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文化財研修記

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その5.大織冠・藤原鎌足を祀る談林神社その1

奈良県桜井市のJR桜井駅かの南方に広がる山麓一帯を多武峯(とうのみね)と呼ぶが、談林神社はその山頂(標高608メートル)付近にある。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社である。建物の多くはあでやかな朱色に彩しられ、春はサクラ、秋は紅葉覆われている。いわば関西の日光であるとも言われている。多武峯の駐車場から天を突く杉の木立が続くが是が参道である。談林神社は明治の廃仏毀釈で神社になる前は、多武峯寺、多武峯と称する寺院であった。参道入口には江戸時代の両袖付きの高麗門である東大門があり、門の手前に「女人堂道」と記した石標がたっており、多武峯は女人禁制であったことを示している。舒明・皇極二代の天皇の世、曽我蝦夷と入鹿の勢力は強まり、国の政治を欲しいままにしていた。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足)は強い意志で国家のあり方を考えておりました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で聡明な皇太子と知られていた中大兄皇子の蹴鞠の靴をひろい見しりあっていた中大兄皇子と西暦645年の5月二人は多武峯の山中に登り、「大化の改新」の談合を行ったのです。後にこ野山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び談林神社の社号の起こりとなりました。鎌足は天智天皇(元、中大兄皇子)の元で日本を世界に誇る国家にするため一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)鎌足公病床の時、大織冠(だいしょくかん)を授け内大臣に任じ藤原の姓を与え、ここに藤原の姓が始まったのです。鎌足没後、長男の定慧和尚は留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峯に墓を移し、十三重塔を建てました。大宝元年(701)に神殿が創建され、鎌足公の御神像を祀り今日に至ります。

1.談林神社周辺マップ
藤原鎌足を祀る談林神社にて

2.談林神社全景
藤原鎌足を祀る談林神社にて

3.旧別格官幣社「談林神社」
藤原鎌足を祀る談林神社にて

4.鳥居と140段の石段
藤原鎌足を祀る談林神社にて

5.途中から左側へ向い入山して行く
藤原鎌足を祀る談林神社にて

6.国重文の総社本殿(江戸時代)
藤原鎌足を祀る談林神社にて

7.国重文の定慧和尚が創建した「閼伽井屋(あかいや)」創建時、この井戸から龍がでたといわれている。(江戸時代)
藤原鎌足を祀る談林神社にて

8.国重文の「神廟拝所」(元、講堂)
藤原鎌足を祀る談林神社にて

9.大和七福八宝「福禄寿大師」毎年1月3日大祭が行われます
藤原鎌足を祀る談林神社にて

10.神廟拝所入口から十三重塔を見る。この前の広場は「けまりの広場」と呼ばれ毎年4月29日(祝)「春のけまり祭」11月3日に「けまり祭」が行われます
藤原鎌足を祀る談林神社にて


<11.国重文の神廟拝所への入口a href="https://blog-imgs-48-origin.fc2.com/a/y/a/ayabebunkazai/1278390948.jpg" target="_blank">藤原鎌足を祀る談林神社にて

12.如意輪観音坐像
藤原鎌足を祀る談林神社にて

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