・中林女史の問いかけに夢中で答えて、何とか入社。配属は外人旅行京都営業所で先輩諸氏一癖も二癖もある人達ばかり!京都都ホテル(今のウエステイン都ホテル京都)の葵殿を貸しきってのダンスパーテイの開催で小生には50枚もの入場券の割り当てを受け、各女子大の前に朝・午後立ち販売です。(当時の入場代300円月給1万余円1ドル360円の時代で350名で収支何とか帳尻があう。)まあなんとこの綾部でロックが聞けるようになるなんて想像もつかなかった時代で、感無量です!綾部市市会議員の塩見麻里子さんから聞いて「本当かいな!この綾部でロック?」が実感でした。当初見物人(参加人)数少なかったが年々参加者(見物人)も多くなってきました。鍋師兄からの要望でホームページ「綾部の文化財」を開始して、昨年初めて第4回目を掲載しました。HP委員会では?でしたが小生勝手に之は「綾部の伝統文化になる」と判断したのです。鍋師有兄はさすがHP委員長です!後日無事認可!今年は第5回目のアニバーサリー(記念日)です。雨でずぶぬれになり途中帰宅し着替えて、再び、懐かしの大阪アメリカ村の玉井シンジ君を聞いてみたくて会場へ再度参加。アメリカアイダホ州出身の彼はもう居なかった数年ぶりに懐かしくて、アメリカ語でしゃべったのに!最後の東京のTHE SCENEを聞きたかったのに!「あやべ良さ来い」の本番の太鼓の撮影で、見れなかった残念!でもシンジ君のおかま振りは変わらず、この会場近くで出会った多くの先輩諸氏には見物を薦めた!ゴムのスリッパが一足がたった100円で吊ってみた!500円の由良川ロックフエステバル記念のタオルも買った!尚、9月20日(日)午後3時スタートで綾部の井根山の会場で「第四回あやフエスAYABE FESTIVAL」が開催されます。ドリンク付きで前売りたった400円、当日500円詳細は三神君電話:080-1513-4567大島町在住、母上は吉美の星原町出身ですよ!
「綾部子供振れ太鼓巡演
1.水無月(みなつき)祭り開始の「綾部子供振れ太鼓巡演」雨で大変!!
子供太鼓のメンバー達その1
2.子供太鼓のメンバー達その1
同上 その2
3.同上 その2
第5回由良川ロックフェステバル開催」挨拶
4.30分遅れで「第5回由良川ロックフェステバル開催」挨拶の主催者午後2時(協賛してくれた各種企業の名前を読み上げ拍手を求めているが、皆拍手したよ!漢部人(綾部人)は足利尊氏公以来、正直・忠節者は変わっていないね!
綾部産Rocckin`garege band」Vo.(ボーカル)上杉町の鶴丸君
5.トップバッターは地元綾部「綾部産Rocckin`garege band」Vo.(ボーカル)上杉町の鶴丸君ことMr.Pon,Gu(ギター)Mr.Tar-low,Ba(ベースギター)Mr.Rotary,Dr(ドラム)Dr.Ween(Dr.ドクターの称号ですよ!本職くお医者さん?)
上着をかなぐり捨てての熱演です
6.同 上  上着をかなぐり捨てての熱演です!うー昨年もこの熱演に打たれたVO・Mr・Ponこと上杉町の鶴丸君です。9月20日(日)午後3時井根山での「第4回あやフエスAYABE FESTIVAL]ドリンク付きで前売り400円のみ、当日でも500円車駐車出来るそうですので家内を連れて行く予定です。日曜日なので桜ヶ丘の長男一家5人も誘ってみますよ孫娘は水泳の大会かもそのときは駄目だ
Mr・Ponこと素顔の彼にインタビュー
7.地元で頑張っているMr・Ponこと素顔の彼にインタビュー「今後も毎年この由良川ロックフエステバルも続けていく!そして9月20日のように綾部産のメンバーでライブをやっていきたい!」と強い決意を表明してくれました。地元皆さん応援のためライブに参加しましょう!演歌とは違いますが、リズム感が凄いですね!
「ラッシュ」高校生のグループです
8.第三番目登場は「ラッシュ」高校生のグループです!Vo.Miss.「たに」さん(彼女この一年で凄く成長しましたね!昨年は可愛子ちゃんが歌っているの感じでしたが、今年は凄い迫力!あとで、声をかけたかったが、こんなオジンがと恥ずかしくなり止めた。残念9月20日出演なら声かけますよ!その節は宜しく!Gu.は「いまに」君、Ba.「さとなお」君、そしてDr.「ゆうじ」君です。皆んな成長してますよ!
懐かしの「gangsters」の皆さん
9.第8番目登場は懐かしの「gangsters」の皆さんVO。の玉井シンジくんを紹介します。大阪のロック狂いの友人が南のアメリカ村の「CLAPPER」へ連れ行ってくれたんですよ!相変わらずのお釜ぶりですが、凄いね!
身を投げ出し「男子供に担がれて喜んでいるシンジ君
10.見て!見て!身を投げ出し「男子供に担がれて喜んでいるシンジ君」です
出演リストを掲載
11.出演の皆さん全部を紹介したいのですが、さすがの小生のブログ(文化財日誌)でも掲載しきれませんので、下記に出演リストを掲載します。写真をクリックして頂くと大きくなります

