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文化財研修記

兵庫県丹波市の有名な2月17・18の柏原厄除神社大祭

兵庫県丹波市柏原町には有名な柏原(かいばら)八幡神社とその境内社で有名な柏原厄除神社がある。この八幡神社はうっそうと生い茂る入船山の頂上ある。この神社は岩清水八幡宮の「柏原別宮」とも称されており、6メートルある兵庫県指定文化財の「木の芽橋(このケヤキの幹は6メートルを越え奥村川の欄干の下をくぐっている)」を渡り、大きな鳥居をくぐり数百段の石段を登り頂上へ向かうと社務所が最初に目立つ。社務所を出て更に上ると国の重要文化財の「拝殿」更に奥には同じく国の重要文化財の「本殿」がある。社殿は万寿元年(1024)に造営されたが、織田信長の丹波攻めの時、明智光秀の兵火で消失。現在の社殿は天正10年(1582)豊臣秀吉の命により家臣の堀尾吉晴が再建したものである。本殿の奥には兵庫県指定文化財の三重の塔があり応永年間(1467~69)に僧秀慶が創建したその後の兵火にあい、現在のものは文化12年(1815)に完成したものである。向かって左側の梵鐘は明智光秀が現丹波市氷上町の高山寺から取り寄せたもので康応元年(1389)の銘がある。この八幡神社の境内社は厄除神社、住吉神社、春日神社、香良神社があり、厄除神社は毎年2月17日と18日が厄除神社の大祭で数万人もの人達が参拝するので有名である。尚、江戸時代柏原織田藩(織田信長子孫)は綾部市に飛地を」有していたので綾部とも大いに関係があった。を本年18日(もく)大変良い天候であったので家内の運転でお参りと取材に行ってきた。
県指定文化財の「大ケヤキ」
1.県指定文化財の「大ケヤキ」樹高22メートル、幹周6メートル、根は6メートルの奥村川を越えている。後ろは露天商
柏原八幡神社の大鳥居と石段
2.柏原八幡神社の大鳥居と石段
鳥居前の広場と木の芽橋
3.石段から鳥居前の広場と木の芽橋を見る
柏原八幡神社の拝殿(国の重文)
4.柏原八幡神社の拝殿(国の重文)後に三重の塔が見える
本殿側面の彫刻
5.見事な本殿側面の彫刻
厄除神社
6.厄除神社(大勢の人々が順序良く列をつくってお参りです)
神官よりは破魔矢セットを受けとる
7.破魔矢のセットを購入し、購入券と交換に神官よりは破魔矢セットを受けとる人々
三重塔
8.三重塔(左側に鐘楼が見える)
甘酒と本殿裏側
9.無料サービスの甘酒と本殿裏側を見る
三つ打って厄を逃れる「梵鐘」
10.三つ打って厄を逃れる「梵鐘」大行列であり諦めた!
巫女さんの厄除けの舞い
11.舞台で巫女さんの厄除けの舞いとお祓いがあった!

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綾部の文化財

戦国時代の遠見番所・釈杖ケ岳3

当初の予定日が綾部市市長選挙公示日と重なったため2週間の延期となった。自宅を出たときはフロントガラスに雨滴がついたが西原に着くと雨は振っていなかった。それでも傘を持って山に上がる。55名の熱心な参加者が集まっておられた。
正光神社全景
登山口、集合場所の正光神社全景
釈杖ケ岳
釈杖ケ岳・戦国時代の遠見番所は左(西)端
山家今昔写真の会:有道大作会長
挨拶される主催の山家今昔写真の会:有道大作会長
川端二三三郎先生
今日の歴史解説者:川端二三三郎先生(綾部史談会副会長)
地元西原町の役員
地元西原町の役員から歓迎と説明
正光神社での集合写真55名
出発前の正光神社での集合写真55名(4~84才)写真をクリック拡大してご覧ください
登山道の急坂を登る
落ち葉が厚く積もった狭い登山道の急坂を登る
山腹の愛宕神社で一休み
山腹の愛宕神社で一休み
愛宕神社からの景観を楽しむ
愛宕神社からの景観を楽しむ
雑木林の尾根道を進む
気持ちよい雑木林の尾根道を進む
上り詰めた川端先生たち
頂上手前に上り詰めた川端先生たち
釈杖ケ岳からの西の展望を楽しむ
釈杖ケ岳からの西の展望を楽しむ
眼下の西原町の写真を撮る
釈杖ケ岳から眼下の西原町の写真を撮る人たち
由良川流域に沿って開ける展望
釈杖ケ岳から西に由良川流域に沿って開ける展望を楽しむ
川端二三三郎先生の釈杖ケ岳城のお話し
川端二三三郎先生(綾部史談会副会長)の釈杖ケ岳城、由良川流域に割拠する城と戦乱のお話し
遠見番所(釈杖ケ岳城跡)での集合写真
遠見番所(釈杖ケ岳城跡)での集合写真 クリック拡大してご覧ください
終わりのあいさつ
終わりのあいさつ

