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文化財研修記

恐竜の道に思う

綾部のシルバースキークラブ銀嶺会18名で岐阜県奥美濃の石鉄白(いとしろ)へ2泊3日のスキーツァに行った
チャーターしたマイクロバスは北陸高速自動車道の福井インターで降り、九頭竜川を遡る国道158号線:美濃街道を走り、九頭竜湖駅についた。
JRの越美線は、工事が中断して九頭竜湖駅が越美北線(九頭竜線)の終着駅である。
国道158号線:美濃街道は、恐竜街道と呼ばれている。

道の駅:九頭竜湖で「恐竜街道」
道の駅:九頭竜湖で「恐竜街道」と書かれ、大きな「恐竜の足跡」が記された看板を見た。帰りも同じコースを戻り、その車中、隣席のFさんに中世期代の恐竜の棲む地形は、どんなのだったろうか?と話した。
動く恐竜:親子のティラノザウルス
道の駅:九頭竜湖駅には、動く恐竜:親子のティラノザウルスがあり人気を集めている由、冬季は冬眠中で見られなかった(積雪避けのため解体されている)
この和泉村にも手取層が分布していて中世代の化石が発掘され、2つの恐竜の足印化石が発見されている。

九頭竜川の源流を遡る美濃街道(恐竜街道)
白山主峰から別山・・の白山連峰を南下して石徹白登山口に至る秘境:福井県・岐阜県の県境。
更に南下すると県境の越美トンネルの上にある分水嶺:油坂峠に至る。ここに端を発する九頭竜川の源流を堰き止めた九頭竜ダム(以前は長野ダムと云い日本で3番目に大きく高さ128mのロックフィル式のダム)がある。支流の石徹白川はその下流で合流するが、冬季は石徹白越えの道(岐阜県道・福井県道127号白山中居神社朝日線)は閉ざされ、白鳥経由で飛騨街道に出て石徹白に入る。
福井県から九頭竜川の源流を遡る美濃街道(恐竜街道)、九頭竜湖から岐阜県に入り、白鳥の飛騨街道から石徹白に至る一帯のマップ

九頭竜川の峻険な谷沿いをバスは走り、大野盆地、勝山盆地、福井平野へと開けていった。こんな峻険な山岳地帯の地形では恐竜の棲息は無理で、広大な湿地帯であったのではないだろうか、その時代には日本列島はすでに大陸から分離していたのだろうかなどと考えながら、北陸高速道の福井インターについた。

一昨年、白山白峰温泉から手取湖畔を通り、瀬女スキー場にいったが、湖畔に大きな恐竜の塑像が見えた。そこも恐竜化石発見の場所である。福井県一帯に分布する手取層群から、福井竜(フクイサウルス・テトリエンシス)や北谷竜(フクイラプトル・キタダニエンシス)などの恐竜化石が発見されている

恐竜のことを考えながら恐竜街道(国道157号線:美濃街道)を走り自宅に帰ると、「恐竜絶滅、原因は小惑星 国際チーム結論」のトップニュースが報じられていた。

「恐竜絶滅、原因は小惑星
>白亜紀末にあたる約6550万年前の恐竜の絶滅の原因はやはり小惑星の衝突だった。
小惑星は直径15キロほどで、毎秒20キロの速さで当時は海だったユカタン半島にぶつかったと推定された。衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍に相当し、衝撃波と熱線が走り、マグニチュード11以上の地震と、高さ300メートルの津波が起きたとみられる。1千億~5千億トンの硫酸塩やすすが大気中に放出されて太陽光を遮り、酸性雨や寒冷化を引き起こし、植物プランクトンの光合成が長期間停止するなど生物の約6割が絶滅したとみられる。1億5千万年以上続いた恐竜時代はここで終わったとしている。

先ほど南米チリで起きた巨大地震M8.8による津波が日本で3mと予報され、実際は1m程度だったので過大予想と非難された。津波警報、注意報に応じて避難した人が少なかったことや、小さいと自己判断して避難先から戻った人、津波は第一波のあとも何回も来襲して警報解除が遅れたこと、それでも津波被害総額は過去3番目の14億円になったと報道されていた。

恐竜を絶滅させた小惑星の衝突による地震M11以上、高さ300mの津波の来襲は、恐竜天国だった日本列島裏側の手取層にどんな影響を及ぼしたのか想像すると興味が尽きない。

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文化財研修記

「義経の道」 岐阜県奥美濃石徹白にて

綾部のシルバースキークラブ銀嶺会一行18名で岐阜県奥美濃のスキー場に2泊3日のスキーツァに行ってきました(詳細はここをクリックください)
白山連峰の南になる石徹白(いとしろ)は、白山に登る一番長い登山コースで、冬には屈指の豪雪地帯なので、数多くのスキー場が開かれています。

ウィングヒル白鳥リゾート・スキー場のセンターハウス入り口に「義経の道」由来が展示されていましたので紹介いたします。

白山禅定道 「義経の道」由来

白山禅定道 「義経の道」由来
義経のわずか31年の生涯について、もっとも正確と考えられる資料は、鎌倉幕府の公用日記「吾妻鏡」や九条兼実の「玉葉」などがありますが、兄頼朝の怒りを買い、追われる身となった文治2年11月に頼朝の強硬な抗議文が都で披露されて以来、平泉に現れるまで義経の消息は完全に途絶えた。

 平泉に向け逃亡した義経の足取りは未だ解らず、諸説取りざたされていますが、吾妻鏡には「文治3年2月10日(1187)に義経は山伏姿で隠れ家を出て、伊勢、美濃を経て奥州へ赴く。文治3年3月8日に義経をかくまっていたとされる興福寺の僧侶 聖弘得業が頼朝と対面し、義経を伊賀へ送った」と記載されており、義経は伊賀より美濃・白山を経て奥州へ向かったとされております。

 しかし美濃までの経路についても諸説がありますし、長滝から桧峠までの道についても、修験道説と禅定道説・白山古道がありますが、桧峠より国境の宿を経て、一之瀬の宮を通り、石徹白に至る道は、修験道、禅定道、白山古道も同じ所を通っており、ここを義経一行が通ったということは異論がないので、この区間を古老の話などを頼りに、このたび復元し「義経の道」と命名しました。
案内が添えられた模型
上記案内が添えられた模型

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綾部の文化財

紅白の梅を愛でながら綾部采女稲荷初午大祭賑わう

3月7日日曜日、雨上がりのひと時を綾部八幡宮の采女稲荷初午大祭に参拝した
瓢箪池にさく白梅、紅梅
綾部八幡宮の瓢箪池にさく白梅、紅梅も清清しい
氏子代表の方々の参拝
氏子代表の方々の参拝が行われていた
ご挨拶される奈島正倫宮司さま
ご挨拶される奈島正倫宮司さま
紅い提灯で飾られた采女稲荷境内
紅い提灯で飾られた采女稲荷境内
神饌が供えられた采女稲荷祭壇
神饌が供えられた采女稲荷祭壇
鳥居の柱列の中で儀式を行われる奈島正倫宮司さま
鳥居の柱列の中で儀式を行われる奈島正倫宮司さま
賑わうおぜんざいの接待
賑わうおぜんざいの接待
福引も豪華賞品が・・
福引も豪華賞品が・・
こども連れの参拝で賑わう八幡宮拝殿
こども連れの参拝で賑わう八幡宮拝殿
参拝者で賑わう境内
参拝者で賑わう境内

過去の記事はこちらをクリックしてご覧ください
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/399.html


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