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綾部の文化財

7月24日(金)夜の天神祭り参拝と大抽選会、綾部花火大会前夜祭ダイナミックな「あやべ良さ来い」

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)では7月最後の土曜日通称:水無月大祭が盛大に開催されます。又、毎年それに先立ち金曜日夜にダイナミックな「あやべ良さ来い」前夜祭が開催されます。今年は又7月24日(金)は「天神祭」が朝10時から開催されました。天神祭りの詳細は又次に掲載しますが、今年は7月24日(金)が前夜祭と重なり、その上金曜日のみ開館の経済産業省「近代化産業遺産群認定第33号のグンゼ記念館」が無料で見学できるので大変な賑わいの一日でした。順次掲載しますが今日は、7月25日(土)開催の前夜祭午後6時開催の「あやべ良さ来い」のダイナミックな三チーム合計74名の踊りと「天神祭」夜の「参拝と大抽選会」を紹介します。綾部へは是非2泊3日で「来て見て欲しい」と自信を持って小生が紹介します。前夜祭のダイナミックな「あやべ良さ来い踊」、そして25日(土)元気な方は午前中に京都府北部唯一の国宝「光明寺の二王門」と室町初代将軍足利尊氏公出生地の「安国寺国重文の仏像や茅葺の本堂」や「綾部温泉で入浴と昼食の楽しみと休憩」昼1時から開催のJR綾部駅南口のこれも又ダイナミックな大阪・京都市内からも参加の「由良川ロックフェスチバル」が開催、続いて午後1時30分には「鳥羽の九鬼(くき)水軍の伝統ある綾部太鼓市街地巡演」が3時30分まで平行して開催、ここで休憩のお勧め所は綾部市のホームページから選んで下さい。午後5時には「屋台村」が開催、午後5時20分には更にダイナミックな本番の「あやべ良さ来い第一部」が始まります、そして夜の最大の見物「大本教による平和祈願万灯流し」の神事、そして午後8時からは有名な「綾部花火大会」です。花火大会終了後の午後8時45分から佳境に入る「あやべ良さ来い第二部」が夜10時10分まで開催されます!
ぴちぴちギャルも恋の祈願か?
1.天神祭の夜のお参り!ぴちぴちギャルも恋の祈願か?お参り後の「大福引」で大当り続出!24日午後6時現在
天神さんは行列でお参りです。盛大ですね!!
2.天神さんは行列でお参りです。盛大ですね!! 24日午後7時現在
あやべ良さ来い前夜祭第一部
3.「あやべ良さ来い前夜祭第一部」午後6時の振れ(開始)「太鼓チーム」は夜の天神祭りのお参り風景撮影とダブって撮れず!「前夜祭第一部総踊り」三チーム70数名余五歳からの子ギャル出演でめッちゃ盛り上がる!! 踊りは「あやべ良さ来い」午後6時30分現在
可愛い「フエアリーズ」チーム
4.可愛い「フエアリーズ」チーム5歳から中学生まで30人です!お母さん見るのに夢中です!でも安心僕ちゃんはひも付きです。踊りは「オブオブ」午後6時35分現在
「太鼓人」チーム総勢15人です
5.「太鼓人」チーム総勢15人です。25日夜の本番「あやべ良さ来い」はもっと凄いよ!他都市からも出演があります!午後6時40分現在。踊りは「よさこいソーラン」
地元綾部の誇り「響連」総勢30名+子ギャル30名
6.地元綾部の誇り「響連」総勢30名+子ギャル30名(後部)踊りは「さむらい」午後6時45分現在
響連の子ギャルセームです。30名
7.響連の子ギャルセームです。30名「総踊り」午後6時50分現在の踊り「よっちょれ」の後部の子供達です
屋台村も大繁盛です
8.屋台村も大繁盛です