釈丈ケ嶽城
所在地・綾部市西原町 字名は釈丈ケ嶽 標高2 7 1m
コース・麓の正光神社の登山口から中腹の愛宕神社を経て尾根にとりつき、すこし西走すれば突端の山頂に着く。行程1Km、約40分。
   ・西方の共同墓地付近からの道もあります。
現 況・主郭18×10m 中央北寄りに秋葉神社の祠跡(基壇)
   ・帯郭(おびぐるわ)4~7m幅の郭が主郭の北・西・南を囲む。段差約50cm
   ・三の郭 西方の尾根筋に3m幅の郭。段差約50cm
        小規模ではあるが、三段構えの砦跡であることが確認できます。
    西方の綾部・福知山盆地の眺望は抜群です。

参考文献
・丹波負笈録(天明年間-1780年代-の何鹿郡の地誌)
 西村氏子孫  西原村中地ト云所
先祖伊像豊後土佐三人兄弟アリ 古屋敷一町斗 四方堀 今ハ八間ノ長池
此内薮也 地頭入組ノ薮ナリ 古ヘハ東ト西ノ小谷限り一構二追々堀アリ
小谷 今ハ田地也 是§卸斟聡ま浦山L↓目差謳城iH辰 出張副題嘱
三人三軒ニ分テ百姓ト成子孫二十軒斗 紋ツルカタバミ ケンカタバミ
・西村家文書(綾部市史史料編 所収)
 天正5年(1577)の刑部大夫の知行宛行状および坪付

周辺の城郭
・添付の城郭分布図によって近隣の城郭の位置を確かめて下さい。
・鷹栖町で最近発見した山城
 秋葉山砦 約10×7m 郭 3段 尾根の東西を切り構築、中央に秋葉神社の祠がある。小規模な砦
 中腹の尾根       郭 1段
 猪才山山頂 20×20m 郭 2段 東北隅に関西電力鉄塔
 鷹栖山を中心とした城塞群の存在が予想されるが、全体像はまだ把握できていません。
 
綾部市域では戦国時代から近世にかけて大小合わせて70近くの城塞・城館の存在が知られています。ところが、山家地域ではこれまで甲ケ峯城と山家城の2つだけしか確認出来ていませんでした。城砦が少ないのは地域の中央を貫流する由良川とその南北に連なる山嶺など地形の然らしめるところと見られていましたが、実際に尾根を歩いてみると各所に砦らしきものが存在します。
 これらを丹念に踏破して城にまつわる武勇伝や哀話を聞き取り、近隣地域との繋がりについて考えてみるのも楽しいことです。(文責 川端二三三郎)
70ケ所ある綾部市内城館分布図
70ケ所ある綾部市内城館分布図

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綾部の文化財

戦国時代の遠見番所・釈杖ケ岳2

2週間前の1月17日(日)1時30分がこの遠見番所行の予定日であったが、綾部市長選挙公示日初日と重なり、西原公会堂に行くと奥に入る三叉路に主催の山家今昔写真の会:有道大作会長さんなど3名の方が立っておられ、31日に延期とのことであった。
 過日参加しお世話になった綾部の文化財日誌の記事、「歴史街道浪漫「横峠越え」に参加」のプリントを差し上げ話していると、四方市長と候補者が車を止められ神宮寺も今夜初日の演説会ありとのお知らせをいただいた。西原公会堂でも会合がある様子であった。
 「釈杖ケ岳は、西原町と味方町の間にある小高い山です。戦国時代には遠見番所があった釈杖ケ岳の西方には、その眺めをさえぎるものが全くありません。眼下には綾部から福知山に広がる東西約14Km、南北約1.5Kmの福知山盆地が・・」とあるので、400mm望遠(デジタルカメラ500mm相当)レンズと三脚を持って上がり福知山城天守閣を撮ろうと考えた。
 明日は天候悪化との予報で急遽、四方續夫事務局長宅でのSPAMメール処理を修復した後、西原に向かった。
由良川流域が一望
眼下の綾部市街から西、福知山方面にかけ由良川流域が一望できる。
全ての写真が望遠撮影です(写真をクリック拡大してご覧ください)
大本本宮山、綾部小学校など綾部市街地
大本本宮山、綾部小学校など綾部市街地
赤いJR鉄橋の向こうに広がるグンゼ工場
由良川に架かる赤いJR鉄橋の向こうに広がるグンゼ工場など
白瀬橋(中央)と位田橋(左)
由良川に架かる白瀬橋(中央)と位田橋(左)
私市円山古墳にわたる舞鶴高速道路陸橋
右にある私市円山古墳にわたる舞鶴高速道路陸橋
福知山盆地の一部か
最遠地の望遠写真 福知山盆地の一部か?低い丘陵に遮られ高津八幡山城跡あたりからなら見える由良川に架かる音無瀬橋のアーチ(バスケットハンドル型ニールセン・ローゼ橋)が見えない。
望遠写真撮影には、やはり朝の空気の澄んだ好条件が必要で、正午では靄っていて大江山連峰なども霞んでいて鮮明に撮れなかった
GPSルートマップ
GPSルートマップ

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