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文化財研修記

飛鳥の国宝と文化財を訪ねて4 岡寺

綾部の文化財を守る会の研修旅行、「石舞台古墳」見学のあとは再び2台のバスに乗り、西国三十三所第七番札所・東光山龍蓋寺:真言宗・岡寺にやってきた。
先ず朱塗りの「仁王門」(国重文)の石段に並び号車毎に記念写真を撮影する

西国札所と岡寺(龍蓋寺)
 観音様の御名を呼べば観音様は三十三の化身により衆生を救済されるとの信仰のもとに、西国三十三所観音霊場巡りが盛んになってから約一千年の歴史がある。
 岡寺はその前から観音霊場として栄え、創建以来「熱祷千三百有余年」常に大衆の幸せを願ってきた。
 岡寺の石の鳥居を通リ坂道を五百メートルばかり、ゆっくり登ると朱塗りの「仁王門」(国重文)石段を左側へ登ると広い境内にでる。此処には南面した本堂・開山堂・書院・本坊・楼門・観音堂などが不規則に建つ

岡寺にて
重文・仁王門
岡寺にて
仁王門を入ると4班に分かれた92名の会員がボランティア・ガイドさんの説明を聴講中で混んでいた
岡寺にて
本堂へ登る石段手前の地蔵菩薩(室町時代)
岡寺にて
(熱祷千三百年)創建の伝説と義淵僧正
天智天皇二年(663草草)草壁皇子のお住みになっていた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜され、創建1300余年の歴史を持っている。このため本尊や義淵僧正像など国宝、重文七件のほか多数の宝物がある
岡寺にて
義淵僧正は奈良東大寺の基を開いた良弁僧正や菩薩と仰がれた行基、その他奈良時代の仏教を興隆した多くの先駆者の師として知られている。また「扶桑略記」(平安時代の史書)によると、義淵僧正の父母は子宝を観音に祈った。その結果生まれたのが義淵。この有り難い話を聞かれた天智天皇が岡の宮で義淵を草壁皇子と共にお育てになった
岡寺にて
本尊・如意輪観音像(重文)は我が国最大の塑像で、如意輪観音像としては最古の作品。インド、中国、日本3国の土で弘法大師が造られた尊像に向かい手を合わす。

注)塑像胎内に一本の心木があり銅線で芯を造り、麻布や雲母の入った仕上げ土で固めて創ったものです
岡寺にて
納経所も会員で混んでいる
岡寺にて
厄除け信仰と龍蓋寺:義淵僧正は優れた法力の持主でもあった。その頃、この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいた。義淵僧正はその悪龍を法力によって小池に封じ込め、大石で蓋をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺」の原点となっており、本堂前に「龍蓋池」が今もある。

 こうした伝説は「災いを取り除く」信仰に発展、密教の普及と共に鎌倉時代には「二月(現在三月)初午の日に必ず岡寺に参詣した」という「水鏡」の記録もあるほどで、それまでの観音信仰に厄除け信仰が加わり、日本最初の厄除け霊場が形成された
岡寺にて
仏足石など見ながら奥の院に向かって石段を上り詰めると稲荷社があった
岡寺にて
右手山際に奥の院・石窟
岡寺にて
下りてくると十三重石塔が立つ
岡寺にて
「岡寺の三重宝塔」:文明四年(1422)台風により倒壊し、実に五百余年ぶりに昭和61年秋、弘法大師記念事業として再建されたものです。ここから明日香の広がりを観望
岡寺にて
大師堂よこから石段を下り仁王門に戻る
岡寺にて
史跡:岡寺跡 創建当初の伽藍は仁王門の西方、ここ治田神社境内地にあったと考えられている。・・

テーマ : 神社仏閣
ジャンル : 学問・文化・芸術

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