京都府北部唯一の綾部の光明寺の「国宝二王門」は下記をクリックして見て下さい。秋
現地で見ると紅葉でもっと凄いです。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/131.html
数ある安国寺の筆頭「綾部の安国寺と国重要文化財」は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/205.html

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文化財研修記

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第15回日蓮宗・経王寺と臨済宗・国清寺

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!今回は第15回目です。最初に日蓮宗・本城山「経王寺」です。この寺は慶長七年(1602)宮津藩主京極高広の帰依を受け、日依上人により開かれた。もとは、現京丹後市伊根町本庄にあった真言宗・楞厳寺(りょうごんじ)が日依上人との宗論に負けて、改宗し、伽藍を現在地に移して(本庄山(後に本城山山)経王寺となった。同じ名の真言宗・楞厳寺(りょうごんじ)が京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」にあるがこれは大変な古刹で関西花の寺25ヶ寺の一つでもあるので下記をクリックして見て欲しい。綾部市の楞厳寺(りょうごんじ)は下記です。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html
又、すぐ隣に寛永二年(1625)に京極高広の妻・寿光院が父、岡山お大藩の池田輝政の追福のために建立した臨済宗・泰叟山・国清寺がある。池田輝政の法名は国清院殿泰叟高広大居士といい、国清寺の山号・寺号はこの法名からとったものです。但し寿光院の墓は近くの本妙寺にあります。この寺の宝物は室町時代の京都五山の一つである臨済宗東福寺の有名な公的仏画師・明兆(みんちょう)が描いた「仏涅槃図」と言われています。ご本尊は釈迦三尊です。他にもいろいろと有名な中国人画家の「龍虎図」などもありますが拝見する時間が無く、次回の「第二回ぶらり宮津市の社寺を見る!」を計画したく思っています。
経王寺の見事な鐘楼と山門
1.経王寺の見事な鐘楼と山門
経王寺の本堂
2.経王寺の本堂(この寺では5月1日の「人形と玩具の供養」と7月18日の「大祭」には大勢のお参りがあります)
すぐ左のお隣の「国清寺の登り参道」
3.すぐ左のお隣の「国清寺の登り参道」
国清寺の山門
4.国清寺の山門
本堂
5.本堂
鎮守堂
6.鎮守堂
鎮守堂内の随身像が見える
7.鎮守堂内の随身像が見える

