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文化財研修記

平城遷都1300年祭を見る。その4.平城京跡その2

延暦3年(784)に桓武天皇が山背国(やましろのくに)長岡京市に遷都するまで7代70年余にわたり都として栄えた平城京は、東西5.9キロメートル、南北約4.8キロメートルに及ぶ大都城で,唐の長安を模し,奈良盆地を南北に貫通する古代の三本の幹線道路を利用して都城の計画がなされており、うち下ッ道(しもつみち)をメインストリートの朱雀大路「(すじゃくおおじ)二条大路南の部分は部分は国史跡」とした。平城宮跡(国特別史跡)天皇は北の大極殿の玉座から南を見て、朱雀大路の左手側を左京、右手側を右京と呼ばれた。更に東の部分に外京が設けられた。京内は東西に9条、南北には左右に各4坊の大路が設けられ碁盤の目のように区画された。平城宮は東西1.3キロメートル、南北約1キロメートルである。その様子は今の京都市(平安京)がよりわかりやすい。この平城京の南はずーと開けており、そこにはこの平城京よりも大きな藤原京跡がある。大和三山の1つ畝傍山(うねびやま)の南側である。

平城宮跡ツアーイラストマップ
1.平城宮跡ツアーイラストマップ(1時間30分コースでNO.1からNO。5明日イを廻ってみて廻るコースに参加した。
遣唐使船復元展示
2.遣唐使船復元展示(長さ30メートル、幅10メートル、帆柱は15メートルであった。正使はもっとも揺れの少ない最後部の建物の中に居住した)
遣唐使船の後部(正使・副使の建物)
3.遣唐使船の後部(船上の正使・副使の建物)
朱雀門と現「イトーヨーカ堂」で「長屋王邸宅跡」
4.朱雀門と左手奥の白い建物が現「イトーヨーカ堂」でここが「長屋王邸宅跡」です
朱雀門横の塀
5.朱雀門横のこのような塀が平城京の周りを囲んでいた
朱雀門
6.朱雀門(すじゃくもん)は平城宮の南側に位置し、四神(しじん)と呼ばれる、天の四方を守る神のうち、南を守る神、朱雀に由来している。屋根の両側には黄金の巨大な「し尾(しび)」が見える。柱は直径75センチメートルのものが18本でこの門は維持されてきた。2010年に復元が完成した大極殿の柱はもはやこのような巨木がなく直径70センメートルです
朱雀門から朱雀大路(国史跡)を見る
7.朱雀門から朱雀大路幅75メートル(国史跡)を見る。その南の奥に平城京入り口の門「羅城門(らじょうもん)」があった
第一次大極殿
8.近鉄大阪奈良線を越えて「第一次大極殿(だいいちじだいごくでん)へ歩く!

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ジャンル : 学問・文化・芸術

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