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綾部の文化財

綾部の文化財ミニ・シアター8 阿須々岐神社の御年貢

綾部市総合文化祭参加の「綾部の文化財ミニ・シアター」3日目:11月4日(木)第8番目のイベントは1:30から、綾部市文化財を守る会ホームページ委員長が担当で行った。
テーマは「府登録無形民俗文化財:阿須々岐神社の祭礼芸能 1998年10月 金河内当番阿の御年貢(みねぐ)ー綾部市資料館提供

これは第5番目のイベントで梅垣正一幹事提供のビデオを使い取り上げたテーマと同じで、綾部市総合文化祭の最終日で早く終了するので、簡単にすませる予定でいた。ところが前日に再度「あやべ市民新聞」に紹介記事が大きく掲載され、この第8番目のイベントもPRしていただいたので、しっかり取り組むこととした。

しかしながら綾部市資料館提供のビデオの上映時間は短いので、急遽思い立って人集めを兼ねて、1:00から「冊子:丹の国・綾部」から作成したホームページを用いて話題を追加した。

歴史門外漢の私が綾部の文化財を守る会で、このイベントに協力している経緯

一昨日の「島萬神社の芸能祭礼」の紹介の中でまた、昨日の「阿須々岐神社の御年貢」の紹介の中で、私が初めてこれらの行事を知るきっかけになった「冊子:丹の国・綾部」を紹介しました。

綾部の文化財ミニ・シアター 丹の国綾部事始
冊子:丹の国綾部 フォトグラフィ イン あやべ」より

繰り返しますと、昭和46年(1971)綾部青年会議所が創立15・認証10周年の記念事業で発刊した冊子で、当時大都会へ人口流出が激しく、山陰の地方都市:綾部は過疎化の大波に晒されていました。危機感をいだいた青年たちは「綾部の魅力再発見写真コンクール」を行い、集まった作品を全紙大の木枠パネルに仕立て、この市民センター中央ホールの周回廊下全周囲に並べ作品展を行いました。

 当時を振り返って編集部長:吉田藤治氏の回顧録をご覧ください。
 今は亡き賢人、塩見清毅さんのリ-ダ-シップの下、鍋師有、大槻高仁、高嶋善夫、故波多野穣、池田博之、吉田等が相集い、昼となく夜となく、綾部の再発見と明るい未来を目指して市内をくまなく廻り、市内の数え切れない方々と語らい、写真を撮り、神社仏閣、史跡、古文化財、山、川と出会い、物狂いのように活動したものでした。
 その間、数多の方々のお世話になり、心温まるおもてなしを受け、心交わせた時間を持つことが出来ましたし、私達もまた如何に勉強が足らないかを痛感したものでした。
 かように綾部青年会議所発足以来の綾部に対する熱い思いは、先輩諸氏の若者らしい活発なる諸事業の積み重ねという大きな財産の上に、芽から苗、若木へと成長し、「ふるさと綾部の再発見と明るい未来像を目指して」を一つの集大成として、「丹の国・綾部」2冊組が、丹の色の函に入った大冊として発刊されたのであります。
 この一見無謀とも云える事業は、当時の文化協会の皆様方、ことに山崎巌先生を始め歴史学者の先生方から、こういうアプロ-チもあるという一定の評価を頂き、日本青年会議所会頭賞にノミネ-トされるという栄誉に浴したのでした。
 その後、久木、平野など後輩諸氏の更なる活動の積み重ねにより、綾部市民憲章制定後の活動展開へと昇華して行ったのであります。

付記>「綾部市市民憲章推進協議会」の組織も立ち上げました。
 また各年度事業として、社寺を回った「丹の国バスツァー」、安国寺帰りに土砂降りの雨に遭った「丹の国サイクリング」、上林川岸で焼肉をして子供たちに振舞った「丹の国魚釣り大会」、君王山口から歩いた「光明寺二王門俳句登山」、大本弥勒殿前広場に舞台をつくり演奏会をした「丹の国ライブ」・・・など様々な市民参加行事を繰り広げました。
 これらの集大成として「丹の国祭り」が定着し、「子供花みこし丹の国パレード」など今日も続いております。またこの行事の実行のために「綾部市青少年育成連絡協議会」を立ち上げました。