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文化財研修記

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第14回浄土宗西方寺と日蓮宗本妙寺

ぶらリ城下町宮津の社寺を歩く!シリーズは10回以内で収める予定でしたが、導入部分に4回もかかり、今回は第14回目です。第16回が最終回となります。旧宮津町内に多くの社寺があると知っていましたが1日では周り切れず、次回に続編を掲載したいと考えています。今回から2ヶ寺を一度に紹介します。先ず、浄土宗の京都の知恩院の末寺として開かれた山号聖像山・西方寺は、永禄三年(1560)に真誉恵誉大徳により開かれた寺ですが、現在、栄照寺と合併して「愛染明王堂」のみが残っております。近所の方に西方寺は?と聞いてもほとんどご存知なく「愛染明王堂」として今なを多くの参拝者が訪れています。又、次に掲載する日蓮宗の長久山・本妙寺のご本尊が珍しく「十界大曼荼羅」で残念ながら撮影は不可能でした。寛永二年(1625)京極高広が宮津を再建し、その完成を記念とし、開基である高広夫人が養父の徳川二代将軍秀忠公の菩提のため当寺を建立しました。寺宝に三菩薩(日蓮・日朗・日像)のご本尊がありましたが、昭和六年(1931)の大火の為、山門以外は全焼しましたが、昭和47年に日蓮上人750年、当寺350年記念として近代的な寺院となった。
西方寺の「愛染明王堂」
1.元、浄土宗。京都知恩院派の西方寺の「愛染明王堂」
上記「愛染明王堂」の扁額
2.上記「愛染明王堂」の扁額
日蓮宗・本妙寺
3.京極高広夫人が養父・徳川二代将軍秀忠公の菩提のため建立した日蓮宗・本妙寺
本妙寺の見事な山門
4.本妙寺の見事な山門は寛永二年(1625)建立のもの
創建350年記念の近代的な本堂
5.昭和47年日蓮上人750回忌、当時創建350年記念の近代的な本堂

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文化財研修記

京都祗園祭のイベントと文化財!その3(最終回)

平成21年7月17日の京都の三大祭りの一つ祇園祭は7月1日の吉符入りから始まり31日まで様々な協賛行事が行われます。小生は主催・京都文化博物館と京の三条まちづくり協議会の無料の「祗園祭ミュージアムコンサート」を見た後、その近辺の文化財をたずねてみました。今回3回目で最終回ですが、近年大変にぎやかな「寺町通りの矢田寺(矢田地蔵尊)」と織田信長公滅亡の「本能寺」を訪ねて見ました。矢田寺の本尊の地蔵菩薩様は火炎の中に立つ二メートルの立像で、住僧萬米僧人が冥土に行き、地獄を見た罪人を救っているお地蔵様の姿を彫刻して祀ったと伝えられています。本堂にかかる梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」にたいして「送り鐘」といわれており、死者の霊を迷わず冥土へ送るためにつく鐘です。特にお盆には多くの参拝者で賑わいます。
「矢田寺(矢田地蔵尊)」正面
1.華やかな「矢田寺(矢田地蔵尊)」正面
本堂と本堂前の「送り鐘」
2.本堂と本堂前の「送り鐘」(奥に火炎の中のお地蔵様がみえますか、写真をクリックして大きくして見て下さい)
摂社「しあわせ薬師如来像」
3.摂社「しあわせ薬師如来像」(本堂に向かって左側)
「石の地蔵尊群」
4.同上 「石の地蔵尊群」(本堂に向かって右側)
上島珈琲店
5.ああつかれた!冷房の効いた「上島珈琲店」にて一休み、2階喫煙席、1階は禁煙
セルフサービスだが、席は先に確保して注文する、大変美味だった
法華宗「本能寺」
6.明智光秀公曰く「敵は本能寺にあり」の法華宗「本能寺」山門等は焼き討ちで天正十五年(1587)にこの地へ移る
法華宗本能寺開山上人
7.法華宗本能寺開山上人
銅造りの蓮
8.境内の見事な献上の銅造りの蓮(本堂は改築中、平成23年完成予定)
境内の見事な一角
9.境内の見事な一角

(注)織田信長・豊臣秀吉の直筆の「感状」を見たい方は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/638.html

