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綾部の文化財

歴史と伝統の神事!!第312回水無月大祭が7月28日熊野新宮神社で盛大に催された!

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」並松町には歴史と伝統の神事を誇る「熊野新宮神社」がある。当神社発行の「御由緒略記」によれば元禄七甲戌歳(1694)と記された熊野新宮神社に関する社記によれば、「丹波国何鹿郡綾部庄新宮之神社ハ熊野権現ニテ座シマス。スナワチ、此ノ所住者平氏小松三位中将重盛卿ノ領地タルニヨリ彼ノ卿、熊野権現ヲ信仰シテ此ノ所ニ三熊野ヲ勧請シ不時ノ詣ヲナサマクオボシテ景地ノ浄キ所ヲ選ビ給ウニ、此ノ所心ニ叶ヒケルニヤ宮造リマシテ敬ヒ給フ旧跡トカヤ・・・」と書き起され、続いて「本宮トイウ山ノフモトニ新宮ノ社アリ,南ニ那智トイウ所アリ、是熊野ノ三山ヲ移シ給フ跡ナリ」と記されています。此の古記録から見れば、当社創立由緒は平氏の熊野信仰からくる種々なる伝承の影響に依ったものと思われます。即ち、中世は宗教の時代であったといわれるるように、天皇を頂点とする公家、貴族武士階級たちは勿論、多くの人々の中にも次第に熊野への信仰が普及し旺になって参りました。まさに「蟻の戸わたり」といわれたように「熊野詣」の人々がひしめき合い乍ら「熊野三山詣」をする程白熱化した時代でした。ちなみに白河上皇は10度、後白河上皇は34度、後鳥羽上皇は31度と当時の不便な交通事情の中で之は驚くべき参詣ぶりです。当然平家の公達(きんだち)の帰依も篤く清盛、重盛父子共々4度も詣でて平家の繁栄と武運の長久を祈願したことでしょう。扨て、平氏が丹波の国司としてお治めたのは天禄3年(972)で、平将門の乱を平定した平貞盛の名が初見されます。その後、平治の乱(1159)後、源氏の者を一掃し権勢をほしいままにし,特に京都に近い畿内、北陸の地に平家の荘園を拡大しました。平重盛は永万元年(1165)に丹波の知行国司となり、天橋立の景勝を愛して社中に館を置き(天橋記)又、綾部にも所領を得て治承年間(1177~1179)此の地巡遊し、由良川に臨んだ並松の佳景が平氏の尊崇する熊野の地に似ているので、ここに那智山の正歴寺、本宮山の東麓に熊の神社、熊野新宮神社を勧請したと伝えられています。(注、古代の丹波は但馬国、丹後国が含まれた強大な国でした。)綾部の地名の中に本宮山、本宮、新宮等々とあるのはその名残といわれています。尚、正暦寺の一祠には鎌倉時代の作といわれている那智の本地仏千手観音像があり、それによって熊野信仰を偲ぶことができます。伝承によれば本宮山の東麓にあった熊野本宮社を寛文10年(1670)時の初代綾部藩主九鬼隆
李(たかすえ)公が今の地に移築したと言われています。歴代の藩主も熊野新宮社への信仰も篤く、熊野神社への奉納記録も数々残っています

1.午前9時20分:「熊野新宮神社」祭事準備中
水無月大祭が熊野新宮神社で

2.ボツボツご来賓がご光来です!
水無月大祭が熊野新宮神社で

3.社務所内の床の間の正面には大本教の出口王仁三郎聖師様の「歌碑の拓本の掛軸」が祀られています。歌碑はこの神社境内にあるので次に掲載します。又、左側の「二羽のカラス」の本物の掛軸は「年代は記されてないが、熊野本宮大社宮司・熊野別當第三四世九鬼宗隆(くきむねたか)。九鬼宗隆氏は元綾部九鬼藩々主の末裔で前代の宮司様でお墓は綾部の隆興寺にあります
水無月大祭が熊野新宮神社で

4.境内の出口王仁三郎聖師様の歌碑「神の子の真心ささけて拡めたる 御苑清かしも石の玉垣 苔生して神さひ立てるときわ木の 松にしるけし水無月の宮 大正十年一月建立」
水無月大祭が熊野新宮神社で

5.午前10時:綾部太鼓保存会による「奉納太鼓」
水無月大祭が熊野新宮神社で

6.出口孝樹宮司様、徳重善国禰宜、岡本二郎権禰宜の三名の祭員のお清めの水!
水無月大祭が熊野新宮神社で

7.出口宮司様達祭員3名は「祓所」へ向われる!
水無月大祭が熊野新宮神社で

8.「祓所での修祓」その1
水無月大祭が熊野新宮神社で

9.同上 その2
水無月大祭が熊野新宮神社で

10.参列者への「修祓」
水無月大祭が熊野新宮神社で

11.拝殿内の所定の位置に着き、宮司一拝の後、祭員が「神饌(しんせん=神様の食事)」お供えする
水無月大祭が熊野新宮神社で

12.祭員から宮司様へ「「水無月大祭の祝詞」が渡される!
水無月大祭が熊野新宮神社で

13.宮司「水無月大祭祝詞」「平和祈願」奉上
水無月大祭が熊野新宮神社で

14.宮司玉串奉上
水無月大祭が熊野新宮神社で

15.ご来賓のトップで玉串奉上は山崎善也綾部市長様です
水無月大祭が熊野新宮神社で

16.多数のご来賓があり、それぞれ玉串奉上されましたが、投稿写真の数の関係上もう一人「式内社・高倉神社宮司四方幸則氏」です
水無月大祭が熊野新宮神社で

17.祭員が「神饌」を徹し、出口宮司一拝
水無月大祭が熊野新宮神社で

18.神事終了後、熊野新宮神社・水無月神社・水無月大祭の云われや、平和の大切さ等を刻々と訴えられた!
水無月大祭が熊野新宮神社で

19.ご来賓・参列者を見送りされる出口孝樹宮司様
水無月大祭が熊野新宮神社で

20.直会(なおらい、昔は神事が終わった後、社務所でお酒と肴で現世へ戻るなおらいをしたものです。今は略式で杯で神酒と肴は雑魚の干物です)
水無月大祭が熊野新宮神社で

出口王仁三郎聖師様の「大本」のホームページは下記をクリックして見て下さい。
http://www.oomoto.or.jp/Japanese/jpSeic/baishoguide.html

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