 西町の中央にありました「三つ丸映画館」から出火全焼し、2階にあった青年会議所事務局(JCルーム)も類焼して、これらの写真パネル、冊子編集の原稿、資料など全てが灰燼になりました。
 今日残るのは、出版した「丹の国・綾部」2000冊のみで、今や幻の稀少本となっています。そのため当時の編集部員と相談し「ホームページ:丹の国・綾部」に転載してきたところです。

綾部の文化財ミニ・シアター 丹の国綾部事始

フォトグラフィ イン あやべ」は、パネルを作成して「綾部の魅力再発見写真コンクール」の作品と委嘱した市民写真家の方々の集大成です。昨日四方八洲男前市長が子供時代に椎の実拾いをされたと云われた禁足の聖地:本宮山の「大本・月山不二」の写真もあります。写真班長はメンバーの大槻高仁君でした。

プロローグ:燃えよ丹の国」は、15周年記念事業実行委員長の故塩見清毅氏の手になり、「丹の国」という言葉を初めて世に問い、今日「丹の国・・」として定着しました。「あおによし やまとまほろば・・」に対し、朝焼けの燃える丹色(あかによし)「丹波の夜明け」を謳っています。西方浄土(ニライカナイ)にも通ずる色です。

第一話:国津神のふるさと」は私が執筆しました。あとで若干話します。
第二話:民話・杵の宮伝説」は、故波多野穣君(波多野書店)が書きました。
第三話:足利尊氏とその周辺」は高島善夫君(綾部商工会議所)が纏めました。
第四話:九鬼氏と綾部の人々」は吉田藤治編集部長(綾部魚菜)の手になるものです。この中で、「古代より悠々と流れ、大地を潤し、時には氾濫して人々を恐れせしめ、また舟を通わせて他国の物産と情報を伝え、丹波ラインに並松に私達の心を和ませてくれる由良川は、綾部のことを次の様に語ってくれる。
 「出雲文化の土壌の上に大陸の文明が融和して高度な民力を養い、強力に流れ入る平安文化は更に伝統に磨きをかけ、足利尊氏を生んだ誇り高き里は、平和な二百三十年の九鬼氏の治世を経て、初めて郡是と大本による綾部ナショナリズムの第一の開花を見るのである」と。」の名文を書いています。
第五話:民衆の宗教・大本」は故中村潤君(大本)が資料からまとめました。
第六話:蚕都をきずいた人々」は池田博之君(日東精工企画室)が纏めました。

綾部の文化財ミニ・シアター 丹の国綾部事始

別話:未来都市の論理「ふるさと」の中で、故塩見清毅実行委員長は、
「日本海ベルト地帯の中心、日本列島の中心の近畿圏と重なる極めて枢要な位置、それ故にこそ真の意味の中心的な調和都市たり得る・・広域行政圏の構想が具体化したとしても、その中で割拠する個性偏向都市群(臨海工業都市、商業都市、農林業都市、内陸工業都市、観光都市等々)を、綾部はその調和性の故に求心的につなぐ中核都市として動きをなすに違いない・・」と未来予想を述べています。
エピローグ:終わりなき終わりに」は塩見清毅氏(マルエス)です。

冊子「丹の国・綾部」は2冊組で、「別冊:未来への対話-新しい生活圏の創造をめざして-」がついています。

綾部の文化財ミニ・シアター 丹の国綾部事始

内容は、対話のはじめに、対話1:農業について、対話2:工業について、対話3:商業について、対話4:観光について、対話5:住宅について、対話6:福祉について、対話7:交通について、別 話:宗教都市として、終わりの対話 と政治経済社会の全般を網羅します。現在項目のみ収録しています。
「工業について」は図表入りで、池田博之君(日東精工企画室)の労作です。

綾部の文化財ミニ・シアター 丹の国綾部事始


「別話:宗教都市として」
は、大本の故出口栄二先生の寄稿です。ホームページに転載後、先生にコピーを差し上げると、丁寧に加筆修正いただいております。

残りの対話は、綾部青年会議所のメンバーの論議や当時の文献資料を集めて全て私が書き上げました。「Q&Aの対話形式」としたのは、一人で「問題提起」をして「その指針」を書く「論調形式」が難しく、問題が多岐にわたり、長短も激しいので、「自問自答のQ&A形式」にしました。