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文化財研修記

京都祗園祭のイベントと文化財その2.三井越後屋京本店記念庭園と弁慶石

京都市中京区三条高倉の「京都文化会館の祇園祭ミュージアムコンサート」の念願の大阪府川西市教会のゴスペルを見・聞きしたので少し足を伸ばして「日本のシルクロードの終点・室町界隈」へぶらりと歩いて行くことにした。日本のシルクロードとは古代、中国金国の時代、満州方面あるいは現在の北朝鮮から船出すると自然に日本海の若狭・丹後半島に到着或いは漂流してくる。故に、海岸の現在の京都府京丹後市の網野町・丹後町辺りに到着、ここから中国の絹糸や絹布(当時日本では養蚕で絹が作られていなかった)が峰山町、加悦町(かやちょう)、綾部町「当時は漢部(あやべ)と云っていた」、北桑田郡・京北町から終着の室町へと交通路が出来ていた。故に、平城京や平安時代から綾部郷(あやべごう)近辺から都へと税金の租庸調(そようちょう)が送られていた。特に江戸時代には綾部から京都の室町へ丁稚奉公(でっちほうこう)に出る人も多くあった。現在でも綾部出身の方が多く住んでおり、綾部の少年サッカーチームと室町の少年サッカーチームの交流は50年近くになっている。さて今回は見学がまず不可能な「三井越後京本店記念庭園」のほんの一部と「弁慶石」を見てみよう。
室町通りの「老舗酒屋」
1.室町通りの「老舗酒屋」の写真
三井越後屋京本店記念庭園
2.三井越後屋京本店記念庭園「江戸時代の三井高利(たかとし)通称:八郎兵衛、天保8年(1622)から元禄7年(1694)に生存し、三井家(後の三井財閥中興の人)の京都本店があった所、当時は間口8間、奥行き18間の広大な屋敷で呉服・両替商を商っていた。京都の店の税金は間口の広さでかけられたもので、それゆえ入口が狭く奥行きの深い「うなぎの寝床」と云われてきた。現在この庭園を見学できるのは、京都通百科事典事務局へ「京都通メンバーに登録」した上に特定の指定された日のみ見学が可能です
庭園の一部その1
3.庭園の一部その1
庭園の一部その2
4.庭園の一部その2
室町二条から御池通り方面
5.室町二条から御池通り方面(この室町通いには7月15日の祗園よい宵宮、16日宵宮、17日本祭では菊水鉾を先頭に8基の鉾が立ち並んでいた
室町御池通の近代ビル(OIKE KOTO BLDG)
6.室町御池通の近代ビル(OIKE KOTO BLDG)
弁慶石の駒札
7.中京区弁慶石町(新京極通と寺町通の間)にかの有名な「弁慶石」があるのを思い出し、のこの捜し求めた。なんとビルの敷地の中に漸く見つけた。「弁慶石の駒札」要約は弁慶が生前大切にしていた石で、弁慶が奥州平泉で義経と共に亡くなり、高館にあったが、この石が三条京極に住んでいた弁慶の住所へ行きたいと「発声鳴動」したと言う。更に、付近の人々が熱病にかかり熱病が蔓延したので享徳三年(1454)に現在地へ安置した
弁慶石
8.ビルの屋敷内にある「弁慶石」高さ1メートル48センチ

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文化財研修記

京都祗園祭のイベントと文化財その1.京都府京都文化博物館と御所八幡宮

京都市中京区三条高倉には元日本銀行京都支店で現在国の重要文化財指定である「京都府京都文化博物館」がある。別館が指定の文化財であり、そのホールでは7月1日吉符入りから始まる祇園祭。31日まで各種様々の協賛イベントが開催されます。京都に長年住んでいた私にとって、懐かしい祗園祭りですがよい宵宮・宵宮そして17日の本祭りは再三見たり、浴衣姿でのデートを楽しんだこともあります。この年になると祗園祭り当日を避け協賛のイベントに興味があります。今回は京都文博物館と京の三条まちづくり協議会主催の「祗園祭ミュージアムコンサート」2日間開催の内の1時間のみ大阪府川西市の教会からのOne Voice Kawanishiのゴスペル(主としてアメリカ発祥の賛美歌のこと)でブラジルのホップスを聞きたいと考えたわけです。ニューヨークの聖ヨハネ教会で聞いたダイナミックな黒人のゴスペルと英語と日本語で歌う日本人のゴスペルをも聞いて見たいとの希望でした。車は御池通りで出来るだけ高倉通りに近い地下駐車場は30分毎に250円のみです。今回は、ついでに近くの御所八幡宮」等をも見学します。3回シリーズで近くの文化財も見学します。」
御池高倉通り角の案内板
1.「御池高倉通り角」の案内板です。地下駐車場の横です。左横の赤い柵が御所八幡宮です。帰りに見ます
国重文指定「京都文化博物館別館」
2.旧京都銀行京都支店、現・国重文指定「京都文化博物館別館」今回入場料無料
3.祗園祭協賛2日間のミュージアムプログラム
3.祗園祭協賛2日間のミュージアムプログラム
川西教会のメンバーが見事に歌う英語4曲、日本語2曲
4.京都市立芸大声学科出身の石塚誠孝氏の指導で京都府下の皆さんも参加の川西教会のメンバーが見事に歌う英語4曲、日本語2曲を(メンバー交代あり)皆熱心に聴いていた。日帰りはもったいない来年は泊りで行く予定
御所八幡宮
5.御池高倉にある「御所八幡宮」は室町幕府初代将軍足利尊氏公が当初自分の邸宅の守護神として勧請したと云う。元は御池(おいけ)堺町西南角の御所八幡町にあったが戦争中,御池通の火災避けのため、この地に移った。尊氏公は綾部市「元、何鹿郡(いかるがぐん)」上杉庄で出生したと云われ、綾部市上杉町に「足利尊氏産湯の井戸」がある。詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/205.html
本殿
6.本殿
摂社の稲荷社
7.摂社の稲荷社
クスの木と鳥居
8.中京区々民のクスの木と明治四十に年の銘のある鳥居

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綾部の古木・名木・巨樹

花が咲いていた旦寺の「ハリギリ」

旦寺と云う寺院はなく地名である。四つ尾山に波多野記念碑から登り、頂上を過ぎて夕日が丘の配水タンク上部に出る縦走路を更に西に「上延コース」を下るとこの「旦寺」に出る。そこに鳥居が立ち、小さいながらも社があるので、旦寺と呼ばれる寺もあったと思い違いしていた
丹の国綾部の写真集」でも「旦寺の竹細工」として紹介されている。その竹細工工房に立ち寄り、社の上に見える四つ尾山山麓の森の中の樹木かと尋ねると、もっと下の森の中ではと教えられた。いつもの散歩道を安場川まで下り、橋を渡らず一番下の道を回りこむと道路際に「綾部の古木名木百選No.24:ハリギリのこま札」と、中筋自治会のこま札が建てられていた
鳥居が建つ
いつもの散歩道傍に鳥居が建つ 大正7年10月 背後は竹細工に相応しい竹林
石灯籠と小さなお社
同じく大正7年10月の石灯籠と小さなお社
もう一つ小さなお社がある。背後に四つ尾山山麓の森が見える
もう一つ小さなお社がある。背後に四つ尾山山麓の森が見える
上延町旦寺自然林中のコマ札
綾部の古木名木100選No24:ハリギリ(ウコギ科)樹周:3.10m 樹高:30m 上延町旦寺自然林中のコマ札
白っぽい花の咲いているハリギリ
白っぽい花の咲いているハリギリ
携帯電話の付属カメラなので、コマ札も花も上手く撮れない
携帯電話の付属カメラなので、コマ札も花も上手く撮れない

所在地は次のMAPIONの地図を参照ください。
 http://www.mapion.co.jp/m/35.2937919444444_135.238962777778_9/