この応用で昨日の「前綾部市長:四方八洲男氏とのトーク・ショウ」もお願いし、お話の補足もあらかじめ用意しました。

この「冊子:丹の国・綾部」編集の無理が祟って、塩見清毅、吉田藤治、私の3名が病気になり(私は真直ぐ歩けないメニュエール氏病)、しばらく3人で大本の針治療に通いました。

綾部の文化財ミニ・シアター 丹の国綾部事始

丹の国・綾部 第一話:国津神のふるさと
 こころのふるさとというとき、私達日本人は何か自然に宿る神秘なもの、精神的なものの存在にそれを見出すのではないだろうか。

 それは古代日本人より受け継がれて来た山、石、水、火、太陽などに宿る神々への信仰にはじまり、庶民の生活に根づいた道祖神、土産神、あるいは、恋し冒険し土の臭いのする八百万の国つ神々への信仰の中になお強く感じられる。

 又それは今日になお細々と、しかし根強く伝承されて来た庶民の生活の喜び、悲しみ、怖れなどの感情を歌いあげたお祭り、祝事、神事、伝説、神話などに接するとき、又村々の古びた宮社などに接したとき、私達の心によみがえってくる郷愁でもある。

 もちろんそれは、日本を統一した皇祖神の天つ神々の信仰、そして外国より伝来した仏教、儒教などの経典、仏像、寺院などの中にもあるが、それらは歴史の中で政治の主流として、余りにも形式化されてしまったように思える。

 それは今日の物質的西洋文明の合理主義に偏し進んで来た社会。機械化、情報化、非人間化、人間疎外、過密、公害、享楽的なレジャ-、低俗な精神文明などの洪水の中であえいでいる私達の心に、それら日本古来のものは、心のふるさととして、何かひっそりと、しかも高まる情緒をもって語りかけて来るのである。
<中略>

 そしてここ日本のふるさと、日本人の心のふるさとである丹波(たんば)、何鹿(いかるが)の里、綾部の歴史を回想しながら、この地を逍遙するとき、私達はいたるところでふるさとを発見し、昔(いにしえ)の日本人の大らかな心に感銘を覚える時間が持てる。

 綾部地方は、非常に古くから人が住みつき開けていった。ここは日本のほぼ中央に位置し近畿の北の玄関口といえる日本列島最大屈曲部をなす入り江である若狭舞鶴湾に背面して立地している。
 
 丹波綾部には、帰化人文化の集積と、蚕糸業の隆盛による経済力を背景として、当時地方には稀な寺院建築が行われ、美しい仏教芸術を伴う七堂伽藍の大寺であったと伝えられる、綾中廃寺趾などがそれと思える。

 更に六世紀末、政治の革新に当たり聖徳太子は、仏教政策をもって日本統一の絆となしたが、丹波綾部には、太子の開設と伝えられる君王山光明寺がある。
 また当地を何鹿(いかるが)と呼ぶのも仏典によると伝える。

 綾部には、奈良時代に設立された寺院は数多い。僧行基の開設によるものとして高源寺、普門院、日円寺、西照寺、東照寺があり、林聖上人の開基によるという楞厳(りょうごん)寺など、今日に残る由緒ある寺院が多い。

 また仏教寺院の建設に刺激され、それまで自然物崇拝、あるいは神木、神柱の崇拝だった神々についても神社建築が行われるようになった。
 丹波綾部には、阿須々岐(あすすぎ)神社(和銅六年改祭)、島万神社(天平九年建立)などあり、以後平安時代にかけて無数の天つ神、国つ神々を祭る神社などが建立せられた。

 そして綾部は、この民衆の信仰、国津神々への祈りを基調として、日本神道、仏教、儒教思想などを総合調和し、その思想をもって今日の人間に、世界に問いかけ話しかける、平和宗教、大本を生み出した聖地として、未来に生きつづける心のふるさとである。

 綾部を散策するとき、幾多の古びた神社仏閣が、素朴な石仏達が、のどかな美しい山陰の自然の中にあり、昔の日本人の思考に私達を誘いかけるように静かな姿を見せてくれている。

 美しく目に映える青い田畑の中、新緑の山麓の中、乱れ咲く野の花々、薄紫の山つつじの花、桜、紅葉、白雪の自然に囲まれ、さえずる野鳥の声に包まれて建つ、その姿は、ふるさとの風情そのものである。