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綾部の文化財

有名な式内社・以仁王を祀る高倉神社の「天一さんの土用の丑祭」本殿祭を正式公表

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるががぐん)」吉美地区(きみ)高倉町には名の如く高倉宮以仁王をお祀りする式内社・高倉神社(拝殿は京都府指定文化財)がある。「花と綾部の文化財シリーズ第200回目」です。これは7月19日(日)真夜中0時に始まった有名な通称「天一つさんの土用の丑祭」の「宵宮祭」は第119回で掲載した。今回19日(日)午前9時から始まった「本殿祭」の様子を四方幸則宮司様より正式に撮影許可(綾部の文化財を守る会のみ)を頂いたので掲載します。大変ご縁があったのでしょう。今回は西八田地区中筋町にある式内社・島萬神社の塩尻彰宮司様(七百石町)がご参加頂いた。塩尻宮司様は以仁王が宇治より逃れ吉美郷里村にて矢傷のためご遷化された時、この里村まで随行された「十二士」の子孫であり、十二士講中を組織し、今なをお祀りされ続けている講員でもあります。本当に喜ばしい祭典となりました。詳細は紙面の都合上かなりカットして掲載していることお許し下さい。
続々と参拝する人々で一杯
1.本殿祭は午前9時ですが8時過ぎには続々と参拝する人々で一杯
十二士神社参拝
2.十二士神社(十二士講中の講員の参拝儀式は9時40分頃)に参拝する人々
本殿祭の前のお清め
3.本殿祭の前のお清め   午前8時50分
「遥拝所」で本殿祭が開始
4.拝殿に向かって左側の「遥拝所」で本殿祭が開始、特別参拝・島萬神社の塩尻彰宮司様
拝殿で見事な琴と笛の演奏
5.一同本殿へ移動。拝殿で見事な琴と笛の演奏で本殿祭始まる
一緒に「本殿祭」に参加
6.拝殿では一般のお参りの方も一緒に「本殿祭」に参加できす。この日のみは、特別参拝料も不要でお賽銭のみで「京都府指定文化財の拝殿」へ入れます。但し宮司様に合わせての「二拝二拍手一拝」(拝とは最敬礼で背中が平になるまで上体を九十度曲げる)は確りお願いします。但し席は限りがあります
開扉の儀
7.開扉の儀(宮司様が本殿の扉を開かれる儀式)
献撰の儀
8.献撰の儀(けんせんのぎ)(本殿でご鎮座の以仁王へお供え物する儀式)
最後の拝礼
9.最後の拝礼(この間のご来賓の参拝等の写真は写真数の都合上割愛させていただいています。これだけ多くの写真が入力されているブログは日本一と自負しております)
十二士神社の祭礼
10.十二士神社の祭礼(十二士講中会員様達、左の背広姿がが十二士講の会長様)
名物「はらわた餅」1箱6個いり350円
11.名物「はらわた餅」1箱6個いり350円、家内もいつも三箱は購入、長男宅へも届けます。小生もいつも美味なの頂きます。9時50分現在で1,300箱売れて追加で大急ぎで製造中とのことです!
早速スーパーボールすくい等
12.ボランテアで多くのお店がで出います。子供達は参拝後、早速スーパーボールすくい等で楽しみ一杯!見てこんなにすくったよ!

注)このブログ「綾部の文化財日誌」は綾部市の小・中学校のパソコン教育で使用されておりますので一般の方の投稿は出来ません。一般の方の投稿は「綾部の文化財掲示板」又は,事務局四方宛のメールへ投稿頂き、HP委員会で承認した場合のみ「綾部の文化財日誌の他都市の文化財研修」として掲載致します。

高倉神社のホームページは下記をクリックして見て下さい。
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/12/49/index.html

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あやべの街

鳴鶴流天渓会京都支部の第16回書道展が7月18日~20日グンゼ博物苑集蔵(つどいぐら)で開催される

小生は所謂「書道」が苦手である。故に逆に「各種の書道展」があるとつい見に出かける。今回は小生にとっては珍しい「鳴鶴流天渓会京都支部の第16回書道展がグンゼ博物苑の集蔵(つどいぐら)で7月18日(土)、19日(日)は午前10時から午後5時まで、20日(月)は午後1時まで無用で見学できる。小生18日は京都行き、19日早朝は有名な「高倉神社の土用の丑祭」で参拝撮影し、健康の為自転車でグンゼ博物苑の会場へ出かけた。天渓会四代目の南鶴渓師の出版の「恋の歌を書きましょう」とのサブタイトルの本・定価1,429円)の恋文・恋歌と与謝野晶子の話の内容が詳しく説明してある本であった。今後購入希望は兵庫県丹波市市島町の同会の書道師範・蘆田(あしだ)花冠さんへ電話:0795ー86-1340又は同じく書道師範の綾部市私市町の蘆田(あしだ)朱丹さ電話FAX:0773-48-0644へ問い合わせられると良い。作品は何しろ素敵な女流文字で大変な好奇心で持って、拝見できた。
グンゼ博物苑の案内板
1.グンゼ博物苑の案内板
中央がグンゼ記念館、右がグンゼ博物苑
2.中央がグンゼ記念館、右がグンゼ博物苑そして左がこの「書道展会場の集蔵(つどいぐら)」
蘆田花冠師と蘆田朱丹師
3.受付の書道師範の蘆田(あしだ)花冠師と蘆田朱丹師
「恋の歌をかきましょう」を説明中
4.天渓会四代目の南鶴渓師の出版書「恋の歌をかきましょう」を説明中
「恋の歌を書きましょう」
5.「恋の歌を書きましょう」定価1,429円
与謝野晶子の生き方の詳細
6.上記本の恋に走った与謝野晶子の生き方の詳細(画面をクリックすると大きな字となります)
7.蘆田花冠書道師範の書
7.蘆(芦)田花冠書道師範の書
蘆田ス朱丹書道師範の書
8.蘆(芦)田ス朱丹書道師範の書

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綾部の文化財

延喜式内社・高倉神社の通称「天一さんの土用の丑祭」真夜中の「宵宮祭」の神事初公開

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」吉美地区の高倉町にはその名の由来の古社である「延喜式式内社・高倉神社」がる。例年7月には綾部市最大で大賑わいの通称「天一さんの土用の丑祭」がある。今年は7月19日(日)であり真夜中の0時から「宵宮祭」催行された。夜間のスポットライトを当てられた拝殿は元本殿で現在「京都府指定文化財」となっている。この真夜中の「宵宮祭」の撮影を四方幸則宮司様に当会(綾部の文化財を守る会)のみに特別に許可頂いたので映像を発表します。夜中0時から多くの信者が交通安産・病気平癒・家内安全・心願成就等々の祈願で夕方までおお賑わい。はらわた餅が例年安く大繁盛です。小生も家内に頼まれ毎年買います。いわれがありご利益のある「五葉の笹」も多くの方が買い求めている。子供達は金魚すくい等楽しみ一杯です。又、19日(日)朝9時からの「本殿祭」も後日で掲載します。
ライトアップされた京都府指定文化財の拝殿
1.見事な彫刻が見えるライトアップされた京都府指定文化財の拝殿 夜11時50分
来賓は神式装束に着替え
2.来賓は神式装束に着替え、お清めを受け拝殿へ向かう 夜中0時
拝殿へ上がる宮司
3.先導役に導かれ拝殿へ上がる宮司様
宵宮祭の神事始まる
4.宵宮祭の神事始まる 夜中0時10分
多くの参拝者たち
5.多くの参拝者たち  夜中0時12分
十二支神社に参る人々
6.摂社の高倉宮を奉じて里町へ逃れた十二士を祀る「十二支神社」に参る人々
拝殿内の神事佳境にはいる
7.拝殿内の神事佳境にはいる。誰だ!急遽出席でOK.又、美女はお徳。神式装束
着用無しで承認の諭旨!
奥社の大地主神社へ一同参拝
8.奥社(奥の院)の大地主神社(祭神:大地主命)へ一同参拝 夜中0時25分
一同宮司様よりお祓いを受ける
9.一同宮司様よりお祓いを受ける、もうすぐ終わりです。0時35分

高倉神社のホームページは下記をクリックして見て下さい。
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/12/49/index.html

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綾部の古木・名木・巨樹

並松の由来となった綾部の古木名木100選のクロマツ

平重盛の古き時代より治水に務めた京都府北部を流れる大河:由良川の「並松町」の由来となった綾部の古木名木100選:クロマツ
 京都府北部を流れる大河:由良川。元何鹿郡(現在の綾部市)において平重盛公の時代から治水のため、由良川のこの地に井堰を造り治水に務めたと伝えられる。しかしこの大河:由良川は、再三にわたり大洪水を起こしてきた。この治水のため多く松の木が堤防沿いに移植され、また江戸時代初期に三重県の鳥羽から綾部に移封された初代九鬼藩主の九鬼隆季公もこの地に陣屋を設け(後に消失して現在の上野に九鬼館を設ける)松を植えた。
 美しい松並木が「並松町」の名の由来となったが、平成19年には松食い虫のため最後に残った二本も伐採されてしまった
川岸に枝が垂れ下がるのは「クロマツ」ではないだろうか
ここに掲載するのは平成15年頃撮影した最後の一本の写真である。川面に垂れ下がる枝が、水鏡となった綾部井堰の満々と湛える水面に姿を写し、素晴らしい一幅の絵になっている

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