さて私の書いた「丹の国・綾部 第一話:国津神のふるさと」ですが、
 昭和46年に当時34才であった私が、冊子「丹の国・綾部」の「ふるさとへの回帰とその未来」に取り組むべく、編集部の1員として、塩見清毅、吉田藤治さんの両先輩と連れだって、資料収集のために、綾部町史の編纂者の村上祐二氏を安場の自宅に訪ねました。たまたま村上祐二氏は、私の弟の岳父であり、快く相談に乗っていただきましたが、その年に故人となってしまわれました。

 綾部青年会議所として、次にお世話になったのが、私の綾中3年担任の恩師:木下禮次先生でした。当時歴史クラブに入り夏休みに先生方に連れられて以久田野古墳発掘現場を見学に行った思い出もあります。

 「日本海時代の夜明け」「鳥取ー若狭ー金沢ー能登ー・の環日本海文明圏」「栗樫楢などの実を保存食にした照葉樹林文明」等等の新聞記事を折り込んで構成した拙文を「ふるさとへの回帰とその未来 第一話:国津神のふるさと」として書き上げました。 

 そして木下禮次先生から、丹波・山陰は、大和朝廷文化圏の最果てという常識を書き換えて、山陰こそ大陸文化往来の表玄関であったという「丹の国構想」を、メルヘンであると評価していただきました。

 綾部の文化財を守る会の会長:木下禮次先生には、その後も「丹の国・絵はがき」製作の監修をお願いするなど、いろいろとお世話になりました。「丹の国・絵はがき」には解説の小冊子(しおり)をつけており、仁王門→二王門など当時の漢字変換辞書は賢くなかったので、私の書いた原稿の言葉遣いの甘さを徹底的に校正していただき、流石に歴史・国語の先生だと感心するとともに、私自身が一皮剥けた向上をするのを実感しました。
 
 私が青年会議所の市民運動として、「市民憲章推進協議会」「青少年育成連絡協議会」の組織作りに関与した経験を買われ、先生から綾部の文化財を守る会の幹事綾部郷土資料館建設推進協議会の事務局長に推挙いただく事となり、先生方のお手伝いをさせていただきました。

綾部の文化財を守る会」には山下潔美先生という名事務局長がおられ、いろいろ教わりながら、先進地資料館の視察研修を組み、毎回市行政バスを利用して見学先を回り、コース、昼食場所まで教わりました。

府・市・教育委員会への陳情書も数回作成し、終には署名運動を行って市議の塩見一磨氏(山下潔美先生ご逝去後守る会事務局長)を紹介議員に立て請願しました。この時の経験は後に「テニスコート建設」の陳情をおこなった時に役立つ得難い経験になりました。

私市円山古墳が発掘され、出土品の収容で急遽「綾部市資料館」の建設が決まりました。
古墳を復元する「葺き石」集めを山下潔美先生等と軽トラックに乗って行ったり、資料館の監視カメラ設置の寄付募金を集めたりもしました。

要の山下潔美先生、木下禮次先生などが故人となられ、副会長の方々も高齢者となられてしまい、残された役員の方々と相談して「綾部郷土資料館建設推進協議会」を清算し、活動を古巣の「綾部の文化財を守る会」に引き継いでいただきました。

先生方の悲願であった「歴史郷土資料館」の建設はなりましたが、「民俗民具資料館」、「近世の歴史文書資料館」の建設は未定です。

綾部の文化財ミニ・シアター 丹の国綾部事始
ビデオ映写中 紹介のホームページ委員長

このあと予定の1:30からビデオ上映に入り観賞していただいた。
ビデオ名:京都府登録 無形民俗文化財「阿須々岐神社の祭礼芸能」
 1998年10月 金河内当番  ビデオ通称:御年貢(ミネグ)

他一枚:内容は同じと思えるので、こちらは上映しません。
ビデオ提供:綾部市資料館

阿須々岐神社の芸能祭礼の御年貢」についてこのシアターの中では充分説明出来なかったが、後日になり阿須々岐神社の近くにお住まいで「御年貢のビデオ」を提供いただいた梅垣正一幹事を訪ね、「御年貢奉納言葉」の冊子を貸していただいた。別途ビデオの写真と共に抜粋を編集して集録しました(ここをクリックください)

テーマ : 歴史大好き!
ジャンル : 学問・文化・芸術

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